odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

みすず編集部「逆説としての現代」(みすず書房)

 老舗の雑誌みすずに掲載された対談集。1959年から1970年まで。誰もかれも亡くなってしまったなあ、という感慨にふけり、2011年7月現在吉田秀和が存命という驚き。書籍をめぐる対談は同社から出版された本の販促も兼ねていたのだろう。

芸術と政治――クルト・リース『フルトヴェングラー』をめぐって(丸山真男吉田秀和)1959*1 ・・・ フルトヴェングラートスカニーニをネタに政治と芸術を語る。この指揮者の戦中の情報も少なく、ナチス研究も始まったばかり、ソ連の事例は伝わっていないという時期。対談者は40代前半、のちの精緻な考えを読み聴きしているので、この対談では考えの整理が不十分な印象。
言語・思考・人間――フランス語の世界・日本語の世界(森有正・三宅徳嘉)1967 ・・・ 日本語の乱れがひどいからフランスを範にとって改革できないかという対談。森有正は「日本語は論理的な言語でないから主体が形成されなくてイカン」という主張。彼らの議論は自分の興味を引かなかった。面白いと思ったのは、当時(もしかしたら戦前)のフランスでは初等教育では文章の暗記が必須、ある程度の文章を記憶したら、繰り返し作文。そうすると先人の美しい(と認めた)フランス語の文章を書けるようになる。ときには算数の問題ですら作文になることがあるという。なるほどこの国の古い教育でも文章の暗記と作文というのをしていたなあ。
アメリカと世界――その伝統と展望(斎藤真・田中慎次郎・森恭三)1963 ・・・ キューバ危機について政治学者や新聞記者の議論。時事は面白いところはなかった。興味深いのは、1)アメリカはセルフ・ヘルプの精神がある、2)イギリス国会の議論は、大臣が発言・野党のキャビネット大臣が反論・議員の討論(その間大臣は発現せず)・野党党首のまとめ・大臣のまとめと反論、と進む。2回のまとめで議論が進展した気分になる。アメリカとこの国の議論は大臣と議員の一対一のみ、というところ。
核時代と人間――シラード『イルカ放送』をめぐって(田中慎次郎朝永振一郎・山内恭彦)1963 ・・・ シラードはドイツ生まれの核物理学者。マンハッタン計画のリーダーの一人で戦後反核運動に転じた。彼がイルカからみた人間社会という風刺小説だか論文を書いた。朝永の反核思想を調べるのによい資料になるかな。仙人風の理想論ばかりで、具体的な案がなかったけど。あと、50年たって読み返すと国家の体制変革はありえないという強い信念というかドクサは抜きがたいのだね。
ベトナム戦争をめぐって(野上弥生子本多勝一)1968 ・・・ 朝日ジャーナルに本多が「戦場の村」を連載していたころ。最長老の野上が若々しい感覚を持っているのに驚いた。「私どもは昔ヨーロッパに行っていて、欧州戦争が始まってから避難民としてアメリカに行ったわけですけど、そのとき摩天楼がさん然と輝いているのを見て、平和ってのはなんて美しいんだろうと思うと同時に、これが爆撃されたら案外もろいんじゃないかと思いましたよ(P116)」。あと二人の共通了解として「日本人は民族的体験として悲惨の意味がわかっていない(P121)」。あとアメリカは共産主義に反対するけど、東欧や中国にはなんにもしないのに、なぜベトナムだけ爆撃するのかちゃんと説明していない。アメリカはフランスより火力の点で圧倒的にむちゃくちゃをする、アメリカは占領地に昔の地主を連れてくるのでベトナムの農民からは植民地時代に戻るのではないかと嫌われている、など(グリーン「おとなしいアメリカ人」参照)。
仁井田陞博士と東洋学(川島武宜竹内好丸山真男)1966 ・・・ 中国法制史の学者の思い出と東洋研究について。この国の人は「西洋」で複数の国や民族を一括りにしているが、西洋やアメリカからすると日本・朝鮮・中国は「東アジア」で一括り。
近代日本と陸羯南丸山真男・西田長寿・植手通有)1968 ・・・ 陸羯南全集がでたので、その編集者を呼んでの対談。
科学と人間の未来――G.R.テイラー『人間に未来はあるか』を話題に(湯川秀樹・芦田譲治・渡辺格・大川節夫)1970 ・・・ 生物学の知見と技術が社会に危機を及ぼすのではないかという最初期の本。取り上げているのは、生殖の人工化、寿命延長、脳の外部操作、人間改造(人工臓器、移植など)、遺伝子操作、生命の合成(クローン人間)。1960年代はアイデア段階の技術が多く、ほとんど実用化されていない。そのために議論も抽象的。人間の寿命がなくなったらそれは幸福?みたいな。話者の共通理解はこれらの科学的な問題は科学者集団の中で解決しようということ。せいぜい法律や道徳の研究者の話を聞こうくらい。湯川が研究の一時停止を提案すると、他の科学者は困惑するか話題を摩り替えるか。現場にいるほど仕事のモラトリアムは業績悪化、競争からの脱落を意味するからね。で、1980年代になって実用化のめどが立つようになると、バイオエシックスという考えがでて、科学者集団内部だけではダメよ、政府や市民も介入するよ、というやり方になったが、対談の話からずれるのでおしまいにする。
研究と教育と社会(R.P.ドア・藤田省三)1970 ・・・ この国の教授になったイギリス人との教育の話。

 序でプラトンの対話編をめざして編んだというこの対談集。50年の時間を経ると、ほとんど風化してしまった感じ(こちらの読み取り力が低いせいもある)。もっとも印象的な発言は最長老の野上のものだった。他の現役研究者の発言は物の見方が狭いなあ、自分の仕事や給与などを考慮したポジショントークをしているなあ、という感じ。もっとも登場回数の多いのは丸山真男。困ったことに彼の発言はまず理解できないし、納得もできず。なんかものごとの捉え方がずれているなあ、という印象。こういう鑑賞的態度(@夏目漱石)はよくないけど、とりあえず自分の恥を含めて記録しておく。

逆説としての現代

逆説としての現代