西洋由来の科学を大学で勉強したり、西洋クラシック音楽を聴いたり、多くの小説を読んでいたりすると、必然的に(自分にとってはという限定付きで)「ヨーロッパ」という場所に興味を持つことになる。とはいうものの、多くの場合はそこに住む人々の集合の差異を検討するものになりがちであり、あるいはここの人々の集合のことだけを検討するものである。つまりは、「イギリス」とか「ドイツ(などという国はせいぜい200年の歴史しかもたないのだが)」という各国史か、それらの文明や国民比較になってしまうのだ。古いランケの書いた「世界史概観」(岩波文庫)が、「世界史」と名づけられていてもほとんどイギリスとフランスとドイツの歴史に終始していたことで彼らの場所の認識の仕方がわかる。19世紀末にはニーチェ、ロマン・ロラン、トーマス・マンという知識人がさかんにイギリスとフランスとドイツの比較をしていたのも、「ヨーロッパ」という大きな広がりを持つ場所への意識が薄かったことを示しているのだろう。
著者はポーランド出身で、フランスに移住して歴史研究をしている人。ポーランドは辺境の地であり、またドイツとロシアの重圧下にあり、ユダヤやロマ(ジプシー)などの異邦の人が多く住む地であった。そこに住んでいるあるいはその地の人々の血を引いているということで、著者は単純に「国家」あるいは「民族」に基礎を置くような思想を持たなかったといえる。そして、1980年からの民主化運動によって、自身が亡命するという事態に遭遇することも、そのような視点をもつことを助けたことになるだろう。
面白い指摘は、「ヨーロッパ」は自由に交通できた時期と、民族あるいは国家によって分断された時期を交互に繰り返しているということだ。前者にあたるのは、ローマ帝国の時代であったり、中世の小王国が分離独立していた時期(北ヨーロッパでギルドや都市の自治が行われたころ)であり、ロココ期の絶対王政の時期(いくつかの王家が国をまたいだ婚姻を繰り返していたり、バッハやハイドンやモーツァルトらがオファーに応じていろいろな場所に就職していたころ)。この時代には、国家という概念があっても制約的なものではなく、コスモポリタニズムの考えが優勢だった。その合間の時期には、国家の独立や国家間戦争が起こり、人の行き来が制限されていた。もしかしたら、そのような独立国家が競争する時期というのは「ヨーロッパ」では特異的であるのかもしれない。
注意するのはここでいう「統合」はかなり広義であって、文化的な共通性(中世からルネサンスのキリスト教文化、17-18世紀の知識人文化)を見るという観点。その一方では、同じ時期に国家のせめぎ合いや排除型民族主義があったりするので、統合の時期といいながらもヨーロッパが一枚岩であったわけではない。そこは、中国やイスラム圏のような<帝国>ができて、さまざなま民族が帝国に従属するような歴史を持った地域とは異なるところ。
20世紀はもちろん国家間競争が行われた時代であるが、後半からは統合に向けた動きが起こり、1990年よりあとはさらに加速されている。その一方、とくにイスラム系の民族が独立に向けた過激な運動や紛争も始まっているのであり、統合に逆らう現象も起きている。統合の後も、経済の格差が生じて、統合に不満も持つ人々も生まれている。
もちろん、EUのような超国家が「ヨーロッパ」を指導することにより、「国家」の意義が薄れ、より小さな「地域」に意義が高まり、紛争が解決するとするようなアイデアもあるらしいが(梶田孝道「統合と分裂のヨーロッパ」(岩波新書))、ものごとはそう単純であるとも思えず、著者の分析に感心しながらも夕暮れに飛ぶミネルヴァの梟のごとく、熾烈な現実を前にして途方にくれてしまう、
2002/12/18
(続く)
2014/03/10 クシシトフ・ポミアン「ヨーロッパとは何か」(平凡社ライブラリ)-2
2014/03/11 クシシトフ・ポミアン「ヨーロッパとは何か」(平凡社ライブラリ)-3