odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

デカルト「哲学原理」(岩波文庫) スコラ哲学風に書かれていて「方法序説」より後退したようにみえるが、林達夫によると教会の弾劾を避ける戦略だとのこと。

 「哲学原理」は「方法序説」第4部以降にデカルトがこれは確実な知識あるいは原理だと「証明」したものを箇条書きにまとめたもの(原本からそうであったかは不明。もう少しあとに編集された本によるのではないかな)とされる。前半第1部には「我思う故に我あり」と、そこから展開される神の証明が書かれている。このあたりは懐かしかった。
 「方法序説」は面白がって読むことができたのだが、こちらはしんどかった。
 これを読むと、デカルトは近代の開祖者みたいに思われているが、実はスコラ哲学の分派あたりという見方も可能だと思う。多くの議論がスコラ哲学の延長でもって語られていて、多くの述語もその言葉であるから。中世のスコラ哲学からデカルトを見ると革新的であるのだろうが、現代から見るとすでに「常識」とされているものの見方や考え方が丹念に、わるくいうと煩雑に書かれている。こちらからデカルト哲学に入っていくことに挫折してしまいそうだ。
 このあたりは林達夫「歴史の暮方」に所収の論文で仮説が書かれているので、参考にすること。スコラ哲学のスタイルで書いたのは、デカルトの戦略であったとの由。上節の自分の推論より、説得的な見方だと思う。
 この本のキーワードは「単純性」と「合理的」ということになる(どちらもこの本に出てくる)。それは神の本性であるからだ。神がこの世界を作ったのであり、神は単純を好み合理的であるから、この世界もその意思が貫徹されているということ。この考え方は繰り返し語られる。第2部になると物質の起源と運動について語られる。今では物理学の範疇にはいるものが、哲学として語られていることがこの時代を鮮明に表しているだろう。中学や高校の科学を思い出しながら読むと、いたるところに間違っているところがあり(物質が無限に分割可能。物質は運動と静止の二つの状態がある。真空は存在しない)、それはホイヘンスなんかが指摘していたらしい。このあたりは、スピノザデカルトの哲学原理」岩波文庫を読んだほうがよいかも(タイトルで混乱しそう)。スピノザの編集と解釈でスコラ哲学の部分が少なくなり、デカルトの方法が形式化されているので。ただ自分はこちらも読むのは辛かった。
 岩波文庫版では第3、4部は邦訳されていない。ここでは地球と生物学について書かれているが、20世紀(半ば)から見ると、幼稚で誤りだらけということだからだろう。デカルトの生きた時代はコンラート・ゲスナー博物学などとほとんど同時期で、実在しない空想の生物も博物学の対象であったし、ガリレオケプラーが直前に発表していたとしても天動説が一般に信奉されていたのだから、そういう情報が反映されていたわけだ。でもそれも含めてデカルトであるのだから、概要だけでもあってよいと思うのだが(ダ・ヴィンチの手記には博物学的記述がたくさんあって、そこが面白い)。この部分は朝日出版社から邦訳が出ていたと思う。
 バターフィールド「近代科学の誕生」によるとデカルトの仕事のうち、自然科学者が継承したのは、デカルト的空間(均質で分割可能で同じ時間が流れている)といくつかの数学。彼の自然科学の方法である演繹は取り入れられなかった。むしろイギリスのベーコンの実験による検証の方法だった。なるほどデカルトのように最初にたてたテーゼが誤っていたときに、事実がそれに合わなかったら事実を拒否する可能性があるなあ。パスカルの「真空」をデカルトが拒否したように。ここはあまり知られていないようなので、指摘しておこう。あと「方法的懐疑」も哲学者は継承して、ここに帰ることをしたのだが(フッサールあたり?)、自然科学者はデカルトのような懐疑は重視していないと思う。

 スピノザデカルトの哲学原理」もあわせて紹介。