odd_hatchの読書ノート

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堀田善衛「歴史の長い影」(ちくま文庫)

 1980年代頭に書かれたエッセーや往復書簡などを収録して、1986年に出版。

 まず注目は、「歴史・宗教・国家」という長いエッセイ。書き方を見ると、講演の書き起こし。ここには、ヨーロッパ中世を研究して見出したことを網羅的に語っている。内容は、「ヨーロッパ二つの窓」「時代の風音」などの対談で語られたり、「誰も不思議に思わない」「めぐりあいし人々」などに書かれたものに重複している。総タイトルの「歴史の長い影」は、この探究から導かれた省察で、ヨーロッパでは現在が歴史の重層の上にあって、いまおきていることが歴史の反映であるということ。バチカンガリレオの裁判を再検討するというのが事件から350年たってからであるとか、戦争は「わが村の向こうの丘から戦車が来る」という認識がそれこそ匈奴の侵入ころからの実感に根差しているとか(この国だと「海の向こうで戦争が始まる@村上龍」になり、沖縄だと「海のむこうからいくさがやってきた@「さとうきび畑」になる)、1337年のペスト大流行の時の法律で、死体を別の市町村に移動するときには許可が必要であるのが今に残っているとか。そのような生活にまでおよぶ歴史があの場所にはあって、日々実感させられるという。この国では、50年前のことですら記憶は風化してしまい、歴史的なものの見方は難しいからね。
 この作家が重要なのは、彼に限らず戦後文学の書き手全般に言えることだが、作家の役割に現代の問題を世界的な視点でみようということと、ほかの国の作家と交流しようというところ。
 続いて「在欧通信」という章に収録されたエッセイ。さっきの戦争の話に関連すると、1980年代の東西冷戦でアメリカとソ連が東西ドイツに核兵器を増強配備するという計画が起き、西ヨーロッパで反戦運動が起きた。その運動の契機になるのが、「わが村の向こうの丘から戦車が来る」という歴史認識に基づくというあたり。この国の戦争の認識とは違う視点があって、それはかの地で生活しないと見えてこない(この国での同時期の反核運動にはこの視点はなかったと記憶する)。
 後半は、「人、親しければ」という章。ここには彼が親しく交友した外国文学者の思い出がつづられる。そこで注目なのは、西ヨーロッパとアメリカの作家を意図的に外していて、それでいてとても広い交友があること。登場する作家の国を挙げると、中国、インド、エジプト、アルジェリアスーダンソ連、カザックスタン(ママ。この字面だと「コザック」の国であるのがわかる)、アンゴラなど。まあ、この国名もとりあえずのもので、たとえば「インド」という国にある複数の言語とネーションからすると、そこからやってくる作家は「インド」の代表ではなく、もっと小さなネーションの代表であるとする。彼らとのやり取りで、文学者の会議ではまとめないのも技術、正統を主張するのは妨げになる、という認識に達する。ここは苦笑い。個人商店主の集まりで主張することを好む人たちの集まりではそうなるのも仕方がないか。
 著者の小説の主人公が思いがけないできごとや考えにであったときに、「ふへえ」と口を開いてしばし呆然とすることがある。その呆然とした感じを自分のような読者も持つことになり、その「ふへえ」を口にする間に、膨大な歴史感覚や広大な空間が読者である自分に入ってくる。「センス・オブ・ワンダー」が読者に開示されるわけだね。こういう「センス・オブ・ワンダー」がある文章はどうもこのところの最近の書き手から感じることはなくて、結局戦後文学者の書き物に戻ってきてしまう。これも3回目の再読だけど、初めて読むような心地がした。