場所が不明の警察署の捜査会議が始まる。まあ事件はありがちなものだ。ただ、この会議が奇妙にねじれるのは神戸大助という刑事の存在。大富豪・神戸喜久右衛門の息子であり、捜査に私費を惜しげもなく投じる。その結果、通常の警察予算では賄えない大掛かりな仕掛けを犯人にほどこすことができる。この設定はとても大変な制約で、ミステリとしての体裁を整え、トリックを用意したうえで、俗人には見当のつかねるほどの巨費を投じるコン・ゲームを用意しなければならない。このしばりを自らに科して、さてどんなエンタテインメントに仕立て上げることができるか。
富豪刑事の囮(おとり) ・・・ 5億円強奪事件の時効まであと3か月。容疑者は4人。尾行をつけているが、しっぽを出すようなものはいない。大助は自分が接触して金を使わなければならない状況にしようと言い出す。それぞれの趣味に合わせて彼らと交友関係になり、自宅であでやかなダンス・パーティを開くことにした。そこで美貌の娘が容疑者を誘惑して、お願いをする。「かぐや姫」の現代版ですな。このパーティに外国の女優を招くわ、パリのシェフを呼び寄せるわ、ポール・モーリア楽団にダンスの伴奏をさせるわ。1ドル=250円くらいの時期にこれを実行するとなると、いったいいくらかかったのか…。
密室の富豪刑事 ・・・ 宇宙開発計画に入り込んでいる鋳造会社の社長が密室で焼き殺される。この会社の躍進で、競争に負けた会社の社長が唯一の容疑者。動機はあるが、方法が分からない。そこで大助は新たに会社をつくって、容疑者に再度犯行を行わせようと言い出す。一時的なベンチャー企業に大企業のトップを集めるという贅沢(引き抜かれた企業はそれでええんかい)。
富豪刑事のスティング ・・・ 零細企業の社長の息子が誘拐された。身代金500万円を払ったが、犯人はもう一度500万円の支払いを要求してきた。すでに従業員の給与を身代金に支払いに充てていたので会社にも社長個人にも金がない。大助は個人的に融資することにした。黒澤明「天国と地獄」のパスティーシュ。タイトルの「スティング」は当時はやりの ジョージ・ロイ・ヒル監督の映画から。なぜ「スティング」かは映画を知らないとわからないかも。通常の時間経過を無視して、シャッフルするという小説の技法がトリックになっている。
ホテルの富豪刑事 ・・・ 関東と関西の暴力団がこの町で会談することになった。双方合わせて300名以上がやってくる。どうやって警備しよう。そこで大助は周囲の旅館を借り切って、ホテル(父が経営)にまとめて宿泊させよう。そのうえ当日には父の誕生パーティがあるので、全員招待すればよいと言い出す。小さなトラブルはあったが、どうにか無事に済んだ晩、ホテルで銃撃戦が起きた。負傷がでて、そのうえ唯一の個人客であるアメリカ人夫婦の妻が流れ弾に当たって、死んでしまった。ホテルの仕事を詳細に書いている。のちに都筑道夫のホテル・ディックシリーズ、東野圭吾「マスカレード・ホテル」などの端緒(いや、森村誠一「超高層ホテル殺人事件」というのが先にある)。
小説の大部分は捜査会議か、神戸家の家族会議。事件のステークホルダーはほとんど描かれない。有名なテレビドラマのセリフをもじれば、「事件は現場で起きているんじゃない、会議室で起きているんだ」となる。会議室だと、上司と部下、エリートと雑草の対立が起こりそうなものだが、このエンターテインメント小説の警察は作中にあるように「理想化された民主警察」なのであって、その種のドラマはない。かわりにあるのは、キャラクターの饗宴であって、強面、なごやか、古参、若手、知的、体力勝負などなど典型的なキャラが集合して、いかにもふさわしい会話をする。キャラの特長は年代のギャング映画、フィルム・ノワールに登場した俳優でもって強化される。最後の「ホテル」ではワーナー映画の俳優に似た面々を集めたチームまで登場する。重要なのは、捜査する側の個性とドラマであって、事件はその引き立て役。そこは通常のミステリーと違うところ。トリックの新規性とか犯人の意外性とかプロットの複雑さなど、よくある評価軸とこの連作短編を評価すると、おもしろいところを見逃すことになる。
この連作短編は1975-77年にかけて書かれた。その時代を知っているものには、当時の風俗が懐かしい。ネットも携帯電話もなく、ビデオは普及していないし、FAXとコピーがせいぜい。大卒初任給が12-3万円か。その当時に500万円の身代金とか起業するとかホテルを借り切るとかがいかに高額であったか。それを気軽に使うことのできる神戸刑事(年収500万円だが父の資産を使い放題)の豪快な金の使いっぷりに羨望と嫉妬をもったね。
ただあの時代はさほど苦労せずにどこかに就職できたし、サラリーマンと自営業で収入の差は小さかったし、なによりちょっとの努力で神戸刑事とまではいかなくてもそれなりの収入を獲得できる希望があった。あれ、エンターテインメント小説を楽しんだのに、感想は世知辛くなってしまった。
(2014-5年にテレビドラマになったというが、そちらはわしゃ知らんよ。)
バルドゥイン・グロラーの「探偵ダゴベルトの功績と冒険」(創元推理文庫)が19世紀末ウィーンの「富豪刑事」という赴き。面白い。ただし、世紀末ウィーンの政治や文化を知っておいた方がよい。何冊か読んで予習しておくことを推奨。