odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

リヒャルト・ワーグナー「ロオエングリイン・トリスタンとイゾルデ」(岩波文庫) 女性が死ぬことで男性の英雄が浄化される手前勝手なスクリプト(2)

 「トリスタンとイゾルデ」の異本3冊を読んだ後に、ワーグナー自身のものを読むことにする。
2011/12/26 ドイツ民衆本の世界6「トリストラントとイザルデ」(国書刊行会)
2011/12/27 フランス古典「トリスタン・イズー物語」(岩波文庫)


 1984年秋にワーグナー岩波文庫で復刊されたのは驚いた。台本2冊に小説と評論各一冊の計4冊。いずれも1950年代に出版されてそれっきり。当時は、楽劇の全曲をきくことなど夢のまた夢。バイロイト音楽祭NHK-FMで放送するのは1963-64年ころかららしいし、LPの全曲盤もまずなかった。1968年のレコード芸術で徹夜でショルティ指揮「指輪」全曲を聞くレコードコンサートがあったという記事をみたことがある。なので、文庫は重宝したのであった、と思う。そういう時代の産物。なにしろ、ロオエングリイン第2幕ではテルラムントとオルトルートは江戸弁で喋るという仕儀。

ロオエングリイン ・・・ ドイツ王ハインリヒはハンガリーの侵攻を迎えナーバスになっている。なにしろ腹心フリイドリヒ・テルラムントが娘エルザを弟殺しで告発しているのだ。かつてエルザに振られた意趣返しとはいえ陰険な仕打ち(しかも妻オルトルウドはヴォータンやフライアなど異教の神々を信じる魔女である)。そこにエルザの夢に現れた騎士が呼びかけに応え、テルラムントとの決闘に勝利する。二人は即座に婚約し、結婚式の前夜にテルラムントとオルトルウドが暗躍する。この本ではタイトルのように原音に忠実であろうとして不思議な表記になっている。
 普通に読むと、国家の危機を救う英雄、禁じられた問を口にして破滅した愚かな娘、あたりの教訓譚になるのかな。でも、深読みをすると、すべてはエルザの夢であって周囲は妄想に付き合っていたとか(ロオエングリインは存在しなかった?)、ハインリッヒとエルザと騎士たちのブラバンド王国は狂気の園(テルラムントとオルトルウド、そしてロオエングリインは医師であって、治療のために介入した。しかし方針の違いで対立)とか、そんな解釈が可能でありそう。でも、どちらもバイロイト上演で実現しているのだよな。

トリスタンとイゾルデ ・・・ いろいろな「トリスタンとイゾルデ」を読んだ後に、ワーグナー版に戻る。楽劇の台本だから長々しいストーリーを語るわけにはいかない。そのために、第1幕はコーンウォールに向かう船の中。前史はイゾルデとクルヴェナアルの語りだけで示され、中世本では数ページに過ぎない媚薬の飲み干しが90分の音楽に拡大される。中世物語では単なるミスが原因であったが、ここではイゾルデの仕組んだ暗殺→心中へと変化する。第2幕は原作にはない逢瀬と発覚。夜闇にまぎれてトリスタンが登場。そこからイゾルデと二重唱。ここはオリジナルの会話。昼は死、夜こそ生。その夜に起こるのは死。ロマン派の発見した実存の夜、ってか。ワーグナーの発見ではなく、だれかの説をいただいちゃったものらしい。第3幕は死に臨んだトリスタンの煩悶、イゾルデの到着と二人の死。最後の「愛と死」は伝承通りならば二人の恋人の遺体が並ぶことになるが、ときには譫妄状態のトリスタンのみた幻影であるとか、イゾルデの妄想であるとかいう解釈もある。でも、どちらもバイロイト上演で実現しているのだよな。

<参考エントリー>
2011/12/26 ドイツ民衆本の世界6「トリストラントとイザルデ」(国書刊行会)
2011/12/27 フランス古典「トリスタン・イズー物語」(岩波文庫)
2011/12/28 ブルフィンチ「中世騎士物語」(岩波文庫)

 トリスタンは英雄であると繰り返されるが、ドラゴン退治も海賊退治も語られず、むしろ恋愛の奥手であることが情けない(恋愛の主導権を握って離さないロオエングリインとの違いを見よ)。イゾルデとの駆け落ち、媚薬の効き目が薄れてイゾルデが一時マルケの元に返るという話もなく、トリスタンに瀕死の傷を負わせたものも異なる。白い手のイゾルデも登場しない。その代わりにあるのが、詳細な感情の告白。私はなぜトリスタンを嫌うのか、自分はなぜイゾルデにつれなくするのか、そういう会話が続く。ここらへんの自己分析は近代のものだろう。それにしても、第1幕ではトリスタンを嫌いぬき、毒薬を盛ろうとするとき、「半分は私のよ」とひったっくって飲み干し、第2幕にはブランゲーネの警告を一切無視して欲情に浸りきるというイゾルデには、なまじな覚悟では近寄れないなあ。こういう人たちは客席から見るに限る。

〈追記2023/11/20〉
2023/11/19の放送大学ラジオ「世界文学の古典を読む第8回」マルトゥレイ「ティラン・ロ・ブラン」のメモ。
宮廷愛の理念では愛は成就してはならない。成就するときは二人が死ぬとき。宮廷愛は封建制を男女関係にあてはめたもの。当時の愛の表現はこの型(成就しない愛、死であがなわれる愛)を踏襲した。
ワーグナーの楽劇に限らず、19世紀のオペラやバレエでは愛が成就することはないが、そこには中世文学(とくに騎士物語)の理念を踏襲していたためなのだろう。この型が壊されるのはWW1以後なのかも(それでもヘミングウェー「武器よさらば」のような騎士物語風な小説があるし、1970年代でも映画「ある愛の詩」のような物語が流行している)。

 読みながら聞いていたのはバーンスタイン指揮バイエルン放響ほかによる全曲盤。早いところは誰よりも早く、遅いところはフルトヴェングラーよりも遅いという不思議な演奏。こういう時間の伸び縮みは、性愛においてはよく起こること。情熱と遅滞の繰り返しから法悦が訪れるかしら。劇場では決して聞こえない楽器の音が聞こえてくるのも面白い。第2幕だけで90分かかり、全曲だと4時間半。主役二人(ペーター・ホフマンとヒルデガルト・ベーレンス)は若くして鬼籍に入られた。万人向けではなく、勉強にも向かないけど、一度は体験してもよい珍奇盤。
 おまけ。第2幕第2場の愛の二重唱がもっともどろどろネチネチしているのは、普通だとフルトヴェングラーベームは勢いがすごいし、クライバー(スタジオ)だと内省的。でも、自分が推奨するのは、1943年戦中のベルリンで上演された記録。ヘーガー指揮ベルリン国立歌劇場。マックス・ローレンツのトリスタンに、パウラ・ブフナーのイゾルデ。オケの濃厚な表情付けとあわせて法悦のうちにぐらぐらと落ちていく。15年くらい前の海賊版で購入。

 リンク先は別の盤。
『トリスタンとイゾルデ』 : Lorenz、Buchner、ヘーガー / Berlin Staatsoper : ワーグナー(1813-1883) | HMV&BOOKS online - PRCD90243
www.youtube.com


 さらにおまけ。1967年にバイロイト音楽祭の主要キャストが来日した。オケはN響で、ワルキューレとトリスタンを上演。キャストは、ニルソンにヴィットガッセンにホッター。指揮はブレーズ。世界で唯一のヴィーラント・ワーグナー演出の映像記録。このうちトリスタンがNHKで放送され、理由不明だがイタリアの会社がVHSを販売していた。舞台の上にはなにもなく、会場はまっくらで歌手にスポットがあたるだけ、歌手は全幕の間棒立ちでほとんど動かない。
 この上演を見た人の記録が以下のサイト。
http://blogs.yahoo.co.jp/gustav_xxx_2003/64528353.html

www.youtube.com
www.youtube.com