odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

竹山道雄「ビルマの竪琴」(新潮文庫)

 昭和21から23年にかけて連載された「童話」。童話としてはもとより市川昆監督の映画でも有名。作者の童話/小説はこれだけで、むしろ社会評論で名が知られている。自分はニーチェの翻訳者として知っていた。

 15年戦争末期のビルマ戦線。孤立した小隊は部隊長の指揮で合唱するのを常としていた。おかげでイギリス軍の夜襲の際に合唱曲の応答になり、ついには入り乱れての酒盛りに。そのあと、収容所にいくが、近くに徹底抗戦する部隊があるので説得に行ってくれとイギリス軍将校から依頼される。命じられたのは竪琴弾きで、インテリ風の水島上等兵。しかし彼は帰ってこなかった。しばらくすると、彼によく似たビルマ僧を収容所の周囲でみかけるようになった。隊長以下、水島に帰還を進めるが、僧は無言で消える。そして帰国の前日、分厚い封書が隊長宛に届いた。そこに水島の真意が書かれていた。
 読書中、「これは戦争のおとぎ話なんだ」「これは左文字小隊(@『独立愚連隊、西へ』by岡本喜八)のできごとなのだ」「これは『真空地帯』でも『俘虜記』でも『人間の条件』でも『戦艦大和ノ最期』でもないんだ」といいきかせる必要があった。そうしないと、このおとぎ話を読み通すが辛くて。腹立たしくて。
 とりあえず、ここに「思想」をみるとすると
・日本の先進性(それによる競争と戦争の発生)とビルマの後進性(それによる経済発展の遅れ、植民地化)を比較して、どちらが「幸福」であるかと問いかける。
・日本人の「死」が個人の終わりであって悲しむのに対し、ビルマ人の「死」は新しい生の開始であってみなで祝い喜ぶことを対比して、どちらの生活や社会が「豊か」であるかを考える。
・芸術には普遍性があって、芸術を媒介にして、人々は理解が可能である(でも、あとがきでは日本と中国では共有する歌がないから舞台にできず、「はにゅうの宿」「庭の千草」の歌を共有しているイギリス人を登場させるためにビルマを舞台にしたと歯切れが悪い)。
・大事なのは、荒廃した祖国の再建なのか、戦没者の供養なのか(著者は「きけわだつみのこえ」の前身になる「はるかなる山河に」やアッツ島玉砕の兵員に自分の教え子を何人もみつけている。著者には鎮魂は重要な仕事。)
あたりかな。このあたりは自分の感想はなし。
 ともあれ、この話の苦痛なのは、ビルマインパール作戦で数万人の死傷者を出し(多くが餓死者・病死者という無計画で兵站を無視した作戦のため)、イギリス兵捕虜に命じた鉄道建設で多くの病死者をだし(映画「戦場にかける橋」など)、ビルマ人の土地で勝手にドンパチしたことに一切触れられていないこと。なるほど、どこの渓谷、里山、荒地で日本兵の死骸があった、それが放置されていたという描写はある。それはむなしいことだし、供養が必要。でも、それ以外の死者や被害については一顧だにされない。作者の訴えたい「義務を守って命を落とした人たちのせめてもの鎮魂を願うこと」には共感する。あわせて、義務もないのに命を落とした人や財産を奪われた人たちのことも思い出してと思う。
 ここでは軍隊の行為は意図において正しく、「義」であった、捕虜になった日本兵も心根が澄んでいたので、イギリス兵や現地の商人と仲良くなれて、将来の交流の可能性があるとされる。美しいなあ。でも戦闘行為の結果や成果である戦地の荒廃や死傷者の存在は忘れられる。ビルマを再建する現地の人びとの活動は目に入らない。こんな具合に、15年戦争のことを都合よく説明しようとしているのではないかな。水島の「善意」は疑うべくもないし、その心根に共感するとしても、彼がいることで万事もとのとおりになるわけではない。部隊の面々(名前がついているのは水島のみ。隊長と古参兵が役職を表して、それ以外の兵隊は無名で無個性。だから責任はないということになるのかな)は、水島の手紙を読んで「祖国を復興し再建する」決意を新たにする。戦争中のことを水島の決意と存在で清算したみたい。ビルマでこの国の軍隊や民間人がやったことの後始末を水島や死者におしつけてはいけない。
 著者の、隊長の、部隊の面々の、水島の意図が「善意」であることはわかるよ。でも、戦争行為はその成果や結果を評価しないといけないのではないかい。