odd_hatchの読書ノート

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ブラム・ストーカー「吸血鬼ドラキュラ」(創元推理文庫)-2 蝋管蓄音機、速記術、タイプライターを駆使して怪奇に挑む。技術革命がキリスト教の信仰強化につながる。

2020/04/13 ブラム・ストーカー「吸血鬼ドラキュラ」(創元推理文庫)-1 1897年

 セワード医師はメモを書く代わりに蝋管蓄音機に吹き込み、ミナは速記術で記録をとってタイプライターで打ち直す。いずれも19世紀末の発明品。記録をとることはとても重要でそのためにツールの開発に人類は余念がなかった。その技術革命が起きていた時期の貴重なドキュメント。

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セワードとミナの手記ほか ・・・ ロンドンでは人さらいが横行していた。教授はなんとルーシーの仕業という。夜、墓地に忍び込み、埋葬部屋で棺をあけると中はから。夜明け直前に白装束の女が墓地に戻ってくる。なんとルーシーであった。ここに至って科学的懐疑主義のセワードも博士の言を信じることになり、ルーシーの夫らとともに「不死人(ノスフェラン)」となったルーシーを退治しなければならない。それは埋葬部屋をニンニク入りのパテでふさぎ、祈祷書を読み上げる中、不死人の胸に杭を打ち込む。動作がなくなったところで、首を切断し口にニンニクを詰めるという凄惨な儀式である。それを行うことによって、不死人の魂は浄化され天使となるのである(キリスト教と土着の迷信をないまぜにし、最終的にはキリスト教の昇天を目指すのである)。
 最初に手を付けたのは、ロシア経由で持ち込んだ箱の行方。いずれも廃屋に移動されたので捜査は困難であったが、教授ら一行はどうにかつきとめる。いっきに隠れ家をせん滅しようという作戦。レンフィールドの症状はさらに進行し、狂気と哲学を交互に語る奇妙な状態になる(魂よりも生命が欲しいというのは当時の生の哲学や生気論などの反映か)。箱の捜査に加わらなかったミナは次第にやつれていく。とうとう、伯爵がレンフィールドの前に現れて手先になるよう命じられたが、拘束されていてはなんともしがたい。瀕死の重傷を負って告解を聞いているさなか、ミナの部屋が騒々しい。伯爵が闇に乗じて現れ、ミナの首筋に二つの刺し傷を残す。
 教授は聖餅をミナの額に押し当てると、悲鳴とともに傷が残った(穢れの印。ダンテ「神曲」煉獄編でダンテにつけられた額の罪の印)。教授らは見つけた箱に聖餅をいれて、伯爵がつかえないように浄化する。ある屋敷で待ち構えているところに、伯爵登場。一行は切りかかるも、伯爵はすんでのところで逃げおおせる(ここの歌舞伎風の大科白は訳者平井呈一の楽しんだところ)。ミナが催眠術をかけろというので、術をかけると、船に乗っているらしいという。伯爵は最後の箱といっしょにトランシルヴァニアに逃げ帰るところに違いないと、教授は推測する。


 教授らと伯爵が体面するのは創元推理文庫版で440ページを過ぎてから(全体で550ページ)。これだけ悪役の登場を後に伸ばし、緊迫感を持続したのは素晴らしい手腕。その間の動向はレンフィールドの口によってあいまいに語られる。今世紀の作劇法からすると、レンフィールドを予言者だけにしたのはもったいなくて、伯爵と一緒に活躍させてもよかろう(というかキング「呪われた町」、マキャモン「奴らは乾いている」にはそういう人物が登場)。
 さて、伯爵の独白やヘルシング教授の調査によると、伯爵(中世の生まれだろう。地方城主が富と権力をもっていたから12-13世紀以降だ)は聡明な男子であり、知勇に優れていた。それがどうしたわけか吸血鬼の毒牙にかかったか心身一体の存在になったか。以来、周囲の人間の生命を奪うことによって、生き永らえ、それは条件が許せば未来永劫続く(まあ人類滅亡と同時に滅びるだろう)とされる。
 吸血鬼のイメージは悪魔(それも民間伝承の)のイメージを引き継ぐ。悪行の化身であり、人間を誘惑して堕落させ、永生を約束するといいつつゾンビのごとき生命と魂を奪われたものとする。いったん吸血鬼=悪魔と触れると、吸血鬼=悪魔の悪は身体に刻印となってのこり、聖なるものから拒絶される。身体的には聖餅などの聖遺物が危害を及ぼすようになり、内面においては神の威光から拒絶される。ヘルシング教授も「ドラキュラは神に背いたやつだ。神はあいつに味方はなさらない。我々の勝利はわれわれが神の子なるがゆえだ」という。信仰が吸血鬼退治のキーポイントになるわけ。
(吸血鬼との接触は一回だけでも悪の刻印をのこすというのは、聖書の業病の記述と一致し、そこに差別的な感情が入り込むので注意しないと。本書でも吸血鬼は男性であり、その被害者は女性ばかりであるところに、女性蔑視が潜んでいる)。
 読者からすると、吸血鬼の誘惑を拒絶すること、聖なる物(十字架など)を身に着けることのインセンティブが働く記述であり、怪奇を扱いながらも(オカルトや超常現象を肯定的に扱う)、キリスト教の信仰強化につながる。そういう文脈で、吸血鬼小説は読み継がれてきたのだろう(狼男や魔女、泥人形などの怪物小説は大きなジャンルにならないことはその裏返し。これらの怪物には悪魔めいたところがないし、信仰を揺らがせるような象徴をもたないからね)。
 平井呈一訳では、ヘルシング教授は「~~じゃよ」の博士言葉を使い、伯爵は江戸弁などを駆使する隠居じいさんのようなキャラクターになる。地の文も快調な講談風。ことに剣劇や格闘になるほど草紙趣味がでてくる。たぶんゴシックロマンスの晦渋重厚な文体とは無縁。資本主義の中心ロンドンと西洋の辺境トランシルヴァニアという異郷の物語というより、江戸の小旗本に起きた怪異と復讐の伝奇小説になってしまう。それがこの国の読者には好影響になっている。これは平井の仕掛けたマジックで、ほかの人の訳ではこれほどの読みやすさにならなかっただろう。

 

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 2020/04/09 ブラム・ストーカー「吸血鬼ドラキュラ」(創元推理文庫)-3 1897年