odd_hatchの読書ノート

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東雅夫編「ゴシック名訳集成」(学研M文庫) 明治から大正にかけてのゴシック小説翻訳集成。自然主義リアリズムになじめない人たちによるマイナー文学運動の成果。

 明治から大正にかけてゴシック小説を翻訳する試みがあり、それを集大成する一冊。
エドガー・アラン・ポオ著 日夏耿之介訳 「大鴉」
エドガー・アラン・ポオ著 日夏耿之介訳 「アッシャア屋形崩るるの記」
ホレス・ウォルポール著 平井呈一訳 「おとらんと城綺譚」
エドワード・ブルワー=リットン著 井上勤訳 「開巻驚奇 竜動鬼談」
ドクトル・エマニエル(エドモンド・ドウニイ)著 黒岩涙香訳 『怪の物』
小泉八雲著 平井呈一訳 「「モンク・ルイス」と恐怖怪奇派」
小泉八雲著 平井呈一訳 「小説における超自然の価値」
1.もっとも古い翻訳は井上勧による「龍道鬼談」(ロンドンきだんと読む)。もとは1860年代(予想)の「幽霊屋敷」もの。それを明治13年に翻訳出版した。まだ口語体文体のないころで、今の文章に慣れているものには非常に読みづらい。たかだか50ページを読むのに2時間はかかった。本邦にも幽霊譚はいくつもあるが、こういう石造りの家屋に起こる怪異の物語はなかったはずで、趣向や生活の違いに興味を引かれたのかしら。物語は、ある青年のもとに幽霊屋敷の存在を紹介されるところから始まる。豪胆な青年は家令を伴って、一夜を過ごす。恐るべき怪奇現象を経験し、その屋敷の秘密を明らかにする証拠を入手する。翌日、屋敷を調査すると、数十年前にその屋敷の住人に起きた陰惨な事件が解決された。
 幽霊屋敷には過去に起きた未解決の事件が常に伴っている。そこには、無念の思いで殺された被害者の意思ともいうべきものが残留し、周囲に影響している。そして多くの場合、事件は地下室や床下に隠されていることになる。この構図というのは、実は精神分析と同じだ。家がすなわち自我であり、スーパーエゴやイドに問題が起こると、そこに問題が発生する。幽霊屋敷の怪奇現象は形を変えた神経症(ヒステリー)であるということができるのだ。だから地下室や床下からイドを掘り当て、そこにある問題を明らかにするとヒステリーは消滅する。幽霊屋敷で一夜を過ごすことは精神分析治療に等しい。だからこの分野の小説は、フロイト以後激減することになる(はず)。
 この小説にでてくる怪異現象を理屈づけるものとして、「メスメリズム」がでてくるのが面白い。1800年代初めに医師メスメルが主張した生物電気説。生体運動は体内の微弱な電流が制御しているという説で、この説を根拠にした妖しげな治療機器がでまわった(平賀源内のエレキテルなんてのは、この末裔かしら)。この主張を下記の「フランケンシュタイン」が取り入れた結果、人体改造や人造人間を作る場面には必ず高圧電流を流すシーンがつきものになった。今でも、特撮映画の怪獣では皮膚表面を電気が流れるシーンがあり、この説の影響をみることができる。
 なお、平井呈一による現代語訳が創元推理文庫の「怪奇小説傑作選1」に収録されている。主人公の独白で書かれたこの小説を平井呈一は主人公を「余」と訳す。こちらに収録されている井上勤訳を意識しているのだろう。ところどころを拾い読み。過去の記憶はよみがえらず、井上訳のほうを思い出すことになった。

2.この本のメインは、黒岩涙香「怪の物」(あやしのものと読む)。田舎に隠遁している独身医師の隣の館に、奇妙な人物が帰郷した。日中は外にでることがなく、夜間にしか現れない。面会する時には、彼はベッドに縛り付けられている。奇妙な隣人に面会を試みる連中が次々を独身医師を訪れるが、一人の女性は変死してしまう。このあたりにはいないはずの毒蛇にかまれているようなのだ。再び得たいの知れない男が近づいてきて、奇妙な人物に手紙を渡すように依頼される。月のない夜、隣館を訪れようとすると、草むらの中に妖しい光を発見。そして驚愕の事実と恐るべき実験が明らかにされる。
 ストーリーと主題は「フランケンシュタイン」と同一。異形のものの悲しさ、孤独、そして怪物を生み出した科学者の非人間性の告発。こういうところが胸を打つ。とはいえ、プロットが単純で深みのある人物がいないので、「フランケンシュタイン」に劣ること数等というできばえ。にもかかわらず読む価値があるのは、涙香の文章にあるのであって、自在で闊達な日本語を楽しむことができる

3.最後には小泉八雲ラフカディオ・ハーン)のエッセイ2題が収録。東京大学文学部の講義録であるのだが、なんともゴシック小説に詳しいなあと思った。そういえば「怪談」を書いたのがこの人であるのだから、それは当然か、と納得いった次第。ただ、この講義の内容を受容し展開するには、まだ早すぎて、1970年以降の50年を過ぎてからということになる。

4.日夏耿之介訳「大鴉」はギュスターヴ・ドレの挿絵のついた豪華装丁。絵を見ながら読むべきであり、「nevermoer」を「またとなけめ」と訳す手腕に驚愕。普通は「二度とない」。ある種の知識のトリビアを紹介。ECWとTNAのプロレスラー「レイヴェン」はこの詩からリングネームをつけた。彼の決め台詞はもちろん「Quote the Raven, "Nevermore"!」*1

5.ウォルポール「オトラントの城」を擬古文で読むのはやっかいなことだったのでパス。代わりに国書刊行会版で読んだのでそちらを参照のこと。

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*1:細かいことを言うと、ECWのトミー・ドリーマーとレイヴェンの抗争は、映画「ストリート・オブ・ファイア」のパロディです。