1764年にイギリスの貴族ホーレス・ウォルポールが書いたロマンス。後に隆盛となるゴシック・ロマンスの祖形。
16世紀イタリアの古城、オトラントが舞台。オトラント公マンフレッドは息子コンラッド(15歳)と美少女イザベラとの婚礼を用意していた。宴が開こうというときに、巨大な冑が飛来し、息子は圧死してしまう。マンフレッドはその報を伝えた若い百姓を犯人と決めつけ、投獄する。後継を失ったマンフレッドは次の子作りのために、妻ヒッポリトとの結婚を解消、イザベラと婚約しようと望む。それを嫌ったイザベラは城の近くの修道院に姿を消した。さて、ヒッポリトには連れ子マティルダ(18歳)がいて、イザベラに深く同情するとともに、激昂するマンフレッドに堂々とした振る舞いを見せた若い百姓に心を寄せる。深夜の城内で彼と偶然に出会い、心を通わせる。イザベラを捜索しているマンフレッドは修道院に来るが、修道長ジェローム神父にいさめられる。しかし憤然とするマンフレッドは神父の言を聞かない。そこに、オトラント城の正統の後継者と名乗る騎士が来て、城の明け渡しを要求。マンフレッドは一騎打ちをせざるを得ない。
という具合に、オトラント公マンフレッドに、息子の死・家族の離反・新しい婚約者の拒絶・修道院長の造反・騎士との決闘など、一人で処理するには大きすぎる問題がわずか3日の間に次々と起こる。その遠因となるのは、オトラントの城に伝わる伝説、まことの王が現れるとき、城を返上しなければならない、ということ。
「ゴシック・ロマンス」の始祖となっただけに怪異な現象が起こるが、決して多くはない。息子の奇怪な死、城に現れる巨大な騎士、礼拝室に現れる骸骨の幽霊、解脱して天に昇る先王など数箇所。効果的に現れるのであるが、そのこと自身が脅威になるわけではない。コンラッドの死を除けば、それは予兆や警告の現れであるから。
じつのところ、脅威であり怪異であるのは、人の宿命であり、その裏にある怨念である、ということになるのかしら。上の梗概では書かなかったが、親子の生き別れが発覚するというドンデン返しが章ごとに起こり、その数なんと3組。そうなると、まことに人の運命とはなんと不思議なものということになる。ゴシック・ロマンスは当時の淑女に好んで読まれたそうだが、たしかにこのような貴種流離譚には、涙を誘うものが多々あるのだ。
その一方で、彼ら怪異に出会ったものの語る言葉はきわめてロジカルである。感情に流され、激情にかられる人はいない。彼らの語る言葉はそのまま本心であり、言動は必ず一致している。その徹底振りには驚かされる。たしかに、同時代の「トリストラム・シャンディ」でも感じたのだが、この時代の人には言葉と事物には差異がない。
だから、激怒し憤怒し、最後には自らの悪業の因果をこうむることになるマンフレッドのみが近代的な人間に近い。あるいは、世界すべての不条理の原因を背負い込み、自滅する姿はオイディプスのような英雄(ヒーロー)である*1。その裏側には信念を曲げない貞淑な乙女、婦人が存在し、ヒーローによって辱められるが、最後には救われる。ゴシックロマンスを好んだのは主に女性読者ということだが、そこには怪異や不可思議譚を好む性向とあわせ、か弱いけなげな女性が救われるという状況に自らを投影していたからかもしれない。
〈追記 2024/7/18〉
20240711放送の「カルチャーラジオ 文学の世界 ゴシックの扉」第2回「ゴシック小説の誕生~崇高の美学」でこの小説が解説されていた。なぜ中世で舞台はイタリアなのか。それはイギリスはプロテスタントの国になっていて、プロテスタントでは「幽霊」が存在されていない、「幽霊」はカソリック臭がするので忌避されるから、とのこと。カソリックには煉獄という概念があり、そこにある魂が「幽霊」とされる。でもプロテスタントには煉獄はない。そこで上記のようになる。
しかし重要なのは幽霊が登場するゴシック・ロマンスはプロテスタントの宗教圏でよく書かれ読まれた。プロテスタントの教義に対する違和感の表明で、反動をして現れたのではないか、とのこと。
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2020/05/12 ホーレス・ウォルポール「オトラントの城」(国書刊行会)-2 1765年
*1:リンク先とつなげるのは強引かもしれないけど参考にしてください