odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

清水多吉「ヴァーグナー家の人々」(中公新書) リヒャルト死後のバイロイト音楽祭の政治史。ナチス加担の黒歴史をいかに克服するか。

 クルト・リース「フルトヴェングラー」(みすず書房)が同時代の記録であるとすると、こちらは「後世の歴史家(@「銀河英雄伝説」)が記述したもの。フランクフルト学派、とくにアドルノの研究者である著者が40代後半の1979年にバイロイトを訪問したところから始まる(そのあと、ハーバーマスに会ったのだって)。時代は1884年のリヒャルトの死から1979年現在まで。その間にバイロイトがいかに政治的な動きをしたか、翻弄されたかが記述される。主要な登場人物は、ヴィニフレッド・ワーグナーフルトヴェングラー、そしてゲッベルス

 簡単な流れを書くと、
・リヒャルトとルードヴィッヒ2世の死によって、バイロイトは財政難に陥る。それを運営したのは、妻コジマと後半は息子のジークフリード。彼らの周辺に集まった人の中に、民族主義者・反ユダヤ主義者が混じっていたことから(ワーグナーの思想の延長上にあるとみてよい)、ここがナショナリズムの拠点のようになる。一方、ジークフリードは音楽家としては2流(最近は作曲した作品やバイロイトやベルリンで指揮した演奏の録音が出ている)、しかし温厚な性格で音楽家の交友は広い。重要な友人にトスカニーニがいて、1931年のバイロイト音楽祭に招かれる。

・1930年にコジマとジークフリードが相次いで死去。そのあとはジークフリードの妻ヴィニフレッド(元は英国人)が運営を仕切る。彼女の行ったことは、コジマの娘(すでに老人)を追い出すこと、音楽監督にドイツの重鎮を招くこと、そしてナチスとの関係を深めること。その過程でフルトヴェングラーが招へいされる。最初はヴィニフレッドと衝突、次いでトスカニーニと衝突。政治的には無垢なフルトヴェングラーは辞任。それを説得してバイロイトに戻したのはヒットラーの役割。

フルトヴェングラーからすると、粗野なナチスがコンサートのプログラムや楽団員の人事に口を出したり、ナチスの集会に駆り出されるのが嫌だったというのだろう。そのうち、ナチスが自分を広告塔として歪曲した報道をすることにも反発していく。それがベルリンやバイロイトの人事ポストをめぐるいさかいであったり(1935年にトスカニーニNYPニューヨーク・フィルに招へいしようとしたときゲッベルスはベルリン歌劇場の監督に就任したというニセ報道を先に流す。これでアメリカで人気がなくなる)、「ヒンデミット事件」になり、ゲッベルスヒムラーにたいする多数の嘆願や陳情になる。また彼はどこにいってもナチス式敬礼を行わなかった。
<参考エントリー>
中川右介「カラヤンとフルトヴェングラー」(幻冬舎新書) 

ナチスの側からすると、20世紀初頭に生まれた政治団体で、1920年代後半の不況で勢力を拡大したものの、その支持基盤は極めて薄い。国際的な信用もない。そこでかれらは自分らが正当な権力の持ち主であることをでっちあげる。それが第三帝国とか千年帝国とかの命名だし、アーリア人優位のニセ科学だし、ドイツ精神の正当な後継者で保護者であるという政策。最後のところの重要な場所がバイロイトで、1930年代半ばから開戦までは夏に政府高官が大挙して訪れたので、臨時首都ともいわれたのだった。こういう対外的なお祭り政策として有名なのは1936年ベルリン・オリンピックだが、同じくらいの重要性をバイロイトは持っていた。

・あとヴィニフレッドの長女フリーデリンドは20歳の若さでドイツを脱出する。その説得にフルトヴェングラーがかりだされたが、失敗。彼女はトスカニーニの養女となりアメリカにわたる。戦後はイギリスで「ワーグナー協会」を立ち上げる。

・戦争中もバイロイト音楽祭は継続される。その時の主要な演目は「指輪」ではなくドイツ精神を称揚する「マイスタージンガー」。

・戦後はヴィニフレッドを追放して、息子ヴィーラントとヴォルフガングの運営になる。このときワーグナーの演出や人事で、ナチス色の払拭を行った。これはクラシックオペラでは革新的だが、演劇の世界では1920年代に行われていた演出方法であったとの由。

・ヴィーラントは1966年に50歳にもならずに死去。その後は弟ヴォルフガングが継ぐ。彼の行ったのは、ヴィーラント色の払拭。彼と親しかったスタッフを解雇し、ヴィーラント未亡人の一家をヴァーンフリート館から追放した。一方でドイツにとらわれない別国籍の指揮者や演出家を招き、実験劇場に変える。その集大成になるのが1976年「指輪」初演100年を記念したシェロー演出ブレーズ指揮の「指輪」。この演出の詳細な記述がある。同じ演出をプレミエの時に見た吉田秀和の批評が「音楽の旅・絵の旅」(中公文庫)にあるので、読み比べられたし。あとDVDで見ることができるので、こちらもどうぞ。
 さて、記述は1979年で終了。追記するとヴォルフガング・ワーグナーは2010年に90歳で死去。音楽祭の運営は、娘たちの共同運営になる。ヴィーラントの娘たち、ほかの一族は蚊帳の外。
 こうしてバイロイトの歴史を見ていると、政治問題として先鋭化したのはナチスの時代に限るということがわかる。それ以外の政治形態のときには、バイロイトは音楽愛好家、ないしスノッブだけが話題にする程度の意味しかない。「来年の『○○』の指揮と演出はだれ?」「チケットをとれる?」くらいの話題で済んでしまう。
 まあ、それは芸術に寛容な政治体制では音楽家(芸術家)の政治活動というのはさほど影響をもてない、ということかな。ベルリンの壁が崩壊した1989年にバレンボイムバーンスタインロストロポービッチなどが現地で演奏会をしたり、フランコ政権に反対するカザルスが1970年に国連のホールで演奏会を行ったりしても、それは三面記事か音楽専門誌に乗る程度の話題。でも、そのほうが「健全」であると思う。芸術が芸術であることそのことで、政治を変えたり、政治から弾圧されるというのは異常なことだから。


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