odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

A&B・ストルガツキー「ストーカー」(ハヤカワ文庫) 見かけは犯罪小説ギャング小説。エンタメの後ろでは「ファースト・コンタクト」の思弁が進んでいる。

 タイトルの「ストーカー」はここでは密猟者の意。原題は「路傍のピクニック」らしいが、タルコフスキーの映画に合わせてタイトルを変えた。映画は見たような、見たことがないようなあいまいな記憶。なので、このストーリーは初めて出会うようなものだった。

 さて、背景がほとんど書かれていないので、断片から推測すると(解説を読むと)、十数年前に地球外の何者かが「来訪」した。それは地球上に6か所あり、「ゾーン」と呼ばれる。そこは軍が管理しているが、「ゾーン」は訪問する人間に思いがけない「罠」を仕掛けているようで、さまざまな方法で死者を出しているのだ。なので、入ることのできる人間は軍人か科学者に限られる。ゾーンにはいろいろ雑多ななにかが置きっぱなしにされているが、それが何なのか、どのように使うのか、さっぱりわからない。ここはスタニスワフ・レム「天の声」と同じ状況。異星の生命体(?)が残したものを人類の経験と知恵は解き明かすことができない。何かアプローチを試みようにも「来訪」した何者かはすでに去っているらしく、コミュニケーションの試みは挫折している。このように最初の接触と相互理解が不可能な状態に陥っている。そこで科学者たちの予想は、「ゾーン」は異星人が地球人に託して残したメッセージではなく、たまたま立ち寄ったピクニックでごみを捨てて行ったのではないか。われわれ人類は、ピクニックのごみに集まるアリのようなものではないか、異星人はわれわれ人類のことは文字通り目に入らない。われわれは宇宙的な知識から閉ざされているし、宇宙的な規模の交通をする可能性がない。まるで孤独な存在なのではないか。そこから原題がつけられた。

 主人公はレドリック・シュハルトというストーカー。軍の監視を抜けて「ゾーン」に入り込み、雑多ななにかを持ち帰るのを仕事にしている。用途はわからない「もの」はときに、素晴らしい働きを人間にもたらす。健康増進とか悪病の治療とか。なので、「ゾーン」から持ち帰ったものは闇のルートで高値で売買されるのだ。そのかわり「ゾーン」に侵入したストーカーは死を覚悟しなければならない。「ゾーン」の「罠」で死んだ者は多数いるし、身体の一部を壊されたものも多数いる。それでもストーカーはなくならないし、レドリックは軍と警察にマークされながらもストーカーをやめない。
 というのも、若い時には「ゾーン」研究所の研究員であったレドリックは、町で拾った女との間に子供が生まれているが、親でさえ「モンキー」と呼ぶように、なにか異常を抱えている。それとはっきり書かれていないが、奇形と超能力をもっているみたいなのだ。手を触れずにコップを動かすような。それでいて、言葉を発することはない。一度、叫び声をあげた時には、だれもが驚くような大声になった。彼の日常は、このような桎梏にあって逃れられないので、危険を生きなければならない。
 「ゾーン」と接触することは、人類にとって良いことなのか、悪いことなのか、その判断はつかないし、「ゾーン」に深く接触したものから最初に生まれた子供=モンキーが希望であるのか災厄であるのかもはっきりしない。たぶんタルコフスキーの映画は希望をみている。それは、映画を観た感想を「案内人(ストーカー)」という小説にした大江健三郎にも共通している(たぶん「治療塔」「治療塔惑星」の基本設定は「ストーカー」のそれをいただいちゃっている)。
 このストルガツキー兄弟の小説では希望があるのかどうかもわからない。映画にあわせてなのか何回か改稿されているようで、1972年から78、80年とコピーライトの年が複数記載されている。ブレジネフの停滞した管理社会がソ連全土と東欧諸国を憂鬱に押しつぶしていたころだ。ゾーンを取り巻く状況はこの国の読者にはフィクショナルだが、その国の人たちにはリアリティあるものだったろう。レドリックは、「ゾーン」の最上級のものである「宝」を取りに行く。その入手が可能だったのか、できなかったのか、あいまいにしているし、「宝」がなんの役に立つのかも不明。人類から「来訪者」へのアプローチはことごとく失敗したまま。
 大きな状況から考えることはだいたい上のようなもの。小説のほとんどは、ストーカーであるレドリックのアングラな商売の様子だ。危険なゾーンに侵入し、何の役に立つのわからないブツを奪取し、酒場やホテルで取引するのが繰り返される。1章だけは、「ゾーン」研究所の監視人の視点で、ここではレドリックらストーカーを監視する側の描写になる。というわけで、見かけはハドリー・チェイスばりの犯罪小説ボリス・ヴィアンばりのギャング小説だ。上のような思弁的な主題が、ありふれたエンターテイメントに隠されているという稀有な存在。ストーリーと主題の落差にくらくらした。