著者は、1960年代後半に本郷の古本屋で18世紀の博物学図鑑を入手する(なんと6000円という破格の安値!)。200年を経ても色あせない図版であることにおどろき、以来さまざまな博物学図鑑を手に入れる。その悪戦苦闘ぶりは「稀書自慢、紙の極楽」(中央公論社)で楽しむとして、ここでは図そのものの面白さ、珍奇性に目をみはろう。
15-17世紀の大航海時代の副産物は西洋人が非西洋の文物に強い興味と感心をもったこと。クック船長の地球一周航海に博物学者と画家が乗り込んで以来、他の探検隊の模倣するところとなった(それは「大博物学時代」工作舎に詳しい)。いたるところにでかけて採集を行い、持ち帰り、情報を共有しようと努めた。あいにく移送手段がおとり、飼育方法も確立していないとなると、実物を持ち込むことが極めて困難。そのうえ移動手段も徒歩と馬車と帆船くらいとなると、見ることができるのは限られている。それらの文物を伝えるにはほぼ唯一のメディアである活版印刷によるしかない。
ここでは博物学図鑑の制作に、それこそ命を懸けた人々(画家と出版社)の生涯が語られる。図版の美しさとは裏腹に、資産をすべてなげうった末に極貧に陥り、無名のまま亡くなった人の多さに涙する。なにしろ、19世紀からの「天才」の時代、ロマン派芸術の時代には、オリジナリティと政治的文学的主張が芸術作品に求められたのだが、博物学の図版はそれに逆らうのである。すなわちデフォルメではなく自然の精密な描写が必要であり、オリジナリティや創造性が不要であるから。そのためか博物学図版は大量につくられたが、評価されるようになるのは20世紀の半ばを待たなければならない。1970-80年までの芸術のユニークさや前衛に疲れたときに、これらの「凡庸」な作品の写生やイコンが新しく見えるようになった(それはクラシック音楽で、18世紀の古典派やバロック音楽の再評価と同じ趣味が反映しているかもしれない)。
さて、著者はビブリオマニアであるほかに、海洋生物の採集と飼育、およびマンガ家志望という別の関心をもっている(それぞれの顔は「アクアリストの楽園」角川書店と「漫画と人生」集英社文庫にあるので、参照されたし)。なので、たいていの人には気付かないような周辺事項までをひろって、図を見る目からウロコを何枚も落としてくれる。上記のようにファインアートとは別の価値観で博物学図版をみることであるし、木版→銅板→オフセットへの印刷技術の進歩であり(オフセット印刷が実物に近い色を再現できるようになったのは1980年代になってからで、それ以前のはデフォルメされた色に平坦な発色で見るに堪えない)、画家と手彩色師の職人工房の歴史であり、予約をとってから編集にかかり時に分冊で提供する出版会社の経営方法であり、分冊出版された本を購入者が製本・装丁するという読書の風習であり(自分勝手な製本をするので、バリアントがたくさんできて学者泣かせになるそうな)、図版を切り取って額装してかざる風習なのである。図鑑を語ることで、18-19世紀の上流階級・ブルジョア階級の文化史までもが浮かび上がる仕掛け。この本に大量に収録された図版の美しさにため息をつくことも楽しいことではあるが、併せて普通の歴史書からは生まれてこないこの時代のパースペクティブを逍遥しよう。
そのうえ、ファインアートでは模写は訓練目的を除くと禁忌であるが、博物絵では積極的に模写された。実物がないうえ、複製が困難だったため。そうすると、模写を繰り返していくうちに、対象ごとにイコンが生まれる(ポーズや色使い、デフォルメ具合など)。そこでイメージが固定化されて、のちの人たちはそのイコンに沿ったイメージを強調してさらに広まり、という循環も生じた。この本では、花、鳥、昆虫、魚、貝、サル、ヘビなどをサンプルに取り上げる(「アラマタ図像館」小学館文庫を見ると動植物以外の博物画でも同じことを見ている)。
見ること、考えることのみならず、著者は大量の博物学図鑑を購入し(そこにはこの国の博物図譜も含まれる。それによって江戸時代の蘭学や蘭画の歴史までも書き換えてしまう)、博物画の博物学者にもなった。その結果が、「世界大博物学図鑑」(平凡社)全5巻。魚類から哺乳類までの動物について、実在・想像にかかわらず古今東西の博物学図鑑から図像を集め、浩瀚な解説を書いた分厚い図鑑は圧巻。
(「世界大博物学図鑑」がなんと電子書籍になっていた。全巻集めて税抜き16800円は書籍版より安いぞ。)
http://www.ebookjapan.jp/ebj/title/13910.html
「図鑑の博物誌」では、自前で博物学図鑑を刊行して家財を失い極貧に無くなった数々の人が紹介されている。ヴィクトル・ユゴー「レ・ミゼラブル」にそういうキャラクター(マブーフ老人)が登場するので、ぜひ読むように。
著者は「帝都物語」のヒットで得られた収入を惜しみなく、「世界大博物学図鑑」のための資料集めにつかったという。その金額がいかほどになるか、考えるだに恐ろしい。死後に散逸しないように、慶応大学他に寄贈したという。
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