odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

オラフ・ステープルドン「オッドジョン」(ハヤカワ文庫)

「歩くことも這うこともできない発育不全の赤ん坊が、実は五歳だった。彼の名はオッド・ジョン・・・だが、その子供は高等幾何学を解し、一般相対性理論を論じる恐るべき神童であり、テレパシー、催眠術などのさまざまな超能力を持つミュータントだったのだ! 人間を劣等種族とみなす彼は愚かなる人類により呪詛、疎外されている<超人類>を結集し、新世界を建築すべく崇高かつ遠大な計画を胸に立ち上がった。ホモ・サピエンスにとって代わる、新しい人類によってこの地球を引き継ぐために! 宇宙的広がりの理想主義と、深遠な哲学的洞察を導入した、SFの古典的名作登場!」


 生まれたときから自分が異質であることを理解しているジョン(なにしろ最初の呼吸を意図的に行うのだった)。自分が行えることが他人にはできず、理解されず、その状況にいらだつを感じるところから始まる。興味深いのはジョンは意思の力で持って自分の肉体をコントロールするすべを覚えていくのであって、ここはやはり西洋の心身二元論と心の優位の考えが反映されていることに気をつけておこう。肉体を管理するすべを覚えたら、彼は周囲の人をコントロールする術を身につけていく。彼の興味は、簡単な物理学、哲学、生物学(この場合は生理と発生だ、1930年代の生物学の流行の反映)。そして社会の仕組みと経済、理財のしくみ。特許と新商品の売り込みなどを知り、市場の競争に参加して、当面の生活に困らない資産を得る。彼が次に行うことは、自らを荒野において鍛えることで、人間の文明(火とか道具など)を使わないで生き延びるすべを取得すること。荒野から人間の生活に帰還した後に、同志を集める旅に出る。10名足らずの同士(みなジョンより若く血気にはやる連中だ)を集め、太平洋の孤島で共同生活を始める。人間が介入したときに唖然とするのは彼ら(男女なのだ)が全裸で生活すること。その不道徳さにあきれて/おびえて、あわせて当時の複雑な帝国主義の植民地獲得競争に巻き込まれて、彼らは自滅する。
 上から目線のジョンおよび同士(ニュータイプ)による人類批判はさておくとしよう。最初に興味を引かれたのは、ジョン(英国なら「太郎」なみのありふれた名前)のこの生涯は、イエスの生涯をきしくもなぞってしまったということ。社会生活になじめず、新たな啓示(宇宙とか神のような超越的存在と一気に触れる方法)を得て、修行にはげむ。修行の仕上げは荒野で、社会と隔絶したところで、精神の堕胎をもたらすものと格闘し、克服の後、コミューンを作る。こういう人生を設計するとイエスの生涯に似てしまうのだよな。あるいはニーチェツァラトゥストラ」かな。どちらも人間界で布教を始める前に荒野で修行しているのだ。それはあまりに世界に先駆けすぎていて、社会から抹殺される。そうだよな、ジョンの実験も1967年以降ならありふれたもので、目こぼしされただろうに。
 人間の中の選ばれたものは精神の力に優れ、<超人類>を目指すというのは決してこの小説が最初になるわけではない。それこそ、パウロまで遡れるし、西洋中世の神秘主義者たちの目指したものは、この小説からはなれたところにあるわけではない。通常このような「選ばれた者」という意識は「神秘体験」などの改心がきっかけになり、その後の長い修行や瞑想を必要とする。ここでの新しさは、ごくふつうの家庭でごくふつうの夫婦から現れることで、彼は生まれながらに能力を備えていて彼の行うことは力をコントロールするすべを覚えることだ。もちろんイエスという先行例はあるにしても、こういう偶然に発生をゆだねるという発想は、進化論とメンデリズムを待つ必要がある。こういう人類の超進化を加速するという発想も珍しくは無いものの、シェリー夫人「フランケンシュタイン」、ウェルズ「モロー博士の島」のように人類(のうちの妄想に取り付かれたもの)が自然に介入して人為的に行うというのが過去だった。ここでは、偶然の力のほうが大きく、同じ<超>能力を持つものが集まり共同でことに当たることによって進化を加速できるという発想に代わる。ここには<超>能力を持ったものの孤独と連帯という、社会に疎外された読者が期待する主題が新たに現れる。もしかしたら共産主義運動という意匠を代えた選民思想と共同体思想との連想も働くかもしれない(作者はソ連には批判的であるようだ)。選ばれた人々は精神において優れていても肉体の成熟は遅く、20代になっても10代半ばにしか見えないというのは、「中二病」罹患者にとっても都合がよい。ここら辺は1960年代の「30歳以上は信用するな」スローガンに始まり、ガンダムからエヴァンゲリオンまでのロボットアニメの設定にまで通底するものだろう。
 全体として悲観的なトーンが漂う。<超>人類は人類に共感をもてないし、人類は<超>人類を理解できない。彼らは異物として排除され、進化の種子はつぶされてしまう。ここを1934年刊でナチスドイツの発足、世界戦争の予感の反映としてみることもできるだろうし(その点では同時期のチャペック「山椒魚戦争」に似た立ち位置かしら)、イギリスの悲観的な作家の系譜(ウェルズ、ハックスリーオーウェルなど)を見るかもしれないし、作者の思想を読みとるべきなのかもしれない。いずれにせよ、<超>人類、ニュータイプと人類の共存は、アメリカにわたってようやく実現する(ので、いいかしら。とりあえずクラーク「都市と星」を想定しているのだが。ハインライン「異星の客」では、火星生まれの男が同じようなコミューンを作ったし)。