2014年8月に刊行された。この年の夏には、「マスカレード・ホテル」と本作「マスカレード・イブ」の大々的なキャンペーンがうたれ、どうやら売れているよう。販促や宣伝の事情はよく知らないが、入手したので読んでみた。
「マスカレード・ホテル」の主人公二人が出会う前の物語。交互に主人公が交代するが、この短編集では二人は出会わない。
それぞれの仮面 ・・・ 新人のホテルのフロント・山岸に飛び込みの客が二組。さらに元プロ野球選手で現在タレント一行が宿泊する。深夜、タレントのマネージャーをしている元恋人から内密の相談があると電話がかかってきた。
ルーキー登場 ・・・ アメリカ帰りの新人刑事・新田が早朝に叩き起こされる。会社社長が深夜のランニング中に刺殺された。部下思いで家庭円満の中年男を狙う理由がわからない。新田は殺されたのと同じ時刻に同じコースを走って、啓示を受ける。
仮面と覆面 ・・・ 女性覆面作家がホテルに缶詰めになって執筆することになった。作家の熱狂的なファンが正体を明かそうとホテルでねばる。事件をおこしてはならないし、作家に迷惑もかけられない。山岸の苦心奮闘。
マスカレード・イブ ・・・ 山岸は大阪にできた新ホテルの応援に行き、数人の顧客と接客。一方、新田は八王子の殺人事件を担当。有力容疑者のアリバイが大阪にあるホテルに宿泊したことなので、新人刑事を派遣する。山岸のヒントが事件を解くカギになる。
この種のエンターテイメントの書き方で気に入らないところをいくつあげる。たまたま目についただけで、他意はない。
まずは、紋切型の言葉の羅列が続くこと。最初の「それぞれの仮面」冒頭の女性客の描写。「年齢は二十代後半といったところ」「長い髪にウエーブがかかった」「グレーのワンピース」「掲げているバッグは、おそらくプラダ」。1980年代後半の情景であればまだしも、これが2014年の若い女性の描写? 見栄えに注意していて、金と時間に余裕のある高級取りの女性のイメージなのだろうが、アウト・オブ・デート。とてもダサい。ほかでは、「マスカレード・イブ」の主要キャラクターは、「エキゾチックな顔立ち」。は〜あ。どのような服装をしているか、どのような表情なのかでその人の個性が浮かんでくるものだが、そこまでの配慮はなし。類型的で何の驚きもない描写。ナボコフ(「ロリータ」の服装の緻密なこと)や都筑道夫(コーコシリーズが参考になる)のように細かい描写をしろとはいわないが、もっと文章に綾を入れてくださいな。ベストセラー作家なら、キャラクターにふさわしい衣装をスタイリストに決めてもらうことも可能だろうになあ。この小説にはでてこないが、名探偵の部屋が「リノリウムの床」がはられているという表現もよくでてくる。1980年以降の内装でそんな素材は使われていないだろうに。
(感心した例は、マルケス「火曜日の昼寝」にある「彼(神父)の頭に欠けている毛は、手には余っていた」@「ママ・グランデの葬儀」集英社文庫P97。他に神父の姿や服の描写はないのに、この短い文章が何と想像力を働かせることか。)
続けて、文章の構成について。「マスカレード・イブ」の冒頭。
「正面玄関の大きなスライドドアをくぐって入ってきたのは、どちらも二十代半ばと思われるカップルだ。お揃いのTシャツにジーンズという出で立ちだった。物珍しそうにロビーを見回しながら、フロントに近づいてくる。」
正確な描写である、ということはできても、この文章にはなんらの驚きも発見もない。キャラクターの重要さも見えてこない。おれが添削すると(プロになんという傲慢!)とこうなる。語順の入れ替えだけで、追加した言葉や文章はない。
「正面玄関の大きなスライドドアをくぐって入ってきたのは、お揃いのTシャツにジーンズという出で立ちのカップルだった。物珍しそうにロビーを見回しながら、フロントに近づいてくる。どちらも二十代半ばと思われる。」
本文ではこの後フロントに待機するクラークのことを描くが、それは後回しにして、彼らが田舎者なのか都会人なのか、どちらが主導権をもっているのかがわかる会話にするだろう。「二十代半ば」で「お揃いのTシャツにジーンズ」というイタイタしさをそこで示すのもよい。そのあとに、フロントに話を移す。
俺が見たところ、もとの文章は作者の頭の中の設定をそのまま描写に写したのだろう。「20代半ばのカップル」というのがあって、まずそれを書いた。そこから肉付けをした。そういうイメージを膨らませる作業をそのまま書いたので、ちっとも驚きがない。おれはまずカップルの静的な状況を書き、彼らの行動を書く。それらの積み重ねをしてから、「20代半ば」という発見を最後におく。3つの文章で謎―捜査―解決の流れをつくったわけだ。おれの考える流れの方が次の文章を読む推進力を読者に与えると思う。少なくとも、おれが敬意を表する作家の文章はそういうものだ。
あっというまにページを繰っていって、2時間もかからずに全部のページをスキャンする。でも、閉じた途端に、何もかも忘れてしまった。