odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

都筑道夫「二日酔い広場」(集英社文庫)

 久米五郎は定年にならずに退職した元刑事で今は私立探偵。娘と妻の乗ったタクシーに乗用車が突っ込み、家族を失ってから、アルコールにのめりこむ。退職したのも公金に手を出したため。知り合いのお情けでぎりぎりの生活をしているニヒリスト。「酔いどれ探偵」の末裔で、浅草近辺に巣を構えている。もう体力はないし、悪夢にさいなまれるしで、自身の生活は自堕落きわまりないが、彼に仕事を依頼するものの生活もまた見かけほど安穏としているわけではないらしい。

風に揺れるぶらんこ ・・・ 弟が妻と不倫にあるらしい、ということで中年男の尾行にかかるがすぐさま発見される。その直後に、兄の部屋で弟の妻が殺されていた。犯人を知っているという匿名者の電話があり、待ち伏せをしたが、空振り。その帰りに妻が遊んでいた大学生の部屋で、学生と兄が相互に死んでいる。まあ、成功者の弟のお情けで生きている屈辱者の兄という図式。時間がたっぷりあり、空想癖の持ち主が考えそうなことだ。

鳴らない風鈴 ・・・ 場末の飲み屋で隣に座った青年にいきなり殴られた。報復すると今度は自分を尾行してくれと頼む。店を出た直後に、青年は射殺された。女に持てて、引き手あまたなのに深入りしないで、うまく浮世を渡り歩いていたのに。青年のパトロン役の女が男の秘密(記憶術に持てる雰囲気)をしゃべる。まあ、手玉にとるつもりが取られて、命(たま)までとられた男の新聞にも載らない悲劇。

巌窟王と馬の脚 ・・・ 昔時代劇で主役を張り、今は落ち目の俳優から依頼が来た。どうも飲みすぎてゆきずりの女を絞め殺してしまったらしい。でも記事になっていない、カムバックに支障が出るから調べてくれないか。捜査に浮かんできたのはスナックのオーナー兼バーテンに、俳優の知り合いの大部屋俳優にその弟でタレント斡旋業者。今のままが良い、というまあドラマやアニメに演劇の重要テーマをそのまま実現しようとして、ひっかかりにっちもさっちもいかなくなった、ということか。あとは過去の名声をきる勇気、凡庸さに耐えることも必要、という庶民の知恵もときには大事、というわけらしい。

ハングオーバー・スクエア ・・・ 成功した実業家は水商売の女と結婚していた。高校生の息子の成績が落ちたのを叱責してから家庭が狂いだす。妻は夜毎、新宿のディスコで男漁り。息子と同じ学校の生徒をひっかけて、遊んでいた。実業家が妻の異常に気づいて久米に尾行を依頼する。その朝、妻はビルから飛び降りた。核家族で父親の影がなく、息子と母の息苦しい関係が背景。赤塚行雄「戦後欲望史 7・80年代」(講談社文庫)によると、この時代から近親相姦(とくに母と息子の)の人生相談が増えてきたそうな。

濡れた蜘蛛の巣 ・・・ 晩婚でそれそろ60歳の夫婦が娘の心配をしている。高校を卒業して勤めているのはよいのだが、金曜と土曜の夜には夜遊びで帰ってこないときがある。匿名の電話で、暴走族のボスと結婚しそうだと密告もあった。久米が調べると、暴走族のナンバー2のところに出入りした形跡があり、ボスは自宅で殺されていた。娘の側からすると明確な事件であるが、親から見ると交友関係がわからなくて錯綜してしまった、というところ。子供の無軌道な行動が真相をわかりにくくした。

落葉の杯 ・・・ 現職だったころに逮捕し、刑期を勤め上げた男が娘を探してくれと依頼する。娘は20歳、水商売をするようになり、どこかで同棲しているらしい。妻は再婚した女で前の妻に似ている。久米は娘の交友関係を洗いながら、娘の行方に迫ろうとする。ここでも、親が息子・娘を理解できなくなったことが苦悩の原因。しかも男の過去の事件に、みながとらわれているのもよくなかったわけだ。

まだ日が高すぎる ・・・ 事務所の電話番をしてくれている未散が殺されたという電話で駆けつける。バッグは彼女のものだったが、死体は別人だった。未散も財布ごと持っていかれて浅草で困っている。未散の友人はソープ嬢(ここではトルコの名が残る)。そのかかわりから事件が見えてくるけど、そのことよりも浅草の風景や水道橋の事務所の風景が秀逸。これは「泡姫シルビア」の事件でもよかったかもしれない。


 1979年初出。主人公・久米は昭和一桁の生まれ。まあ、戦後の第一世代で、目指す規範となるものがなく(というか敗戦で失われ)、空虚を埋めるにも遊びをするほどの余裕がないまま仕事にまい進。長じて家庭を持っても誰も尊敬してくれない、会社も定年になったら見向きもしない、という孤独を体験した最初の世代。久米はほかの同じ世代よりも早く孤独に直面したわけで、逃れる先はアルコールしかなかったというわけだ。ほんと、一人暮らしが長く続くと、ずぼらになり、そしてアル中になってしまう。深刻な事態にはいたっていなくとも、毎夜飲むというのはアルコール中毒症状でしょう。俺はそういう事態にあるから、久米の孤独はそれなりにわかる。あいにく、俺には理解しようとする20代の未散(みちる:祖父が漢学者だそうな。どこかにそういうキャラクターがいたなあ)のような女性はいないけどね。もっとさびしいのか、俺は(苦笑)。
 この短編連作では大体同世代(1980年に50-60歳)からの依頼で動くことになる。そこで観察できるのは、同じ家庭にいながら、理解できなくなっている同居人たちのこと。親の「世間」と子供の「世間」が一致していないので、彼らの交友関係も、行動の理由もわからなくなっている。それが彼らの不安であり、親である自分の自信喪失にもつながっている。もはや戦前のパターナリズムを実行できないし(それを反発し、批判してきた当の世代だし)、1960年以降に生まれたものたちの個人主義やエゴイズムをまねるには共同体から離脱できない。時にはそのジレンマで、自分自身が行動できなくなっている。久米はその代理で動くのだが、彼のニヒリズムとかセンチメンタルに同情的で、親の代わりに親の役割を担当することもある。これは同じ年齢になって読むと、とても親近感があるのだが、もっと若い人だと捜査される側の青少年に感情移入して、久米をうっとうしく思うのではないかな。
 この壮年世代の孤独と空回り、青年世代の無計画ないきあったりばったりの行動、それが組み合わさって事件が複雑化するというのは、西蓮寺の事件でも繰り返される。

 元警察官で中年、妻を亡くし、アパートに一人暮らし、他にすることがなく警察の仕事の延長で今の仕事をしているという設定は、滝沢紅子のシリーズの父だし、ホテル・ディックの田辺だし。酒におぼれるというのは、「酔いどれ探偵」クォート・ギャロンで「妄想名探偵」。浅草を主な場所にしているのも、1980年代のセンセーの作品に多い。というわけで、センセーの晩年の仕事を鳥瞰できるような短編集でした。