odd_hatchの読書ノート

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ブレーズ・パスカル「科学論文集」(岩波文庫)

 「パンセ」を読んだことはないので、「考える葦」にも「賭け」にも何かいうことはない。そのかわりに、このような「科学」論文は楽しんで読む。科学に括弧を添えたのは、まだこの時期の一部の科学は哲学の一分野であったから(このように限定するのはたとえば測量術とか天体観測は必ずしも哲学に収まるものではないと思うので)。さて、パスカル1622年生まれで1664年没。下記の論文発表年を見るとおり、非常に早熟なことがわかる。

真空に関する新実験1646 ・・・ 細長いガラス管に水や水銀をつめて、指でふたをしたまま、水か水銀の入った水槽につけて、ガラス管を縦に立てる。そして指を離すと、水や水銀の水位が下がる。ここにできた空所が真空であることを示す報告。それまでは、水や水銀の中の空気か何か特別な物体がそこを埋めるのであると考えられていた。「真空」という概念はあっても、自然界および天界にはないとされる。アリストテレスが「真空嫌悪」の論をなし、プトレマイオスの7つか8つの天界も、それぞれ異なる媒質が埋めているとしていたのであった(それはコペルニクスにも引き継がれた考え)。スピノザの「デカルトの哲学原理」でも、物体の移動を真空嫌悪でもって説明しているので、とてもわかりにくい。それくらいに「真空」はご法度の考えであった時代に、この論文を出すという意義と勇気。

流体の平衡に関する大実験談1647 ・・・ 前掲論文のmaterials and methodsにあたる部分。パスカルは自分で実験できないので、実験の条件を満たす場所にいるペリエ氏に実験を依頼した。その手紙とペリエ氏の報告の手紙。ここで重要なのは1)仮説の構築。「魂も持たず感覚もない自然が怖れを感じるなどということは、とても信じられない(中略)真空に関する怖れに帰せられている事実を、ことごとく、空気の重さと圧力とに帰したい(P32) 」「説得するのに十分な実験にかけていた(P32)」という具合。2)数値で扱える要素を測定。この場合は、水銀の水位の水面からの高さと実験を行った標高を測定している。3)実験結果の保証。そのために、医学博士や弁護士、神父などが実験に立会うようにした。4)仮説の検証。ここは省略。このような方法がパスカルの時代には確立していた。なお、パスカルの文章によると、この時代には地球が球であることは常識(疑う余地のない事実として大衆が認識している状態とでもいおうか)になっていたようだ。

流体の平衡について1653 ・・・ 「空気の重さと圧力とに帰したい」のために、前掲論文の実験をさらに条件を変えて行う。すこしずつ条件を変えていくうちに、実験はついに水の中に入り、なぜ水中の動物がつぶれないかを説明する。同じような記述を読んでいるのだが、すこしずつ設定と条件が変わっていくうちに、「空気の重さと圧力とに帰したい」が大気圧だけでなく、水そのたの流体全体に適用していく。その執拗さ、その精密さ、緻密な繰り返し。

大気の重さについて1653 ・・・ これまで水や水銀を使った実験を空気に変えて行う。結果は同じで、空気も水や水銀のような流体の性質を持つことが明らかにされる。とはいえ、この執拗で冗長な記録を読み通す根気はなくなりましたので、すっ飛ばします。

以上の二つの論文の結論1653 ・・・ ここでようやくアリストテレスの「真空嫌悪」を否定するにいたる。最初の実験の報告から7年が経過。ここから科学的な方法には慎重さと懐疑(自分の仮説や実験結果に対しても)があることがわかる。もうひとつ。昔のギリシャ哲学者ヘロンはサイフォンの原理を利用して山を越える高さでもホースを使って水を移動することができると主張した。しかしパスカルは実験によってある一定の高さまでしか可能でないことを示した。なぜその間の博士たちは間違いを見抜けなかったか。彼らも実験をしたが、高さを変えることに執拗ではなく、「自分たちの見たところから引き出した結論を、自分たちの見なかったものにあてはめ、どちらも等しく真であると考えた」から実証を怠ったのである(P162)。ここらへんはニセ科学の主張者がよくやるので、心に留め置くように。


 という具合に、これを読むと「科学的方法」のかなりの部分を学ぶことができる。そしてそれを記述した人が、23歳の若造であり(失礼)、今から400年近く昔の1646年に完成したことに驚こう。(「水からの伝言」などの粗雑な「実験」(その名に値しないからかっこ付き)なんぞより、パスカルの実験のほうがずっと生き方のためになることが書かれているよ。)
 注意するのは、この実験と論文書きが単なる知的好奇心の発露とか職業の成果物とかではないこと。すなわち、この実験によって「真空」が地上に存在すること、そして「自然は魂を持たない」ことという結論ないし前提がそのままパスカルの生であり、存在証明であるということ。「科学的方法」は彼の哲学を構成する重要な一部であるということ。未分化の状態の科学はそういう知的な営みであったことを思い出そう。18世紀の科学の聖俗分離と19世紀の科学の制度化は、パスカルのように科学を生きることをしないで済むようになった。科学者像は大きく変わったのだ。この転換を認識しておかないと、現在の科学者集団に何を求めるかという意見表明でとんちんかんなことになってしまう。
 あと、1646年の前後にオランダに定住していたデカルトパスカルを訪れ、真空に関する実験について意見交換していたことにも驚こう。デカルトは「真空嫌悪」の主張者であって、パスカルの論に反対の立場だった。あいにく彼らおよびその周辺にいた人はどんな話をしたのか記録していない。残念。この邂逅を戯曲にしたのがジャンクロード・ブリスヴィル「デカルトさんとパスカルくん」(工作舎)。20年前に読み、今は手元にないので、どんな内容だったか忘れてしまった。