東南アジアは近いのに、この国の人からは等閑視されている。観光やビジネスで行くことはあっても、文化を知るまでにはなかなかいかない。1941-45年のこの国による占領とその影響は忘れられつつある(なにしろ、日本の帝国主義的植民地化を「アジアの解放」と言い切る歴史捏造がさかんにあるくらい)。このような東南アジアへの視線には、明治以来の帝国主義から生じたアジアへの蔑視や差別があるようで(当然自分のなかにも)、どうにも心苦しい。
そこで、本書を読む。執筆が1960年代前半で、ベトナム戦争が始まる前のころ。パンドン会議の開催で東西対立を超克する第三のグループができるのではないかと期待されていたころで、一方これらの国の生産力の低さは「先進国」の援助や支援が必要ではないかと議論されていた。なので、半世紀をすぎてしまうと、当時の現代に関する記述は懐かしくはあっても、参考にはならない。
東南アジアの歴史であるが、現代の国家でいうと、フィリピン、ベトナム、タイ、マレーシア、インドネシアにあたり、執筆時の政治情勢からカンボジアとラオスが重要視されていた。これらの国の歴史を見ようとすると、とてもではないが紙幅がたりない。そのうえ、15世紀ころまでは大小さまざまな王国や民族の覇権争いであり、内部の陰謀であり、平和と戦争の繰り返しであって、なかなかに手ごわいし、興味を持続させるのに一苦労(架空の王国史を楽しむファンタジーを好むのであれば、面白いかもしれない)。インドや中国のような強大な<帝国>ができず、ヒンドゥーやイスラム、仏教、道教などの文化が流れてきて、同化と反発をする。島嶼と山岳のおおいこの地域では、強大な民族や文化が生まれず、「ネーション」意識が生まれなかった。一方東南アジアは中国とインドをつなぐルートにあったので、海上貿易が盛ん。人の移動が頻繁であったのも、ネーション意識の醸成には向かわなかったのかな。
東南アジアが交通の要衝であったので、人が集ます。そのなかには日本人もいた。ただ、人数や交易規模からすると、重要性は低い。この国の技術の低さと鎌倉時代以降(あるいは遣唐使中止以降)の「鎖国」感情に由来するのかしら。あと、このころまでは国や地域では経済格差はそれほどみられない。どの地域でも、同じくらいの生活水準でいられた。
16世紀に西欧が東南アジアを「発見」。西欧は南アメリカやインドの「成功」を東南アジアに持ち込む。すなわち武力制圧、植民地統治、キリスト教布教。現地の事情を全く無視し平和や共存を望まない傲慢なやりかた(改めて西欧の方針をみると、十字軍と同じであることに驚愕。経済的な思惑と宗教的情熱がからみあっていた)。東南アジアでは、組織的な抵抗はあまりなかったようす。ただ西欧も、植民地経営の仕方を変えている。地元民(のなかの上流階層)に統治させるため、選抜してエリート教育をほどこす。
その留学体験をもつ下流官吏軍人層がナショナリズム運動を開始。20世紀になってから(これは中国やインドより遅い)、独立運動を行う。それは1941−45年の日本占領でいったんとまる。日露戦争で西欧に抵抗するアジア国家とみなしていたが、統治のひどさに幻滅し、抵抗運動が始まる。日本の敗戦で権力の空白が生まれ、元の宗主国が統治回復を行った際に独立運動が行われる(例外はフィリピンくらい)。独立達成後は、下層エリートと軍人が西洋化や近代化を進める。このさいに、自由主義や民主主義の仕組みや教育には力を入れず、政治や経済を国家が統制し、ごく少数の階層が統治するシステムにする。これは20世紀半ばの東南アジア諸国によく見られた(ことにインドネシアとフィリピン)。なんということだ、日本の明治維新はこのような東南アジアの近代化の典型にしてモデルであった。なので明治維新を「革命」とよぶことはできず、せいぜいがクーデター。上流階級と下層階級に分断されていた東南アジア諸国では、この差はなかなか埋まらず、民主主義や自由主義の教育と練習が必要。と1960年代にいわれていたが、それから50年たった21世紀の10年代ではむしろ日本の政治参加や社会参加の遅れがこれらの国より遅れているように思える。韓国や台湾でみられるほどではないにしろ、東南アジアの民主化は進んでいる。
日本は20世紀に二回東南アジアを侵略した。前半に軍隊を使った暴力的な統治によって、1970−80年代の経済侵略によって。その記憶と警官があるので、東南アジアにはどうもうまくアクセスできなくて(「上から目線」で現地の事情を無視しがちで、こちらの思惑を押し付ける)もどかしい。