初出の1965年といえば、ル・コルビュジェ風のモダニズム建築が最盛期。新築のビルは箱の組み合わせで装飾がない。機能的であることを徹底して、建築作業を合理化することが新しい人間と資本主義に合うという考えになるのか。そういう建物はこの国でも同じ時代にたくさん作られた。しかし、19世紀生まれのクリスティとマープルは、新しいビルよりも、古い(相当に古い)ビルに愛着を感じる。バートラム・ホテルはヴィクトリア朝時代の様式を保っているというから、19世紀終わりの趣味で作られた建物。建物ばかりでなく、従業員も昔風の支配人に受付にドアマンにメイドと徹底し、イギリス風の朝食(卵とベーコンとミルクとパンと紅茶だが)を出してくれる。そこには、古い「イギリス」を求める老人と外国人観光客が来る。周囲の慌ただしさとけたたましさ(あの国でも「交通戦争」があったとみえる)を遮るオアシスになっているというわけだ。
ミス・マープルは甥の作家夫婦の勧めで休暇をとることにした。行く先は海岸でも牧羊地でもなく、なんとロンドンの真ん中バートラム・ホテル。彼女は60年前の14歳の時に宿泊したことがあり、その記憶をよみがえらせるのだった。リューマチで手指はこわばり、長時間歩くのが苦痛と、74歳の身に老いが染みる。同時に、彼女の周りには友人がいないという老人の孤独も訪れている。
さて、マープルのロンドン周遊とは別の物語がいくつか進行する。ひとつは、17歳の少女エルヴァイラに関すること。莫大な資産を持つ父が死に、母は冒険家として世界中を駆け回る。付き添うのは後見人のラスコム大佐。この退屈な老人しか話し相手のいない少女は退屈。そこで弁護士に21歳になったら受け取れる資産額を教えてもらったり、当面の小銭稼ぎで友人を巻き込んで万引きをしたりと、ティーンエイジの向こう見ずな大冒険を繰り返す。その衝動的突発的な行動に、大人はあきれ、ため息をつく。
もうひとつは、物忘れの激しいベニファザー牧師。ルツェルンの国際会議に出席しようとしたが、出発日を間違えてしまった。時間をつぶしてホテルに帰ると、ドアを開けたとたんに頭を殴られ気絶する。意識が戻った時には、ロンドンからはるかに離れた寒村で介抱されていた。
さらには、ロンドン警察による連続強盗事件の捜査。手口が荒っぽく、しかも大がかりな作戦で事件を起こしている。ここでも運行中の長距離電車から現金を盗み出すという事件を起こしていた。そのほかにも市内で事件を起こしているが、毎回似たような外国産のレーシングカーが目撃されている。
こういう見かけ上は関係のない話が交互に書かれていく。なるほど、これは「ABC殺人事件」の再話なのだね。あちらでは事件のつながりはアルファベットであったが、こちらではホテルという場所。ホテルには見ず知らずのひとたちが無作為にあらわれては消えるから、こういうリンクを張り巡らすには都合がよい。そのうえ、マープルのような人間観察の達人には、人のうわさや話を収集するにも都合がよいし、ホテルの従業員も仕事柄鋭い観察力を示す(ホテルマンの仕事ぶりが念入りに書かれていて、都筑道夫のホテル・ディックシリーズを思い出した)。
牧師は帰還することができたが、失踪中のことは覚えていない。あえて警察に情報が行かないように軟禁されていたとみえる。強盗事件で目撃されたレーシングカーはバートラムホテルに停めてあるものに、ナンバープレートも含めてよく似ていた。アイルランドに家出した少女はホテルに戻るが、霧の深い夜、なにものかに狙撃され、駆け付けたドアマンに流れ弾が当たって死亡してしまう。マープルは編み物をしながらホテルの客の会話を聞いて、眉をひそめる。
本作の趣向は、複数の物語のどれが本筋なのかを隠すことにある。なるほど、それが本筋なうえに、あの事件にもかかわっていたのか。最終的に浮かび上がる地の様相は、いささかアクションスパイものみたいで、すっきりしないが(そういう小説を作者は書いていたし、007が流行っているころだったし)。最後のシーンでは、正義をどのように貫くかを考えさせるシーンで閉じられ、余韻が深い(まあ、大概の読者は警察官と同じように犯罪は見過ごしてはならないと考えるだろう。ヴァン・ダイン「僧正殺人事件」、クイーン「Yの悲劇」、カー「帽子収集狂事件」みたいな解決をクリスティはとらない(「オリエント急行」みたいなのもあるけど)。
読む前は晩年の意欲の薄れたときの凡作だろうとたかをくくっていたら、みごとに足を掬われた。おそれいりました。