1909年に発刊された講義録。著者の序文には、研究がいたらないがとりあえずまとめたという釈明が書かれていて、いつどこの講義であるのかわからない。著者はしきりに謙遜するが、開国後40年目のこの国で18世紀の英文学を鳥瞰しようというのがどれほど困難で無謀なことかよくわかる。小泉八雲他数名の英文学教授はいても関心空間はまるで別。師事しようにも充分な指導は不可、国内にはまず参考文献がない。選抜されて数年の留学をしたら、今度は情報の氾濫で押しつぶされそうになる。言葉は通じず、食事は合わず、友人もいない状況で、文学の研究に邁進すること。しかも家や国家の期待の重圧たるや半端なものではない。100年後の今日読み直したとき、わずか数年の留学とその後の研究でよくこれだけコンパクトなまとめをしたものだと感銘を受ける。
読者の側の問題は18世紀の英文学は「ガリヴァー旅行記」「ロビンソン・クルーソー」は別にすると、ロレンス・スターンのいくつか、フィールディング「トム・ジョーンズ」くらいが読書子にはまずまず入手しやすいが、それ以外は入手すらおぼつかないということ。幸い第1巻は18世紀イギリスの概況なので諸作を読んでおく必要はない。
「第1編 序言
第2編 18世紀の状況一般
1 18世紀における英国の哲学/2 政治/3 芸術/4 珈琲店、酒肆および倶楽部/5 ロンドン/6 ロンドンの住民/7 娯楽/18 文学者の地位/9 ロンドン以外地方の状況」
自分の読んだのは講談社学術文庫版で上中下の3巻構成。収録されているのは上の章。
まず、助言で文学研究の分類が試みられる。鑑賞的態度・・・好悪でもって判断、批判的態度・・・韻律、語句の選択、構成など数値化、図示化、構造把握できるものを分析(ここでは研究者による個人的な評価は排除される)、批判的鑑賞・・・好悪などの感情や評価が生まれたところのよってきたる所以を構造的に分析しようというやりかた。で、著者はこれを数式でもって表現できるのではないかと試みている。その試みが成功するものかどうかは別として面白いと思ったのは、1900年前後の西洋社会では科学vs文学の論争が起きていたということ。「科学」の方法はこの世紀にいろいろな成果を生み出し、とくに生産の現場で有効に働いたことから人々に大きな影響をおよぼしていた。その影響の一つに、文学の科学化ないし文学に対する科学の優位みたいな見解が生まれていて、文学の側からそれに対抗しようという動きがあったらしいとみることができる。ニーチェとかワイルドとかヴァレリーなどを読むときに意識しておいてよいだろう。
あとここで描かれた18世紀イギリスの面白いところをいくつか。
・「18世紀における英国の哲学」で取り上げられているのはロック、ヒュームなど。訳語がいまと異なるし、どこを主要な論点とするかの見方が異なるけど、ほぼ正確な要約になっている。これも維新から40年もたっていないのにこの咀嚼力は感嘆する。
・18世紀ロンドンは「珈琲店、酒肆および倶楽部」の時代で、男も女もなじみの店舗を持って、毎日入り浸っていた。やっていたのは政治談議。トーリー党とホイッグ党に分かれて、それに自分の階級を合わせて喧々諤々の議論をしていたのだという。同時に、この時代の選挙というのはひどいもので買収は日常茶飯、選挙区を勝手に変えるわ、暴力沙汰を起こすわ、などなど。
・17世紀には政治の世界に文学者を必要としていた。政治パンフを作ったり、演説の草稿を作ったりと政治家は文学者を利用した(あと17世紀のサロンで貴族が文学者のパトロンになっていたという事情もある。気のきいた発言と詩歌を作れる文人を貴族が必要としたのだ)。18世紀になってロバート・ウォルポール(孫のホーレスがゴシックロマンスの開祖)が宰相になってから文学者は政治の世界から排除された。要するに政治の世界で言語革命があった。ラテン語はやめて英語にしましょう、文章は簡潔にしましょう、レトリックは使わないようにしましょう、主張をわかりやすくはっきりさせましょう、など。要するに素人の書いた文章でOKということになり、荘重で冗長で華麗で装飾過多の文章の達人は不要になったのだ。おかげで文学者は自分でパトロンをみつけるか、予約出版で予約金を集めるかしかなく、貧窮した。一方、このころから貸本屋がでた。そこから読書階級が生まれ、本の出版で生きていく文学者が生まれた。ここらへんはバッハ、ヘンデルらが貴族や教会お付きの雇用人だったところから、モーツァルト、ハイドンらが職業音楽家に変わっていく過程に対応しているはず。
・でもって、男も女も「珈琲店、酒肆および倶楽部」に入り浸っていたおかげで、夫婦といえども顔を合わせるのは昼飯時くらい。夜は「珈琲店、酒肆および倶楽部」で気炎を上げていた。そのために、人々は粗略で野卑で口汚かった(ついでに下水道のないロンドン市内も汚く、ひどい臭いで、不衛生だった)。これが変わったのは、男女が一緒にいる機会が増えるようになったこと。次第に、マナーが洗練されていくようになった。
・となると、この「文学評論」に書かれなかったアダム・スミスの重要性が見えてくる。国富論でもって経済学の祖になったわけだが、まず彼は当時のイギリスの生産資本を描写したのだった。彼は市場の調整機能があるけどそれは「神の見えざる手」によるとして人智をこえたところに設定した。しかし重要なのは生産資本の経営者、株主などが徳を意識し義援などをふくめたモラルが実践された上で行われるものであるとしたこと。まあ、イギリスのジェントルが資本主義とセイフティネットを実現するであるとみたわけ。スミスは「道徳論」を書いているのだが、夏目の「文学評論」経由でみると、それはどうやらイギリスにはジェントルが実現していないから(あるいはその考えの持ち主がごく少数の貴族だけのものであって社会の規範とはほど遠かったから)ではないかと邪推したくなる状況があったためとみてしまう。
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