ガーンディが本格的にインド解放、独立の運動を開始する直前、帰国途中の船中で書いた本。1909年の作で、当時40歳。
国民会議とその指導者たち ・・・ 国民会議は1885年創設の独立および自治をめざす組織と思える。1909年には、ある種の若者はこの穏健な組織(宗主国イギリスと強調しながら独立を獲得)に不満をもっていた、とみえる。その背景は日露戦争と西洋の労働運動といくつかの国の独立運動。
ベンガル分割/不穏と不満 ・・・ 1905-11年にベンガルが分割されたが、それによりインド人の独立の欲望とイギリスへの憎悪が生まれてきた。ただし、穏健派と過激派、漸進派と急進派に分かれている。
自治とは何か ・・・ 急進派の要望はイギリス人がインドから出ていくことであるが、そのあと国をどのように運営するかはビジョンをもっていないね、それではイギリスと同じ抑圧の国家になるよ、という指摘。
イングランドの状態 ・・・ イギリスおよびインドの議会の機能不全について。1)イノベーションがなく、判断をしないこと、2)縁故を使う不平等、3)賄賂などの腐敗、など。
文明の哲学 ・・・ 文明は人間の病気。主な症状は、1)物質的追及と身体的安楽、2)一部の人々の賃金奴隷化、3)自身の不道徳、4)格差や貧困の放置、など。克服のカギはヒンドゥー教の教えにある。
インドはなぜ滅んだか ・・・ ガーンディーからみると、イギリスがインドを支配したのではなく、インドがイギリスに自身を与えたのである。まあ、比喩なのだろう。
インドの状態 ・・・ インドは近代文明にとらわれているので、特定な宗教ではないが、宗教的なもの・ことで近代文明を克服しなければならない、とのこと。読者(急進派の若者)は、ヒンドゥーやイスラムによる宗教対立やキリスト教による弾圧、戦争を持ち出して宗教を批判する。編集者(ガーンディー)は「このすべては文明の不幸に比べれば、ずっと耐えられるようなものです」と答える。
インドの状態(鉄道) ・・・ ガーンディーによると「鉄道は邪悪を運ぶ」。たぶん、鉄道は近代文明のメタファー。鉄道によるスピードアップ、時間に支配される規律化、資本の集約、人々の大量移動による共同体の破壊、などが問題とされる。
インドの状態(ヒンドゥー教徒、イスラム教徒) ・・・ 「戦うことでどちらも自分の宗教を捨てませんし、自分の主張を捨てようとはしません(P62)」。だから互いに寛容であるべきで互いに尊重し合おう。ただし、争いの解決をイギリスにもっていってはならない。
インドの状態(弁護士)/インドの状態(医者) ・・・ ガーンディーは近代文明の代弁者というか典型として弁護士と医師を弾劾する(自身がかつて弁護士であったにも関わらず)。いずれも隷属状態を拡大強化するし、争いを発生させ和解を拒み、自分でできることを他人まかせにし、金もうけが蔓延するから、ということ。一部の主張はイリッチ「脱病院化社会」の論点を先取りしている。とはいえ、西洋医学を嫌悪するあまり、偽医学でよいというのはいきすぎでは?
真の文明とは何か ・・・ 近代文明に対抗する文明はインドのみ(ローマもギリシャもファラオも滅び、日本は西洋の爪にとらわれたとのこと)
インドはどのようにして解放されるか ・・・ 編集者はイギリスがいるインドでインド人の自治を獲得することをめざし、読者はイギリス人を追放して独立することを目指す。
イタリアとインド ・・・ 読者のモデルにするのはイタリアであるが、編集者は銃火によって宗主国を追放したとしても隷属状態は変わらないと説く。あと、国内の藩主国による差別、弾圧、迫害があることを指摘。読者は、住民の武装とテロを提案。
銃火 ・・・ 編集者は暴力は暴力を呼び、復讐の連鎖はエスカレートするのみ。恐怖心で与えられたものは恐怖心のある限り保たれると説く。
サッティヤーグラハ(魂の力) ・・・ 慈悲の力、自己犠牲、受動的抵抗(パッシブ・レジスタンス)。サッティヤーグラハは方法ではなく生き方で、手段ではなく目的であるのだろう。
教育 ・・・ ガーンディーが無駄という初等教育は英語教育であって、イギリスの統治に役立つように強制されているものであることに注意。むしろ母語を教えなさい、道徳教育をしなさいと主張する。
機械 ・・・ 18世紀のイギリスの産業革命で、マンチェスターの綿生地がインドに流入した結果、ベンガルの紡績業が壊滅。人々は綿糸工場の工夫になるしかなく貧困になった。それに対してガーンディーは近代化や経済成長を拒否する。機械をなくして、イギリス統治以前のインドに戻れと指導する。
解放 ・・・ 警句として響くのは、「自治は自ら獲得しなければならない、他人に与えられるものは従属である」ということ。拡大すると、何かの過激派が現政権を打倒して政権をもったとしたとき、ほとんどの人には従属が要求されるだろう。ここの見通しはボリシェヴィキなどにはなかったことかな。なお、具体的な解放運動はイギリス統治への受容的抵抗をせよ、工業化に反対し古いインドを戻せ、国産品を使い富を海外に流出させるな、あたり。
解放闘争のマニフェストとするには、現代の状況とかけ離れていると思う。少なくとも自分にはここから闘争のイメージや解放された世界がどういうものになるかはわからない。ガーンディは終生この思想を実践したのであるが(伝統衣装の白布をまきつけ、手巻き車で綿糸を作っている写真を見たことがある)、晩年においては近代化をはかるネルーほかとの確執が生まれていたのだった。闘争のマニフェストというよりも、反近代の思想書としてみるほうがいいのかも。それにしても、どうにも自分とこの人の距離がありすぎて、なんとも奇妙な本だというしかないか。
その理由の一つは、ガーンディがイギリス統治からの解放を目指す植民地解放運動であること。この国はそのような運動の経験を持っていないから(しまった失言撤回。沖縄の人は経験を持っている)。その点では、この人の思想は西洋の人と比べるよりも、毛沢東やカストロ、ゲバラたちと並べるほうがよいのかも。