odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

アーサー・ランサム「ツバメ号とアマゾン号」(岩波書店)  親が見えないように監視する子供たちの夏季休暇。イギリス上流階級向け児童文学のテーマはいかに子供が紳士(ジェントルマン)と淑女(レディ)になるか。

 小学5年生のときに読み、中学を卒業するまで繰り返し読んだ。そのあとずっと品切れ状態。ようやく少年文庫で出始めたのがうれしい。今回は1990年代の世界児童文学集の29巻を読んだ。

 ウォーカー家の兄弟姉妹4人は夏休みで、たぶんスコットランドの田舎に行く。そしてようやく駆逐艦乗りの父が承認したので、子供たちだけで湖の無人島でキャンプすることになった。期間は一週間。その一週間で、探検、冒険、海賊との出会いと同盟、フリント船長の船の奪取、そして嵐を経験する。そして次の冬休み、翌年の夏休みに再会しようと約束する。そのような少年少女たちの冒険の背後では、湖の屋形船での盗難事件と盗まれたトランクの捜索という大人の物語もある。全部で600ページあるが、一度ページをめくったら、最後までやめられず寝不足の夜を過ごすという至福の時を経験できる。
 今回の冒険では湖の全貌を把握するには至らず、次の巻で「北極」に行ったり、山奥の「ジャングル」を探検することになるだろう。この小説では12歳くらいと思われるジョンものちの巻では15歳くらいにまで成長し、心ならずもドーバー海峡を深夜に横断する冒険に直面することになるだろう。ああ、たくさん楽しみが待っている。
 ウォーカー家は軍人の家庭。たぶんアッパークラスの人々。なので、田舎に別荘を持ち(もしかしたら母の実家かそれとも親類の家か)、子供たちに小型の帆船を買うくらいのことができる(まあ、親爺が自分のためにもっていたのを子供たちに貸し与えたのだろうけど)。そういう余裕のある家。これが、もっと労働者階級に近くなると、フィリパ・ピアス「トムは真夜中の庭で」(岩波少年文庫)のように、夏休みに田舎に行くということができず、都市のはずれの田舎町で親類の監視の元に暮らさないといけない。ともだちもそう簡単には作れない。なにしろ共通の趣味やスポーツがないからね。この国の子供となるとまた別で、「ツバメ号」とほぼ同時期に書かれた佐藤紅緑「ああ玉杯に花うけて/少年讃歌」(講談社文庫)となると、田舎に行くどころか町からでることすらできない。子供たちだけでキャンプするのはまずなくて、日帰りの探検にでかけることがせいぜい。いや学校が休みでもこの国の子供は働きもしていたのだった。もちろん、加藤周一「羊の歌」のように別荘を持っている資産家の子供のいたのだが。ここらへんの子供の境遇の差異は面白いねえ。
 というのも、ランサムの「ツバメ号」シリーズの主題は、いかに子供が紳士(ジェントルマン)と淑女(レディ)になるかということだから。親の厳重な監視下にあるとはいえ、子供たちだけ(ここでは7歳から12歳くらいの4人)でキャンプすることをゆるしている。3回の食事は全部子供たちだけで用意し、船の整備、キャンプ地の掃除、火の始末、全部子供らにまかせる(書かれていない前年の夏休みでは父が彼らにキャンプの仕方を教育したのだろう)。屋形船住まいの気難しい隣人とのトラブルにも、親は積極的に介入しないで、子供たちの意思を尊重する。子供たちは生活の自立方法を取得し、他人とのコミュニケーションを図り、トラブルを自分で解決することになる。そうやって、徳とか規律とかマナーなどを自分で発見して、自分のうちにルールを確立していく。こういうのがたぶん英国のジェントルマン教育なのだろう。その描き方がとても面白かった。蛇足を言えば、夏休みを終えて子供たちが戻る学校は、同世代の連中だけが同宿し、謹厳な教師が私語も許さない授業をする寄宿制なのだ。そこには、この小説のような自由と自立はまずないとみてよい。1930年作。
 子供の時に読んだのは、この厚い大きな本。

 1980-90年代はランサムの本は軒並み絶版で、高い古書値をつけていた。手に入るのはこれくらいだった。

 今入手しやすいのは、この軽装版。