odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

都筑道夫「妄想名探偵」(講談社文庫) 新宿ゴールデン街の酒場に都筑版「隅の探偵」。主人公の探偵はなにかのパロディで、ストーリーも探偵小説のパロディ。

 推理作家の津藤は毎夜、新宿ゴールデン街の小さな飲み屋にいくが、そこには得体のしれない男がいる。今何をしているかもわからないし、過去の経歴も一定しないででまかせばかりいっているようだ。でも推理能力が高くて、飲み屋に持ち込まれる事件を解いてしまう。現代の砂絵のセンセーみたいな探偵。

「殺人事件」殺人事件 ・・・ 小劇場の芝居の最中、女優が衆人環視の中で殺された。ジャック・ザ・リッパー役の男優がマネキンに短刀を指して小道具の陰に落とすと、代わりに血糊を塗った女優が出てくるという演出。でも、本当の短剣で胸を刺されていた。アル忠さんは関係者と舞台にいき、事件を再現させるだけで犯人を指摘する。アル忠さんは元刑事とふれて謎を解く。

横丁「横丁」殺人事件 ・・・ 千束の飲み屋街で若い男二人が賭けをした。横丁の端にたって、店一軒ごとに一杯ずつ水割りを飲んでいき、根を上げたほうが3万円と実費を出すという者。その介添えにアル忠さんと津藤がなったので、通りにたっていると、一軒目を出たところで、片方が倒れた。青酸カリで毒殺。さて、衆人環視のなか、どうやって毒を盛ったのでしょうか?アル忠さんは元ポンビキということになって謎を解く。

「探偵小説」殺人事件 ・・・ 売れっ子推理小説家が仕事場でネクタイで首を絞められて殺された。小説家は面会予約制をとっていて、そう簡単に人と会うわけではない。その日は4人の編集者とひとりの知り合いが訪れていた。さて誰が犯人でしょう?動機が見当たらないので、そこを見抜かないと犯人はわからない。アル忠さんは昔作家だから被害者の心理がわかるといって謎を解く。

「完全犯罪」殺人事件 ・・・ 人気俳優がなじみの霊媒師に「呪い殺される」という電話をかけたあと、ヘロインのオーバードーズで死んでいるのが見つかった。もちろん麻薬その他の常習者ではない。さて、彼には故郷に残したなじみの娘がいて、やくざになった友人がいて、結婚を予定している霊媒師がいる。アル忠さんは霊媒師になって謎を解く。

「別冊付録」殺人事件 ・・・ 推理作家の小宮山房子に「別冊付録」とタイトルの付いた実名小説を匿名氏に送りつけられて迷惑していると相談があった。怖いというのでいっしょに車で帰宅すると、小説の通りに当たり屋が現れた。その翌日、房子は自宅で刺殺体になって発見された。しかも房子は男装していたが、そういう趣味はないはずだった。なぜ実名小説を見せ、なぜ小説通りの事件が起きたのでしょう。アル忠さんはボディガードになって謎を解く。

「ハードボイルド」殺人事件 ・・・ 無惨絵や血みどろ絵で名を売ったイラストレーターが殺されていた。その画家は3年前に失踪していて、実家には妻が一人残されていた。プロットが複雑なので、サマリーはやめておく。アル忠さんはピンカートン探偵社に勤めていた私立探偵になって謎を解く。

「殺人事件」盗難事件 ・・・ 語り手の津藤である「私」に殺人現場の写真がとどく。同じものが友人の評論家にも届いた。ゆすり?それとも警告?というわけで、津藤は震えあがる。アル忠さんは元泥棒だからといって、それなら殺人現場を消して面倒をなくしましょうと言い出した。現場は案外すぐに見つかったが、そこには写真と同じ死体があった。これはいたずらだったのにと青ざめる津藤たちをしり目にアル忠さんは捜査を開始する。


 都筑版の「隅の老人」。オリジナル版では話はカフェの隅だが、こちらは新宿ゴールデン街の酒場。探偵はいずれも名無しであるのは共通で、オルツィ版の老人はなにか紐で遊んでいたが、こちらではたくさんの職業を持ち出し、それになりきって事件を解決する。ここはのちの「もどき」シリーズで踏襲される。もちろん素人の集まりだから事件の現場で科学捜査を行うわけにはいかず、聞いた話をがやがやと話し合うことになる。そこらへんは「退職刑事」や「泡姫シルヴィア」と同じ具合。池袋から新宿というのは若いころのセンセーが行きつけにしていた場所で、ここらの風俗描写はなつかしい(のちのホテル・ディック・シリーズほどの緻密さと愛着はないけどね)。
 語り手の津藤がペンネームをなぞっているように(ツフジtsufujiとツヅキtsuduki)、津藤さんの行動パターンは若いころのセンセーのうごきをなぞっている。そういうのはたとえば「猫の舌に釘を打て」「三重露出」などの若いころの作品によく描かれていた。それを踏襲するのはひさしぶり(1979年初出。雑誌連載はいつのことかはわからない)。この後の作人にも作者と思しき推理作家が登場することはあるが(コーコ・シリーズの浜荻先生)、毎晩飲み屋にでていく体力はなくなっていて推理は若い人任せになる。こんなぐあいにセンセーの作品との結びつきを楽しめた。
 個々のタイトルがなんとも人を食っているように(先に辻真先が楽しんでいるのだが)、主人公の探偵がなにかのパロディなのにあわせたか、作品のプロットも推理小説のさまざまパターンのパロディになっている。ま、そんな具合に年季の入ったファンになると、ストーリーと他のところで楽しめる。ミステリ通がミステリ通のために書いたミステリ通のためのミステリー。背景である1970年代の雰囲気を知らないと、退屈する人が出てくるだろうなあ。あと数十年時間を置くと、乱歩みたいなレトロ・フューチャーキッチュ感がでてファンを増やすかしら。それまでは入手難が続きそう。