odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

大宅壮一編「日本の一番長い日」(角川文庫) 熱しやすく激しやすくて、成功の見込みのない行動をすぐ起こし、あっという間に挫折。「観念」への熱狂と乗り換えはいかにも日本的。

 学生時代に読んでいて書架に眠っていたものを再読。岡本喜八監督による同名映画をみたのが最近(2006年現在)だったので興味を持ったから。著者名は手元にある古い角川文庫版によるが、あとがきによると実際の著述は半藤一利氏。最近、文春文庫で復刊されたほうはこちらの名前になっているとのこと。
 昭和20年8月14日正午の御前会議から翌日正午の玉音放送までの24時間を描いたもの。焦点は、これらの決断にいたる内閣の動きであり、同時に陸軍の青年将校たちによるクーデター(?)の失敗。あわせて民間人の戦争継続のための運動。視点は大きく3つにむけられる。ひとつは内閣とその周辺の人々。中心になるのは鈴木貫太郎総理大臣と阿南陸軍大臣。もうひとつは宮内省の役人たち。かれらは決起軍による襲撃を受けることになる。さらには、決起を画策する陸軍の青年将校たち。これらの3つの集団の動きが、1時間ごとに区切った章の中で描かれる。登場人物は100人を越えるだろうか。現在は存在しない役職などもあり、まして宮内省の侍従などは役職名を見てもなにをしているのか検討も付かず(玉音盤捜索のため宮内省を襲撃した部隊もまことに典雅な奈良平安京時代の言葉を使った部屋名に戸惑ったという)、なかなか進展を頭に入れるのが難しい。ともあれ事前に映画を見ていたおかげで、文章から映像を思い出すことができ、ああこのシーンに対応するのかと得心した。
岡本喜八監督の映画はきわめて原作に忠実。撮影当時、登場している人たちの現存者が多数いたためか。その中で、映画のオリジナル場面は下村情報局総裁が秘書官に「日本の葬式をしている」云々を話すところ。なるほど映画のキモはここなのだ。)
 最近読んだものには、イザベル・アジェンデ「精霊たちの家」にチリのアジェンデ政権を倒したピノチェット大佐によるクーデターがあったり、トロツキーの「ロシア革命史」ではペテルブルクの大ゼネストがあったりして(現在第2巻なので冬宮襲撃はまだ先のこと)、それらと比べると、このクーデター未遂事件はなんともお粗末な限りということになる。ほとんど何も起こさないまま、数時間のうちにことが終わってしまう(映画では、15日朝に出勤してきた宮内省の役人が宿直に「なにかあったんですか」と愚直というか、鈍いやつというか、間の抜けた質問をさせるあたりに、同じ批判精神を感じたが如何)。
 この国の人はこの種のクーデターないし襲撃物は好きだなあ。本能寺の変、江戸時代の「忠臣蔵」、明治維新、226事件あたりは何度も芝居や映画や小説になっている。激烈な運動を起こしやすく、その種の行為を起こして挫折した人々に深く共感する。事前準備期間の長いものでもたかだか1年。熱しやすく激しやすくて、成功の見込みのない行動をすぐ起こし、あっという間に挫折する。そういう運動は、上に加えてたとえば西南戦争とか自由民権運動に関連する諸事件、共産党の火炎瓶闘争、いくつかの赤軍結成と破綻などにみることができるだろう。逆に言うと、地下活動を継続的に行う秘密組織運動は向いていないのだな。このあたりには日本人の特異性なんかが見られるのではないか(あまり強調したくはないが)。政治の仕組みを変えることには慎重であるのだが、個別組織の運動がすぐ激化してしまう。その結果、似たような体制を保持しながら、「右」と「左」に極端な群小組織がいくつもでき、互いにテロを行うという次第になってしまう。こういうところが興味深い。
 もうひとつ。日本人は「観念」に弱い、というか「観念」のとりこになってしまいやすく、「観念」に準じることがすばらしいのだと思う傾向がある。決起を行った青年将校たちには「国体護持」とか「戦争継続」なんかの観念が現実を凌駕して、観念を維持するために自分の行動を決していくということ。閉鎖された集団では、とりわけこういう傾向が強いのだ。
 それでいて熱狂しやすくさめやすいという性向のために、挫折するとすぐさま「観念」を乗り換える。ここでも決起しながら、憲兵ないし警察が乗り出してくると(外部の力が集団に及ぼしてくると)即座に「観念」を捨ててしまう。ここでは決起や襲撃を行いながらも、すぐさま降伏したり、逃亡するような。このような事態ないし性向は軍人や周辺の人たちにだけ起こるのではなく、共産主義者の転向においても起こるし、キリスト教迫害下の教徒にも起きた。そしてもともと熱狂していた「観念」に対して、激烈な批判・非難者に成り代わるケースもあった。「転向」というのが極めて日本的な議論であることを思い出した。(「観念」に殉じろと主張するわけではないことを注記しておく。「観念」への熱狂と乗り換えがいかにも日本的だと指摘しているまで。)
 なお、この本にも映画にも「庶民を描いていない」という八百屋でケーキを買えないのはいかんというような批判があった。いずれもその種の批判に答える別の仕事をしている(岡本喜八は「肉弾」を作った)、念のため。
 「庶民」の一人に当たる自分の父は、8月15日当日、玉音放送を学校で聞いた後、友人たちと連れ立って川に泳ぎに行ったとのこと。地元の中学で連日訓練を受けたり畑の手入れをしていた15歳の悪がきだった。そういう「終戦の日」のすごし方もあったということで。

    


<参考エントリー>
2012/09/15 森本忠夫「マクロ経営学から見た太平洋戦争」(PHP新書)
2012/09/17 家永三郎「太平洋戦争」(岩波現代文庫)
2015/04/03 井上清「天皇の戦争責任」(岩波現代文庫)
2015/04/06 竹山道雄「ビルマの竪琴」(新潮文庫)
2015/04/01 石野径一郎「ひめゆりの塔」(旺文社文庫)
2012/06/15 早乙女勝元「東京大空襲」(岩波新書)
2015/04/02 井伏鱒二「黒い雨」(新潮文庫)
2012/02/29 井上ひさし「下駄の上の卵」(新潮文庫)
2012/08/29 阿波根昌鴻「米軍と農民」(岩波新書)


<追記2015/8/14>
1.15年戦争の本はそれなりに読み、映像も見てきたから、おおよその状況はしっているのだが、実際に体験した人の話を聞くと、リアルが異なる。なんというか、良く知っている人の持つ歴史の厚みに圧倒されるというか。
2.当時9歳だった母は、通学途中か何かでP51艦載機の機銃掃射に遭遇し、畑に逃げ込んだ。上空を横切る艦載機のコクピットの飛行士の顔が見えたという。
3.実業高校生だった18歳の少年は卒業と8月の徴兵検査を待たずして陸軍飛行場の整備課に配属された。仕事は、周辺の農家に分散されていた飛行機や部品などをリヤカーで運ぶこと。
4.トラックのない時代なので、人手で運ぶしかない。手伝いは女性数人。満載したリヤカーは極めて重く、女性にはきつかっただろうという。往きと帰りで一日がかり。
5.飛行場にはダミーの飛行機が置かれていた。数機の飛行機は格納庫ではなく、周辺の農家に隠されていたという。東京空襲のあとだったから。
6.飛行場からは特攻機が出撃した。18歳の少年は出撃を見送ったという。この投稿をした方の2歳上。
(2015年7月23日朝日新聞「声」欄)

7.5月の東京空襲のあと地方に空襲が広がったので、配属先の飛行場も襲撃を受けた。ほぼ唯一のコンクリート壁のある格納庫に飛び込んで、P51艦載機の機銃掃射を避けた。近くには銃弾と薬莢が落ちてきた。
8.実家に帰宅している晩に近くに爆弾が落ちた。翌朝、現場に行って爆弾の破片を見つけて持ち帰った。そういう70年前の爆弾の破片と、P51のたぶん8mm機関砲の銃弾と薬莢を見せてもらった。
9.銃弾は女性の小指くらいの大きさで20gくらい。爆弾の破片は3×15㎝で厚さ2㎝重さ300gくらい。こういうのが数百度の熱を持ち、時速100㎞超の速度で身体に当たる。
10.実家近くの川には焼夷弾が落とされた。大きめの壺くらいのサイズで、「サー・サー」という音をしながら落下した。爆発後の火災はなかなか消せなかったという。
11.8月15日正午には飛行場の広場に集まってラジオ放送を聞いた。雑音でなにを言っているかわからなかった。むやみに暑かったという。放送のあと、機密書類を飛行場内で燃やすことになった。
12.残務整理は8月いっぱい。飛行場にはさまざまな物資(ガソリン、灯油など)が保管されていたが、勤務している人と近隣の人が勝手に持ち帰った。咎める人も罰する人もいなかった。
13.たぶん死者をみたり、知人に死者がいたりしただろうけど、そこまでは聞けなかった。空襲他の被害の少ない地方で、復興もスムースにいった地方の町でもこれくらいの話は残っていた。