odd_hatchの読書ノート

エントリーは3200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2024/11/5

椎名麟三「懲役人の告発」(新潮社) 人生は「懲役」であると思う憂鬱で深刻癖のある人たちの悲惨と滑稽。日本のドストエフスキー小説。

 ここに登場する人物はみながみな「自由」を求めている。その自由がどういうものなのかはしっかり把握できていない。そのために、イライラし、悶々とし、不満を述べ、ここから出たいといい、お前は馬鹿だと罵り、かみついたり、殴りつけたりする。そういう行為を繰り返しても、行きたい場所もやりたいことも見つからないのであって、またいじいじと自分の掘った穴に閉じこもる次第となる。
 語り手の「おれ」は20代半ばの工員。恋人を持ちどこかの企業に就職していたが、あるとき線路で少女を引き殺してしまい、実刑判決を受ける。出所してもいくところはなく、父の弟の経営する零細工場にいくしかない。恋人とは別れていて、もはや自分には何の未来もない、人の役に立つことはできないと鬱々とした日々を送っている。なにしろ、グラインダーや穿鑿盤の騒音は何かを考えることを許さない。
 「おれ」の父兄弟は奇妙な関係。戦前は家父長制のもとで蝶よ花よとわがままに育った兄(「おれ」の父)は、戦後、株の投機に失敗し役場の金に手を出して免職された。なじみの小料理屋のおかみと小さな駄菓子屋をやっている。当然金はない。一方、弟は兄のいじわると両親の放任によって卑屈になっていた。戦場で九死に一生を得る経験をして、帰還後町工場を作り、10人ほどの社員を雇うまでに成長した。元事務員を妻にしている。子供時代の関係が逆転し、兄は弟に金のことで頭を下げざるを得ず、しかも駄菓子屋は儲からず、行く末は漠としている。しかも兄弟の妻の間もしっくりとこない。兄嫁の産んだ子はどういうわけか弟夫婦が引き取ることになり、すでに12年が経過。初潮を迎えるまでに成長したものの、人前で全裸になるわ、礼儀作法はなっていないわ、突然人にかみつくわと奇行を繰り返す。
 物語は、この初老の兄弟がいがみあっているところに、突然兄が娘を家に帰せと要求することから大きく転換する。あまりの要求のしつこさに弟は「おれ」にボディガード(というか運転手)を命じたが、兄は裏をかいて娘といっしょに失踪。というか誘拐だな。場末の旅館に部屋を取った夜、兄は娘を強姦する。翌日には兄も娘も見つかるのであるが、今度は弟が「おれ」を運転手にしたてて娘と一緒に、田舎にある実家に移動する。まあ、兄もまた娘の奪還を公言しているからだが、もはやその元気もなく打ちひしがれて自殺をほのめかす。でもって、その夜、弟は胸をはだけて眠る娘の胸元に空気銃をむけて射殺するというわけだ。この娘の奔放さをうらやましい、自由の塊のように思えながらも、その社会性のなさとか家庭の奇矯な振る舞いに辟易していたのか。兄へのあてつけでもあるのか。
 ほぼすべての人物が憂鬱で、深刻癖を持ち、それでいて大言壮語を放ちながらも、実行力はない。生活のみじめさといっしょに、かれらの性格というか言動のだらしなさが目につき、それでいて読者にもそのようないじましさにみっともなさがあるので、まるで他人ごとには思えない。「おれ」は刑期を終えて出所しているものの、人生は「懲役」であると思っているのであり、それは自助努力では克服できない重さをもっていると考えているのか、何かの原罪を背負っているためなのか、社会関係のしがらみから抜け出せない監視環境にいるためというのか判然としないまでも何か共感するところがでてくる(そう、「おれ」は殺人の被害者家族に毎月弁済しているのであるが、その家族もまた事故をきっかけに壊れてしまったのだった)。
 この悲惨さにおいて、多くの人物は「自由」と「神」を口にし、その意味は漠然としている。たぶん宇川という流しの男、棒のように長い手を持つ長身の男がもっとも神の意味を理解しているように思えるが、こいつもまた人を韜晦して楽しむ意地の悪い人物であって、全く信仰がないのに伝道集会のビラを歓楽街でまくというやつなのだ。こいつはたぶん「おれ」が何度も幻視する「首のない黒い犬」同様に悪魔か神の化身であるのだろう。物語半ばで姿を消したのがもったいない。どうもいろいろなことを詰め込み過ぎた観があり、もう少し描写を細かくして長い小説にすれば、と思う。
 とはいえ陰鬱一筋かというとそういうことではなく、人物たちの行動はそれこそスラップスティックコメディかアクションコメディのそれであり、娘がかみついたり、兄弟の妻同士が口角泡を飛ばして罵りあうところなぞ、哄笑するしかない。ラストシーンは村八分にされた兄弟の実家での葬式であるが、娘の遺体をパンクしたリヤカーにのせ(タイヤが重くて動かすのに一苦労、たぶんその様子も滑稽に見えるはず)、貧乏坊主を先頭に畑道を行列する。白痴の子供が読経にあわせて間の抜けた「ソーレン、ヤーイ」なぞを合いの手を入れて画面から消えていく。悲喜劇の本領発揮というところ。
 1969年発表というのが初読の時から信じがたい思いがする。なんとなれば、この時期「赤頭巾ちゃん気を付けて」「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」「わが解体」「奔馬」あたりが書かれていたのであって、それからするとひどく場違いな古い小説のように見えるのだ。その古さはあっても主題はどこか身につまされ、「地下生活者の手記」「虐げられた人々」の語りなおしに思えるとすると、この2作に共感をもつものはぜひとも読んでほしい一編。

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