odd_hatchの読書ノート

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井上清「天皇の戦争責任」(岩波現代文庫)

 これは半藤一利「日本の一番長い日」とあわせて読むのがよいな。「日本の…」では、8月14日から15日までのクーデター未遂が主に下級士官視点で書かれているが、こちらは開戦から終戦までの政府首脳の動きが書かれている。その資料は、「木戸日記」「杉山メモ」「近衛日記」など資料に基づくので、正確。それを対比すると、なるほど陸軍省の若手参謀といえど、天皇を見ることはできなかったのだなあ、まして言葉を交わすことなどとんでもない。それゆえに幻想とか妄想をたくましくしていって、実際とかけ離れた天皇像を自分のものにしていたのだなあ。幻想や妄想のうちにある「純粋天皇」は自分のことをよくわかってくれるので、暴力を使っても構わない(至純至誠な「私」の行動は無条件で許される)のだと勝手に思い込んでいたのだなあ。

 鶴見俊輔「戦時期日本の精神史」(岩波現代文庫)では、明治維新から敗戦までのこの国のシステムを「顕教」「密教」という概念で説明する。自分のまとめを使うと、
明治維新を経てこの国を近代化するにあたり国家のデザイナーは国民統合の方法を編み出した。それを著者は密教顕教と呼ぶ。密教は、ヨーロッパの合理主義や法治主義を規範とし、主に国家の指導層・官僚・高位軍人に対して教育された。顕教は、国内の神話を規範とする非合理的・呪術的な思想で、鎖国性を強調するものだった。この二重性は次第に運用が難しくなり、1930年代になると顕教の非合理的・国家主義的な考えで密教を運営しなければならないところまで波及する。」
 なるほど、「顕教」「密教」という概念は便利そうだ。それにそって気の付いたところをいくつか。
・民衆支配、監視の体制ということでは、この国はとても強力な仕組みを作った。それはドイツやイタリアのファシズムソ連などのボルシェヴィキと違って、下からの「自発的」な参加、組織化で作ったこと。上からの力の強制という形式ではないので、批判や反抗の芽を摘むことができる。まあ、そのうえで上意下達の命令体系とした。面白いのは、命令の権威は「上」からだが、その「上」を不可視にしたこと。見えないところからの命令が人々を左右する。
・では「密教」にあたる政府首脳はどうかというと、たしかに日露戦争までは鶴見俊輔のいうように合理主義や法治主義を規範にしていて、責任体制が明確であった。そのあと20年を経つうちに、密教のシステムが「非合理的・呪術的」なものになっている。この本を読むと、昭和天皇の即位あたりからのよう。そこでは、だれがリーダーシップをとり、だれが責任をとるのかがまるでみえなくなっていく。そうすると、首相ほかの大臣からすると天皇の裁可で決まったことだからとなり、天皇の側近は首相他の圧力を受けて上申したのであるとなり、天皇からすると首相ほかの提出する案件を拒否する権限をもたないということになり、官僚・軍人は上の意向を慮って最善を尽くしたということになり、どこが組織の核であるのか、責任の取り場所があるのかまるでみえない。いや、この<システム>のインサイダーであれば、それははっきりしていて、「根回し」とか「稟議」とか「接待」とかでなんとなく決まるのをよしとする。無責任であることが政策決定の重要な前提なのだろう。
 このような<システム>(@カレル・ヴァン・ウォルフレン「日本/権力構造の謎」(ハヤカワ文庫)はこの国のユニーク(独特)なところ。インサイダーには彼らの通じるルールと道徳があるのだろう。でもそれは世界規範とずれているから、他の国が承認するところではない。説明して「理解を求める」としても、それはこの国のシステムのインサイダーになることを前提とするから、説得も納得も得ることは難しい。外の国の人々の「無理解と不寛容」は、この<システム>のインサイダーから見ると、不条理極まりない。
昭和天皇が即位して敗戦を迎えるまでが、25歳から44歳までの青年期であったことに注意。他の組織のリーダーや独裁者のように大衆や民衆の支持を受けているわけではない。政治活動の経験をもっているわけでもない。頼れるのは身内の皇族と陪臣くらいとあっては、心細くもあり、逆に傲慢であることもあっただろう。それでも経験は自信になったとみえ、太平洋戦争開戦から敗戦までは、首相や大臣の人事、軍事戦略の立案などに積極的に介入していた。東条首相の退陣、小磯内閣の誕生には彼の意思が反映していた。政治活動をしたのは、田中義一首相の更迭、226事件終戦詔書だけではない。(私見では、昭和天皇は敗戦と人間宣言で「転向」する。政治的人間であったのが、転向によって徹頭徹尾「非政治的」になった。「転向」はなにも共産主義者にだけ起きたことではない。)
・「密教」を体現する首相以下の政権担当者および高級官僚たちは、政府や国家のビジョンをもたず、機会主義者(オポチュニスト)で漁夫の利を得ようとするいきあたりばったりであったようだ。満州事変のあとの国際連合で「わが代表堂々退場す」なども定見やビジョンがあってではなくて、ひとりよがりのの行動に見える。そのあとも、第1次大戦でドイツ領南洋諸島を勝手に占領したために心証を悪くしているドイツに接近するわ、独ソの条約締結と破棄に翻弄されるわ、ドイツの電撃戦の成功を見て英米開戦に踏み切るわ、終戦工作を中国やソ連に依頼するわ、と理解しがたい行動の連続。
・このシステムには「シンクコスト」をいう考えがなかった。一度でも得たものは手放したくなくて兵力ほかのリソースの逐次投入をするという愚を何度も繰り返す。政治でも(1938年の中国南部の侵略が3か月で終わるはずが終わらなく、現場は撤収の意見もあったのに政府は戦争継続を唱えるあたり)、軍事でも(ノモンハン事件が典型かな)。「始まったもんは仕方ねえ(@風の谷のナウシカ)」という現状追認が何度も繰り返される。それが更なる事態の悪化を招いた。
・「戦争責任」というと英米戦のことばかりいわれるが、中国ほかの東アジア諸国への戦争のこともあるよ、という指摘が重要。
 「戦争責任」というとき、この国で考えることと、ほかの国の考えることはズレまくっている。ズレの原因はたぶん上に書いた<システム>のユニークさにあり、繰り返すが<システム>のルールと道徳は他の国には理解不能であるだろう。

  

 昭和天皇の映像で思い出すのは、1964年「東京オリンピック」の開会式。入場する選手の長い行進を天皇はずっと一人立って迎えていた。彼にとって、スポーツ選手の入場行進は閲兵式の再来だったのだろうな。あの瞬間だけ、非政治的であろうとした昭和天皇が「大元帥」に戻ったのだろう、と妄想する。
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