odd_hatchの読書ノート

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ギョーム・ド・アポリネール「若きドン・ジュアンの冒険」(角川文庫)

 アポリネールが匿名で書いたポルノグラフィー。
 高校生のときに、堀口大學訳でアポリネールの詩集を読んだなあ。「ミラボー橋」を暗唱できたときもあった。自分の勝手な感想でいうと、アポリネールボードレールヴェルレーヌランボーマラルメと続くフランス詩壇の系譜から少し離れたところにいるみたい。系譜を継ぐ仕事はヴァレリーにまかせて、好きなことを好きなように書いた人じゃないかな。たしか動物園にいそうな動物の詩を書いたり、タイプグラフを使ったり、落ちのあるコントのような詩を書いたり。すごく面白いけど、そこから思想や神学の面倒な議論は引き出せないね、いや引き出せないのがもっとも良いところ、みたいな。とはいえ、少し後のダダやシュール・リアリズムとも違うところにいそうで。なにしろ政治のことには無関心みたいにみえるし。だから、この人はルナールとかカミとかレーモン・クノーとかそういうナンセンス文学の系譜に置いたほうがいいのじゃないかな。ここらへんは事実や学説を検証していない妄想です。

 小説に戻る。13歳のロジェは早熟な少年。夏休みに田舎の別荘にやってくる。まあ、そこにある図書館の本で「勉強」してオナニーを覚え、風呂の世話をするメイドに体を洗ってもらっている最中に勃起し、使用人たちの遊戯をピーピングして興奮する。でもって、美しい少年にメイドたち女は夢中になってしまう。その結果、おさだまりのように、初体験。そしてメイドに姉にと次々に経験していく。でもって、夏の終わりになると、館中の女が一斉に妊娠してしまう。ロジェは、女たちの嫁ぎ先を決め、あまつさえ子供たちの名付け親になってしまう。本人は、フランスの人口増加に寄与したとうそぶく。1911年発表なので、まだまだ乳幼児死亡率の高かったころ。作者本人も1918年のスペイン風邪で38歳で死去したから、この種のいいわけが正当性を持っていた時代、とみなせるのかしら。
 ポルノはたいてい饗宴か遍歴になるといったのは渋澤龍彦だったかな(たぶん「読書の快楽」角川文庫)。そういう分類でいうと、これは遍歴。タイトルの「ドン・ファンからしてそうなのだ。でも、この遍歴は13歳のひと夏だけなので、そこらへんは不十分。たいていは、このあと実家にもどって姉とこんなことを、招待された貴族のお嬢ちゃんとお姉ちゃんとお母ちゃんとそんなことを、宿屋のメイドとあんなことを、町に立っている若いお姉さんとどんなことを。それをパリで、ロンドンで、マルセイユで、マドリッドで、ローマで・・・と延々と続くものであるのだが。そういう社会のさまざまな階層のカタログを作ることには興味がなかったみたい。その種のはイギリスの匿名氏が書いた「我が秘密の生涯」(富士見ロマン文庫)を読めばよい。
 あとこの時代(19世紀後半から20世紀前半)では、かの国の田舎では入浴の風習がまだ普及していないとみえる。そのため秘所をさまぐると、チーズ臭とおしっこ臭がするというなんともかぐわしい描写が頻出。まあ、彼の地ではバスタブに足首がつかる程度にお湯をはり、そこにつったって石鹸でからだをごしごし、タオルで拭いておしまい、という具合。この国のような浴槽も湯屋もありませんでした。そこらへんの風俗を知っておくことはこの性愛小説を読むのに必須ではないけど、あってもよい。
笠井潔「群衆の悪魔」によると、パリの高級アパートに浴槽がつくようになったのは、19世紀半ばのこと。水道もガスも普及していないとなると、浴槽につかるのは大変な贅沢。)