odd_hatchの読書ノート

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加藤周一「羊の歌」(岩波新書)

 「羊の歌」というのは、著者の生年である1919年が羊年であるからの意。本文中に羊は出てこない。むしろ著者の姿勢は、群れを作り集団で行動する「白い羊」とは別のあり方を示す。むしろ99匹が家に戻ったにもかかわらず、荒野をさまよう一匹の黒い羊であるような。
 さて、1920年代を青春時代にした人は、その時代の自由とか民主とかを肌で感じることになった(伊藤整湯川秀樹今東光など)が、1930-40年代を青春時代にした人は、彼が知的に優れているほど社会や国のありように違和を感じ、衝突し、絶望するという経験をすることになる。なにしろ勉学の途中であっても、いずれ召集され戦地に赴き、無駄な死をするか、無辜の命を奪うかもしれないことを意識せざるを得ないから。この時代の知的青年の自伝というと堀田義衛「若き日の詩人たちの肖像」、山田風太郎「不戦派戦中日記」などがあり、いずれも緊張感にあふれた一級の資料になっている。ぜひとも若い大学生はこれらの書を読んでほしい。たしかに当時の大学進学率は低く、知的に優れたものだけが選抜されていたとはいえ、初年時において英独仏の原著を自在に読むことができるというのは、すごい。

・この人は医師の子供として生まれる。面白いのは祖父が有数の企業家で20世紀初頭に大きな会社を興した。昭和の不況でほぼすべての業種が赤字になり、借金して投資した事業がさらに負債を大きくしていく。太平洋戦争開始の直前にはほぼすべての財産をなくしていた。息子の父は医師になったが、企業努力をほとんどしないで家にこもりっきり。三代目の著者は、ほかの子供と遊ぶことがなく、本を読んでばかり。ときに田舎にいっても地元の子供たちとは交友がなく、10代の中等教育では授業内容に退屈していたという。家の栄光と没落はヴィトゲンシュタインを見るようだし、著者の孤独と瞑想癖というのはモンテーニュを思い出した。
・というわけで、彼は自分を「観察者」「第三者」「懐疑主義者」「合理主義者」と規定する。要するに何か(宗教とかイデオロギーとか組織のヴィジョンとか)に熱中・同化することができず、醒めた眼で観察し、その意味をさまざま立場で確認検証するというわけだ。おもしろいのは敗戦直前の新聞に関することで、それまで「ポツダム宣言」に対し無視・黙殺と表現されていたものが1945/8/10から「国体護持」の言葉に変わったことで敗戦を予感するという記述。
・この人は一高から東大医学部に進学する。それは山田風太郎と同じ。面白いのは同時に仏文科にも顔を出していたということ。講師が中島健蔵渡辺一夫辰野隆あたりで、クラスメイトが中村真一郎福永武彦森有正など。これと前掲の堀田の小説と合わせると、当時都内にいた仏文学生の交友関係がほぼ網羅でき、そのほとんどがのちに文筆家になっているという壮観。このようなグループというのは、のちにあったのかしら。今行われているのかしら。
・医学部血液学教室にいたことで、敗戦直後の広島調査団の一人になった。そこで多数の被害者を診察し、治療標本を作り、急性放射線障害と熱線障害の研究を行った。また、海外文献が入手できなかったためにこの国の血液学研究がでどれくらい遅れているかがわからない。米軍に許可を得て、図書館に入りびたり、10年の遅れを取り戻そうとする。アメリカでは形態学的研究から生化学に移っていた(たとえば血液凝固メカニズムの解明とか)のにショックを受ける。このような科学の遅れには若い研究者は敏感であったはずだ。若い日の柴谷篤弘とか渡辺格とか。
・同時に、中村・福永らと「1946文学的考察」という文学研究書を発行。この本に即すると、私小説プロレタリア文学も要するに戦前の文学には大きな欠点がある。西洋文学をもっと研究してその成果を文学に取り入れよ、古典を読め、もっと文学者は勉強しろ。という叱咤激励。こういう研究書が20代半ばあたりの人からポンと出てきたのが、戦後文学の面白いところかな。しかも一人は医師でもあるというミスマッチ。
・敗戦後、講和条約まで、この国の人が海外に出ることはまずできなかった。その中で著者はチャンスをものにし、フランスに留学する。面白いのは血液学研究で行きながら、記述はむしろ文学と音楽と史跡とキリスト教のこと。そこで西洋vs東洋(というか日本)を比較する思考に没頭する。その結果が「雑種文化」に結実。西洋の文化が狭く深くの「純粋種」であれば、この国のは広く浅くの「雑種」であるという認識。たぶんその考えと、誰かが言っていたこの国の文化は輸入ばかりで、しかもこの国向けに変容させ本来あったものとは全然違うものにしてしまうという考えにはそれほど差がないかも。フランスやドイツやイギリスなどをひとくくりにできるのかとか、中世と近代をいっしょくたにしてよいのかとか、著者のような図式化した比較文明論は自分には首肯できるところは少ない。とはいえ、著者の同世代とその少し上の世代は、国家や文明の比較は重大な問題だった。「続・羊の歌」には吉田秀和が登場するのだが、彼のとくに若いころの著作では東西の文化や芸術の比較と東(アジア)は西を理解できるのかという問題がよくでてくることを思い出す。奇妙なことに、その次の世代になると(すなわち敗戦を幼少時代に経験したもの)、この種の問題意識は消えてくる(大江健三郎とか井上ひさしとか筒井康隆とか、あるいは小澤征爾とか)。あと、著者の上の世代である和辻哲郎「風土」に痛烈な批判をしている。自分はこの批判にほぼ同意。
・この記述の奇妙なところにも注目。自伝を書くとき、ノスタルジーとか郷愁とか昔はよかった式のセンチメンタルな気分が生まれやすいのだが(大岡昇平「少年」、堺利彦「自伝」など)、この本にはまずない。自分の経験、家族のことですら突き放して怜悧な観察をして、明快な分析を施していく。ときに郷愁はあっても(戦前の軽井沢で過ごした妹と二人の避暑)、なぜそう感じるのか、その経験はどのような意味を持っているのかを書かずに済ますことができない。したがって、心理の記録(とりわけ知的に優れ、内面的で、周囲となじめない秀才のもの)として重要。その懐疑主義とか実証主義は他人の描写にも徹底していて、およそエピソードの面白さはないし、他人の人格が彷彿するということもない。観察者である「私」の目を通してフィルターのかかった(ときとしては存在感のない)人物に描かれる。多くの登場人物は存命であったので(夭逝した福永武彦すら1965-67年は存命)、多少の苦笑と俺はこのようにみられていたのかという驚きをもったであろう。時代の記録というには役に立たないが(なにしろ西暦も元号も書かれないのだ、社会事件の記述をみてようやくいつごろのことと知れる)、自己のみを記述するというモンテーニュの「随想録」のこの国版が出たということで貴重。