odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

ロレンス・スターン「センチメンタル・ジャーニー」(岩波文庫)

 スターンがこの本を書いたのは16歳のとき、ではなく50歳のころに療養でフランスを訪れた後のこと。

 病弱だったスターンはこれが出版された1768年に55歳でなくなった。「センチメンタル」というのは現在のように感傷的・少女趣味的な意味を持っていないで、まったくそのままに心情的・感情的という意味であった。このような語彙をタイトルに選んだというだけで、スターンの面白さが現れている。たしかに、クシシトフ・ポミアン「ヨーロッパとは何か」(平凡社ライブラリ)のいうように、フランス革命の以前は国境とか国家とかいう概念は希薄で、人びとの移動を妨げるものはまずなかった。同時代のヘンデルモーツァルトのようヨーロッパ中を移動した連中はたくさんいた。ただ、旅行の行程は徒歩か馬車かで、旅館というか旅籠は少なく、移動中の食事は乏しく、水は腹に合わず、少なくとも数名のグループで移動し、かつ彼らの費用をまかなえるとなると、そう多くの人が旅行をしたわけではない。それを可能にしたスターンはなかなかの資産持ちでもある。あわせてこの時代は博物学と大冒険の時代でもあるので、旅行に出かけた人は旅行記を書くのであるが、興味は奇妙な事物や風習、習慣、名所旧跡、史実などに向くのだが、スターンはそんなものに眼もくれない。なにしろ、いつ・どこをということをほとんど書いていないのだ。代わりに書くのは彼が会った人について。しかも人というものは喋ったり書いたりする言語は異なれども、まずは変わるところはないということを書くのである。「センチメンタル」と名付ける所以か。
 スターンという人の中心は「愉快」という感じ方にあって、他の本(「トリストラム・シャンディ」しかしらないが)でも一貫している。この人はそろそろ老境というのに、貴婦人、小間使い、旅籠のおかみと女性を見ればまずくどき、手を握らせてもらう。本文中でも私は恋をしていないことはない、とはっきり宣言。なんかかっこういいぞ、この坊さん(そう地方都市の牧師センセーなのであった)。興味を魅かれれば、長期間の観察も辞さない。声をかければ必ずいくばくかの貨幣をもらえるという凄腕の詐欺師(というかコジキか)がいて、女性にしか声をかけない。その秘密ととくために、1週間は彼を観察する。その結果明らかになったのは、彼の術は「追従」であって、それがもっとも効くのは女性。というわけで、編中のベストは174ページからの「パリー」。追従を知った「わたし」がつぎつぎと実践していく。ご婦人がたとのサロンにおいて長い会話を行い、最後に「今日はとても勉強になる会話ができた」といってもらったのだが、追従を知ったロレンス先生、一度も喋らなかったとさ。こういう上質なユーモア、ただよう気品、こういった特質は精神的な貴族のものだ。参考になるのは、サヴァラン「美味礼賛」、「釣魚大全」。人間の表層に浮かんでは消えるこの愉快を見ていく文学の趣味は、たぶんこの時代、18世紀に常に流れていたことだと思う。
 おそらく、人間の奥底に潜む巨大な力、うごめきに注目するようになるにはルソーの自然の発見と「私」という表現を待たなければならない。まあ「不愉快」を基本テーゼにするのはスウィフトと漱石であって、漱石はスウィフトのよき解説者であったが、スターンにはお手上げであったのだ(夏目漱石「文学評論」)。

 スターン牧師が狂言回しで登場するジョン・ディクスン・カー「ロンドン橋が落ちる」(ハヤカワポケットミステリ)をあわせて読んでみてください。