odd_hatchの読書ノート

エントリーは3200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2024/11/5

堀田善衛「19階日本横町」(集英社文庫)

 海外にでて小説を書く日本人作家は珍しくないけど(そうか?)、作者はそのはしりのひとり。1972年のこの小説もあとがきを書いたのはパリだった。海外に住むことによって、日本人の常識やあたりまえが海外では通用しないし、日本にいては気づかないような欠点を指摘されるのである。くわえて、「一人でいることが怖い」「群れると元気が出てくる」日本人なので、海外にいると意図せずして同胞コミュニティができて、それぞれの立場の辛さや失敗や感想などを交換することになり、作家の見る眼はおのずと鍛えられるのである。したがって、本書は作家の書いた小説の中ではもっともエンターテインメント色の強いものであるが、流れている日本人論は極めて厳しく、笑いながらも砂をかむような苦々しさをあじわうことになるのである。さように、この作家は一筋縄ではいかない。
(というようなことを気軽に書いたが、この事情を強制・強要されているのが在日コリアンなのである、と突然気づく。海外の日本人は帰国することが可能であるが、彼らは期限なき収容を余儀なくされているのだ。)

 物語の表層は、白夜のあるような寒い国の都市で、日本の商社が日本工業製品の展示会を開くこと。売り込みたいよい製品があるので、世界各地の駐在員が招集され、ほかの企業といっしょに全館を借り切ったホテルに一時住まいをする。その国ではアパートや一軒家を外国人が借りることは原則としてできないので、ホテルを借り切るしかないのだ。その商社はホテル全部を借り切っていて、登場人物の所属する商社が19階すべてを占有しているので、フロアを「19階日本横町」と自嘲気味に自称する。
 1970年代初頭(1ドル=360円の固定相場制で一般人の海外旅行は高嶺の花だったころ)に海外駐在員であるのは、サラリーマンのエリートであると思うのだが、ここに登場する商社員はもの悲しい。ろくに知らない製品をダンピングとアフターサービスで売り込み、その国で生産できる商材(登場するのはシシャモやテングサ)を安く買い付け、その国の生産事業者を壊滅させ、公害輸出企業の先棒になって開発途上国を荒廃させる。そのことに疑問を感じながらも、日本企業の賃金はしがらみを抜けるには安すぎる。中央官庁の天下りできた重役は現場の苦労を知らずに、わがまま勝手に命令し、それによる外国人の迷惑を現地駐在員がしりぬぐいさせられる。ジェット機で移動する日々は生活を抽象化させ、他国の文化に無関心になっていく。興味のあるのは商売と社の人事のみ。(登場する30代の企業戦士は12年前の小説「審判」に登場する大学生の吉備彦が大きくなった姿。在学中は政治や哲学に関心を持っても、企業活動はそれをスポイルするのだ。長嘆息)。1965年の「スフィンクス」には商社にも政府にも属さない独立自営のブローカーみたいな人が活躍できる余地があったが、7年後にはもう商社の組織力が上回って、個人商店を駆逐したわけだ。
 とはいえ商社の組織は日本の文化・因習を持ち込んでいるので、生活は不自由。ホテルの部屋の割り振りから序列があり、奥さんらの女性は旦那の役職に対応するファッションとマナーにしなければならない(いまだに外務省職員に残っているそうな)。そのうえ、むちゃな仕事を振りながら、業務中に「殉職」すると金を出し渋るなど、日本の企業の異常さもある。
 当然、日本のマナーとことばは外国人と共有できるところは少なく、文化的なすれちがいやきしみを感じざるを得ない。個別の指摘や驚きなどから浮かび上がるのは、

「欧米人たちが、長く自分たちに特有のもの、と思い込んで来たものを、すべてこなしてしまう“日本“というものを見る、不気味さを含んだ視線(P297)」。

異人にふれたような奇妙さを感じていながらも、日本人に逆らうことがないのは日本の経済(しかし落ち着いた豊かさは欠如)のせい。でも日本からは生活と人生の目的が失われたのではないか、とは登場人物の多くが感じている。そして、いつか石一発が日本に向けて投げられたら、と考えて戦慄するのである。というのは、戦後四半世紀をたったというのに日本は軍国主義を放棄したとはみられていない。いつでも戦争を再開できる準備をしているのではないかと。(その疑惑の歯止めになっているのが、憲法9条なのだろう。)
 軽薄な日本人(戦後四半世紀でここまで堕落したのかと、堀田善衛の小説を時間順に読みながら再び長嘆息) が軽薄な行動をしているのをみて薄ら笑いをうかべるのであるが、しまいにはうすら寒くなる。外から眺める日本人論として秀逸。日本の経済が落ち込み、総合商社はGAFA他のグローバル企業の後塵を拝するようになった今となっては、当時の強気な姿がより滑稽に思える。
 繰り返すが、堀田善衛の小説は一筋縄ではいかない。気軽なエンターテインメントと思われる本書でも内容はとても重い。じっくり読まないと。

 

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