odd_hatchの読書ノート

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クシシトフ・ポミアン「ヨーロッパとは何か」(平凡社ライブラリ)-2

 副題は「分裂と統合の1500年」。「ヨーロッパ」という場所は、ローマ帝国以降に生まれたという考え。
 ヨーロッパというくくりで1500年の歴史を見るのが斬新なみかた。ヨーロッパをイギリスからポーランドまで、北欧三国からイタリア、スペインまでとみて、そこの共通性を見ようというわけだ。その視点だと、イギリス・フランス・ドイツ・スペインというヨーロッパの中心(過去と現在の)には差異がそれほどみられない、むしろ隣接しているがヨーロッパではないロシアとギリシャ、ヨーロッパの系譜にはあるが国家の仕組みが異なるアメリカはヨーロッパではなくて、それらとの差異が強調される。
 そうしてみると、ヨーロッパには全域をおおう帝国や中央集権国家ができなかった、しかし文化的な統合があったというのが特徴になるだろう。これはアラビアや中国やインドであると、強力な帝国や中央集権国家が覇権をもち、それが衰退すると小国が争って次の帝国や中央集権国家が生まれる。それらの地域ではネーションはステートの下にあり、覇権を持つネーションの迫害を受けることになる。周辺国は帝国にのみ込まれるか、属国になるかしかない。そういうアジア的封建主義との差異を念頭においておこう。そうすると、ヨーロッパはなぜネーションとステートがだいたい一致しているのか、なぜ帝国を生まなかったのか(神聖ローマ帝国はまあ名目上の帝国にすぎない)、あたりを考えながら読むことになる。
 この本に従って「ヨーロッパ」の歴史をまとめてみよう。

・「ヨーロッパ」という概念が生まれたのはそれほど昔ではない。ローマ帝国の時代ではローマ市民と彼らを分ける境界線(リメス)があり、境界線の「外」にいる者らは異民族(バルバロイ)だった。5世紀ころに彼ら異民族は移動を開始し、ローマ帝国を滅ぼす。異民族はローマの知的・公共遺産を活用せず、文明は衰退した。変化が訪れるのはキリスト教への改宗が進むことと、文化的統合(同じ宗教、書き文字など)を共有していくようになったこと。異民族の移動は10世紀ころに終了し、そこから人口増加と農地開拓が進む。ペストで人口減があっても、文化が衰退することはなかった。
※ ペストの影響は村上陽一郎「ペスト大流行」(岩波新書)が参考になる。
・12世紀から16世紀までヨーロッパの統合が実現する。これは宗教的文化的な統合。トルコの脅威があったにもかかわらず世俗権力が統合されることはなかったので注意。この時代の特徴は封建社会身分制度。大多数の農民は土地やネーションから離れることはなかったが、商人・聖職者・騎士・学生や教授などは自由に行き来していた。そこでスコラ文化(聖職者)、騎士文化、市民文化(商人、職人など)の文化がそれぞれできた。あと、イスラムとの接触によって古い本を翻訳し研究するようになる。ルネサンスとユマニスムの時代。
※ イスラムとの関係は、橋口倫介「十字軍騎士団」(講談社学術文庫)や村上陽一郎「科学史の逆遠近法」(講談社学術文庫)など。
・宗教的統合は宗教改革と対抗宗教改革によって崩される。16世紀には国内で新教と旧教の争いがあり、ヨーロッパは4つの宗教地域に分けられ、17世紀には国家間の戦争がおきる。それにともない、経済や軍事、世俗権力の中心がスペイン、ポルトガルネーデルランド、イギリスなどかつての周辺に移動する。
・16-17世紀は再び文化的な統合がなされた時代。今度の文化は「文芸共和国」と呼べるもので、文芸と哲学と科学が中心。宗教による結びつきではなく、知識人(がいたかどうかはおいておくとして)同士のつながりとメディア(パンフレットや手紙、書籍など)による結びつき。この時代が哲学の誕生と科学革命の時代であったことに注意。また、宮廷、サロン、フリーメーソンなどが人々の国家や民族にとらわれない結びつきや交流を実現した。
※ 当時の文化的統合の様子は、たとえば渡辺一夫「フランス・ルネサンスの人々」(岩波文庫)、同「ヒューマニズム考」(講談社現代新書)ハーバート・バターフィールド「近代科学の誕生」(講談社学術文庫)あたりで補完できる。
・同時期の近代国家(王政、封建制)は、複数の勢力関係において戦争で国家の維持をすることになる。兵器の近代化(銃器、歩兵など)は資金が必要であり国家の近代化(税制改革、官僚制、中央集権制など)を必然的にもたらす。しかし、国王と顧問官の中枢に権力が増大することは、貴族の利益を損ない、重税や新規税の導入は平民、農民の反抗を誘発する。国家の力の増大は、一方で国家の基盤を揺らぐことになる。また大航海時代イスラム世界との戦争はヨーロッパの範囲をアメリカからロシアまで拡大する(しかしアメリカとロシアの政治体制はヨーロッパとはいいがたく、緊張関係があった)。
※ ロシアがヨーロッパの外にあるというのは、外川継男「ロシアとソ連邦」(講談社学術文庫)などのロシア史を参考に。アメリカとヨーロッパの緊張関係は安武秀岳「新書アメリカ合衆国史1 大陸国家の夢」(講談社現代新書)あたりで。
フランス革命の影響は、まず革命の輸出と戦争で現れる。フランス革命は普遍を実現するという観念のフランス民族主義ナショナリズム)を発生したが、革命に触れた諸国家は国家の体制はそのままに民族主義を生み出した。民族主義と戦争は、さらに国家の近代化・市民化を起こし、フランス以外の国の改革(軍事化と資本主義化)をもたらす。また、革命の民族主義は理性の普遍主義や啓蒙主義をすて、民族や個人の主観性が優位であるとみなした。その運動がロマン主義運動。そこでは18世紀には興味をひかなかった宗教と歴史(および神話)の関心を生み出す。

 まず500-1800年まで。部族が定期的に移動するときには統合がうまれず、定住するようになると統合するというのが古代から中世にかけてのヨーロッパなのかしら。自分の妄想だと、ヨーロッパ(本書に即するとローマ帝国の境界線(リメス)の向こうは深い森があって、人が簡単に住める場所ではなかった(日本の森のように果実が取れるとか漁猟ができるというわけではない)。それにヨーロッパの農業は焼き畑農業であって、一年を経過すると移住して新たに開墾したのもあるだろう。 高校の世界史教科書を思い出せば、中世に三圃農業ができ、鉄の道具が普及するようになってから、ヨーロッパの農業生産性があがり人口が増加するようになったのだね。
 それまでは、ヨーロッパは技術でも生産性でも知識でも「遅れた」地域だった。それが変化するのは、トルコによってスペイン半島や中欧地域が占領されたり、十字軍遠征が行われたこと。小さな貿易はあっても、イスラムの文化や習慣は知られていなかった。多くの人(とくに貴族や僧籍者)がそれに触れたことに文化的な衝撃を受ける。アラビア語の文献を持ち帰って、翻訳するところから、ヨーロッパの知的レベルがあがっていく。
2013/12/03

(続く)
2014/03/11 クシシトフ・ポミアン「ヨーロッパとは何か」(平凡社ライブラリ)-3