odd_hatchの読書ノート

エントリーは2200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。

クリストファー・ヒル「レーニンとロシア革命」(岩波新書)

 原著は1947年にイギリスで刊行されたもの。歴史の出来事をある特定の個人に焦点を当てて記述しようというコンセプトのもので、これ以外にはナポレオンとフランス革命などというのも岩波新書に翻訳されていた。まだ高等教育を受ける人が少なく、一方大学進学をあきらめた人の知識欲が高かったので、このような大学教養課程に相当する教科書が必要とされていたのだろう。これを教科書にしたのだとすると、当時の著者たち大学教育者の考えていた知識のベースは相当に高かったことになる(それに読者が答えたかは別にして。たぶんしっかりと受容していた)。単純な出来事の記述ではないので、多少の経済学や政治学、歴史の知識を必要としているから。もしかしたら政治活動の経験も想定していたかもしれない。20歳前の自分には歯ごたえがありすぎ、理解には程遠かった。
 さて、当時はスターリン存命中。またソヴィエトのできごともほとんど伝わっていなかったし、チャーチル鉄のカーテン演説の前ということも合って、ソヴィエトに好意的な書き方になっている。当然、1920年代前半の農民収奪も、1930年代の粛清も、スターリントロツキーの政治闘争も、1940年代の稚拙な軍事行動も書かれていない。共産主義国家の計画経済成功の裏側にあったことは一切触れていない。資料がないのだから、仕方がない。そのような弱さを差し引いても、なかなかよいロシア革命の記述だと思う。ポイントはそこに書かれていないことを後にわかったことからどのくらい読み取るかということ。
 いくつかを箇条書きに。
レーニンは革命の指導者であったことはなかった。これはハンナ・アーレント(「革命について」)と同意見。彼は革命浪人の論述家であって、運動を指導する経験は乏しかった。彼の行ったのは革命の運動に乗じて、ボルシェヴィキの指導者になりあがり、ソヴィエトの革命を簒奪したのだった。彼のやり口は、腹心の部下や心酔者をソヴィエトにまぎれこませて、レーニン支持の決議を行わせ、形式的に下からの要請で政治権力を獲得していった。
日露戦争はこの国では日本の軍事勝利によって「勝った」とされているが、それは少し過大評価の気味がある。奉天日本海の会戦のあとのこう着状態ののちに講和ができたのは、むしろモスクワやペテルブルグの労働・反戦運動の結果で、内乱の予感があったために、ロシアが講和に応じたのだった(日本海海戦から停戦まで数か月のタイムラグがあることに注意)。このあたりはこの国の歴史書には余りかかれない。
・ソヴィエトという新しい共同体が自然発生していたのが、1905年あたりからということ。この運動にはレーニントロツキースターリンも関与していない。どうやら各所で自然発生、偶発的におきたらしい。おそらくソヴィエト成立にかかわった運動家はのちに消えてしまったのだろう。このような自発的な政治グループが革命に決定的に重要だということは、フランス革命アメリカ独立戦争(いまは The American Revolutionと呼ばれるようになったのだって)でも同様であった。大陸の革命ではこの自発的、民主的なグループは簒奪されたりして、権力を別の政治グループに奪われることになった。アメリカはそうではないらしく、現在に至るまでのアメリカ的な民主主義の基本になっている。ここらへんは興味深い。この国だと、そういう自発的、民主的な政治グループが自然発生的に生まれたという経験にとぼしいかな。唯一は自由民権運動の憲法起草グループくらいか。そこに色川大吉あたりが注目したということになるのかな。
ボリシェヴィキの失敗は、彼らの掲げたビジョンがどのくらい達成されたかを客観的に評価する機構を持っていなかったこと、彼らのパフォーマンスを評価する機構を持っていなかったこと。中央部の自画自賛演説と、事実を糊塗した地方の報告があるのでは、組織の健全化と柔軟性を維持することはできない。そのような評価システムを内部に持つことのできない組織が官僚化し、秘密警察をつくり、密告を奨励することは必然だったのだろう。そのような組織の健全化を阻む傾向は、レーニンにもトロツキーにもあり、結局は最初から間違っていたということになる。