odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

吉田秀和「音楽の旅・絵の旅」(中公文庫)

 中年を過ぎた時に敗戦になり、しばらくして渡航が制限付きでもできるようになったとき、この評論家は1954年のヨーロッパにでかけた。ニューヨークのトスカニーニとセル体験、パリのフルトヴェングラー体験などあっても、バイロイト音楽祭が中心であったのだろう。ここらへんの事情は本書にもでてくる「音楽紀行」で読める。で、それからほぼ四半世紀。「指輪」初演から100年たった1976年の記念公演を聴きに行った。ヴォルフガング・ワーグナーの国際化路線を象徴するかのように、100年目の節目の重要な演目には、サヴァリッシュとかスイトナーなどの指揮者やゲッツ・フリードリッヒやエファーディングやヴェルナー・ホルツェーグのような演出家は招かれず、シェロー演出ブレーズ指揮というフランス人キャストで作られることになった。この周辺状況は清水多吉「ワーグナー家の人々」に詳しいので、語らない。のちにBSで放送され、ビデオ、LD、DVDが発売され、このときの演出を動画でみられるようになった。ここはとても重要で、1970-80年代前半は彼の地の演出がいかに「革命的!」であるとか、「奇抜!」「ハレンチ!」とかいわれても映りのわるい写真で想像するしかなかった。で、代わりになるのが評論家のドキュメントや「バイロイト音楽祭」(音楽之友社)などの写真集だった。
 さて、現在容易にみることのできるシェローの演出とブレーズの指揮をどのように評価するのか。それほど詳しく「指輪」をみているわけではないので、自分には判断はない。まあ自分の心象を覗いてみれば、若い時に進取の気勢があったときには(笑)、既成権威打倒、規制撤廃などと考えていたので(笑)、シェローの演出がブーイングを浴びたから面白いものだと高評価。それから四半世紀がたって、もはや進取の気勢は失せてしまったとなると(笑)、今のバイロイトのさらに奇抜な演出にはどうにも乗ることができず、つまりは若いころの演出に共感をもち、それを基準に判断するという保守主義に変貌している。まわりくどいな、要するにシェロー・ブレーズの「指輪」の映像はすごく面白く、ほかの映像をみると退屈するということ。そういう自分を発見することに驚きをもつ。

 それと同じがどうかはわからないけど、1954年の著者40代初めのときにはあれほど現代音楽を聴くことにこだわっていたのに、20年後の訪問時には現代音楽への関心や日本音楽の西洋での受容などの昔の関心をほとんどなくしている。元気なのはリゲティくらいという別の人の発言もあったし、自分のとぼしい知識で1970年代を振り返ってもさほど興味深い創造はなかったなあ。ああちなみに、著者はアメリカのミニマル・ミュージックには関心がなさそう。現代音楽に関心が戻るのはアルヴォ・ペルトを発見する1980年代末まで飛ぶことになる。
 この評論家らしい和声分析や楽曲分析にはとても理解しがたいので、パスすることにして、興味を引いたのはここかな。「これ(引用者注:ワーグナーの芸術)は人生の中に、一般のそれより、高められ、密度の濃い時間を作り出す。つまり特別な、第二の人生を創造する芸術であり、その意味で『人生の芸術化』でもある。人生は優れた芸術の中に、より高度の完成した形で存在することになる(P66-67)」。たぶんこのような芸術と人生のとらえ方は19世紀とか啓蒙時代のもの。自分なりの要約をすると、王侯貴族や教会のパトロンで注文を受けるのではなく、自由に作曲して自由に販売させてくれという自立の要求に正当性を与えるのが「芸術」という観念。それが民主主義と資本主義の後進国であるドイツでは、政治革命と合体してワーグナーニーチェみたいな「人生の芸術化」になったのだろうねえ。後継者がロマン・ロランとかトーマス・マンとかフルトヴェングラーとか。いずれも貴族的な精神の持ち主だよな。それが同じ後進性をもっていたこの国に知識人にも受け入れられた時代があった。代表が丸山真男五味康祐で、批判的ではあってもその枠組みを大事にしていたのが吉田秀和なのでは。同じ後進をもった国の生まれであっても、若い時から生活費の獲得のために働いていたトスカニーニカザルスだと、この「人生の芸術化」という考えには共感をもっていないと思う。なにがあろうと身体を動かして日銭をかせがないといけないという切羽詰まりと、いざとなれば楽器ひとつもって世界のどこでも食っていけるぜえという自信が彼らにはある。その種のリスクとソリューションの能力があると、トポスや民族や国家を抜きに考えるのがむずかしい「人生の芸術化」はうっとうしいものであるのだろう。という妄想をしてみた。
 あとは、古い絵をみる話。グリューネバルトにヴァン・デル・ウィーデン。どちらもあまりよく知らないのでパス。著者は気分を悪くするだろうけど、音楽の描写では第一級ではあるけど、絵画の描写では堀田義衛ほどには至らないようだ、と不遜な感想をもった。凡百な書き手のはるかに及ばない高見にはいるのだけど。人の話によると、1980年代から書いた絵画論が素晴らしいそうなので、自分の評価は誤っているかもしれない。