odd_hatchの読書ノート

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フェリックス・ガタリ/田中泯「光速と禅炎」(朝日出版社)

 浅田彰「構造と力」でフランスにはドゥルーズガタリと言う難解な思想家がいて、1972年に「アンチ・エディプス」という本がでたらしいということを知った。読んでみたいなあと思いながらも法政大学出版局とか朝日出版社ででているのはあまりに高価で手が出せなかった。そんなとき、680円という格安価格でガタリの文章を読めることになった。それがこの週刊本の一冊。早速入手したが、はて何を書いているのか、当時はさっぱりわからなかった。今ならすこしは、かな。まあ誤読もあるだろうが、いってみようかGO。

1.アレンジメント ・・・ 日本の舞踏家・田中泯ガタリの対談。ガタリは身体の機械的アレンジメントについて語りたいようで、田中は言葉にしがたい身体の瞬時の変化を語りたいらしい。共通のキーワードは「器官なき身体」(@アルトナン・アルトー)くらい。田中の言いたいことは「わかる」。たぶん日本語そのもので話されたから(でも自分の言葉に変換して説明することはできない)。しかし、ガタリが言いたいことがわからない。フランス語ネイティブの人は逆になるだろう。
2.アルファベット ・・・ ガタリの参加した雑誌「シャンジュ・アンテルナシオナル」でガタリの発表した短文をいくつか収録。たぶんレーガンサッチャー新保守主義の登場、そのような変化に鈍感であいかわらずの党派活動をしている左翼(新旧ともに)へのいらだちが書かれていると思う。あんたらが考えている以上に資本主義の変化は急激なんだよ、100年前のタームで語れるわけないじゃん、てな感じ。
3.グループと横断性 ・・・ ドゥルーズガタリの最初の共著「精神分析と横断性」から1968年の「自主管理」とドゥルーズガタリ論を収録。前者はたぶん「自主管理」というスローガンは結構だが、経営を行うときに工場のユートピアは失われて、イデオローグや経営者の論理に組み込まれるよ。ユートピアは自閉的だが、資本と経営は外部と交通するからね。という話。(1980年代前半のポーランドの自主労組「連帯」が新たな希望みたいに思われた時期があったなあ。この文章はその希望を砕くだろう。)
4.資本のアレンジメント ・・・ 1983年はまだ米ソの対立があり、イスラムなどの非キリスト教社会からの挑戦もなかった。資本主義は永遠であるようで、共産主義はベールの向こうでいかめしかった。ケインズの評判はさがり、アメリカのおかしな経済学が幅を利かせていた。そういう状況で、資本主義を「精神分析」しようというのがこの小論の試み。有名な「スキゾ-資本主義」という概念はすでに発表済みだったので詳細はなし。とりあえず資本主義の分類を試みよう。
優先順位(矢印の向き順)
a)国家→生産→市場  アジア生産様式、ナチス型戦争経済
b)市場→生産→国家  原-商業資本主義、経済-世界(都市ネットワークに集中化された)
c)市場→国家→生産  自由資本主義
d)生産→国家→市場  植民地独占経済
e)生産→市場→国家  統合された世界資本主義(CMI)
f)国家→市場→生産  国家資本主義(ソビエト連邦型)
 e型の資本主義はまだ生まれていないけどこうなるよ、それは科学技術においては進歩的だが、社会的には保守的になるよ。これまでの資本主義批判のやりかでは統合された世界資本主義を批判したり闘争することはできないよ、といっている。1983年の論文であることに注意。資本の海外進出、植民地経済について話題はあっても、統合された世界資本主義(いまでいうとグローバリズム)の考えは少数だったし、まして批判してはいなかったころだった。
 とはいえ、この資本主義分析の枠組みはよくわからない。いくつかのパターンが先行していて、それにむりやりあてはめた感じがある(自由資本主義が「市場→国家→生産」であるとか、ソ連型国家資本主義の「国家→市場→生産」とか。日本はどれになるのかなあ。1950-60年代は「国家→生産→市場」で、80年代から「生産→国家→市場」? うーん? このあと資本主義の精神分析はだれかやっているのかなあ。)
5.極小用語集 ・・・ ずっと気になっていたのは、ここにかかれた「マシン」と「メカ」の違い。「メカ」は自閉的で、外部とは完全にコード化された関係しか持たない。「マシン」は互いに産出しあい、選択しあい、排除しあいながら可能性の新たな道をもたらす。このとき「マシン」の中に意思とか幽霊(ゴースト)などを想定してはならないだろうね。そんなものをマシンに入れると全体主義ホーリズム)のわなにとりこまれてしまいそうだ。