odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

スタニスワフ・レム「天の声」(サンリオSF文庫)

 小熊座に観測機を向けていたらニュートリノの信号を受信した。でたらめなノイズだと放置していたら、それは規則性をもっていることがわかった。およそ416時間ごとに繰り返され、二進法で表示されているらしい。人類初めての知的生命体とのコンタクト! いろめきたった合衆国は放置することになっていた核実験観測基地に学者(自然科学に限定しない)数千名を集め、解読する極秘プロジェクト「計画」を実施することになった。これはそのプロジェクトの主要幹部である数学者の記録。

 困ったのは、発信源は漠然と小熊座方面というだけで、具体的な星も生命体もわからない。暗号を解くには、送信者と受信者の双方が鍵をもっていないといけない。あるいは辞書がなければならない。あるいは暗号の周辺の暗黙の前提(生物の特徴とか生活習慣とか風俗とか)がなければならない。暗号解読の得意なエドガー・A・ポーだって、「西洋語で書かれたものでなければ解けません」と念押しして読者の暗号を解いたのだった。月面で見つかった生命体のミイラは解剖学的な情報を集めることでいろいろわかったのだし(ジェイムズ・ホーガン「星を継ぐもの」創元推理文庫)。まあ、法水麟太郎みたいに暗号のなさそうなところに暗号を見つけて解読する「天才」もいるけどね。
 今回はその種の鍵も辞書も暗黙の前提もないので、推測をたくましくし、実験するしかない。最初は、われわれ人類へのメッセージ?から始まり、解読に失敗したことから人類の価値を下げざるを得ない。別の生命体との交信に割り込んだだけ? 送信装置には莫大なエネルギー(超新星爆発)を使うことから、送信者はすでに絶滅しているのでは? メッセージを解読することが宇宙的なIQテストみたいなものではないか? 暗号をもてあそんでるうちに、金属質のものとゲル状のもののなにか塊ができ、なんと内部で化学反応と原子反応を行っているらしい(しかしそのエネルギーは塊内部で全部消費されてしまうので、エンジンやエネルギー源には使えない)。となると、これは宇宙に生命を発芽させるための太古のおせっかいな意思? そんな具合に憶測が積み重ねられるが、ことごとく失敗する。実験で得られたことも意味をなさない。
 1968年の作。外部とのコミュニケーション失敗というテーマは、「エデン」「ソラリス」「砂漠の惑星」と同じ。今作が異なるのは、外部の生命体が姿をあらわさないし、主人公たちに働きかけをしないので、小説のほとんどが大状況に関する思弁であること。動きはなくて、抽象的な議論が進む。ここは慣れている人(哲学書や評論などを読んだことのある)でないと、退屈だろうな。自分もいいかげんに読んでいるので、議論の細部は読了の翌日でも覚えていないくらい。ともあれ、同年に「2001年宇宙の旅」「猿の惑星」のようなSF映画があり、人類と知的生命体のコミュニケーションの可能性は楽観的に考えられた時に、ここまで悲観的であるのはめずらしい。またこのころから人類学が未開民族などの調査方法をする際の侵略的、浸食的な従来の方法に反省が行われたことにも注意を向けておいたほうがよい。
 さて、この計画の思わぬ副産物は、塊を使って任意の場所で熱核反応を起こせることに成功したこと。おりから米ソの核兵器増強と配備が進んでいたので、主人公たちはこの発見の扱いに苦慮する。結果として、主人公たちの19世紀的な「科学者の社会的責任」を考える学者は排除され、命令された範囲のことを忠実に行う学者グループに「計画」は引き継がれる。とはいっても、そのグループも何の成果もあげられそうにないのだが。
 プロジェクトの責任を負う必要のなくなった主人公たちは考える。あのメッセージはさらに高次なところから送られたのではないか? すなわち並行する別の宇宙がこの宇宙に接触した際に送られたものであるとか、いや単なる情報排泄物で意味などもともとないのでは? こんな具合に人類の価値というか位置が相対されていって、懐疑の海に飲み込まれていく。人類の中の個体はほかの個体との関係で自分のポジションを確認し安心するものだけど、類としての人類にはそのような他者がいない。そのために人類の根拠とか存在意義を確かめられないので、宇宙的な虚無感とシニカルな無関心が生まれるのかなあ。
 奇妙で魅力的な「小説」だ。