odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

井伏鱒二「黒い雨」(新潮文庫)

 昭和25年6月。広島県神石郡小畠村の閑間(シズマ)重松は憂鬱だった。彼は5年まえに被爆し、ここにきて高線量被曝の後遺症が出て、農作業ができない。とうに勤めを退職し(というか戦後に勤務先が無くなった)、田舎で養生するしかないが、散歩をしていると村のものにのけ者にされる。同じ被曝者同士で鯉の養殖を始めることにしたが、成功するかどうかはわからない。妻のシズ子にも後遺症が出ている。それより心配なのは姪の矢須子のこと。戦時中に動員され、広島市内で就職していた矢須子は爆心地から遠いところからいたのであるが、直後の「黒い雨」にうたれた。彼女に縁談が起きるたびに、「市内で勤労奉仕中、被爆した被爆者」とのデマが流れ、破談が繰り返されていた。被災から時間がたち、復興が始まると、記憶が薄れるが被曝した者たちへの穢れの意識が顔を出す。なにしろ被曝の症状の原因は不明であり、放射能の影響であるとわかっていながらも、目に見える原因ではないせいか、なにか恐ろしいものが取りついていて、接触するだけで「感染」するのではないかと思われていたのである。このようなデマは、なにも戦後の特異的なものではなく、2011年の福島原発事故のあと、原発になんら関係のない人々を貶めるデマが流されたのだ。科学知識が普及し、中等教育を修了したものが国民の大多数になっても、放射能に関するデマは蔓延し、人々を苦しめている。

 閑間(シズマ)重松は縁談をまとめるために、矢須子と自分の当時の日記を清書することにする。それは重松の経験した8月6日から15日の被爆を回想することになる。農家生まれであるが長男ではない重松は、成人になると広島にでて会社勤めをするようになる。昭和20年当時は軍用を扱う被服工場に事務方の責任者であった。戦局の悪化に伴い、原材料や光熱用の石炭の入手が難しくなってくる。そこで、軍の調達係りと仲良くなり便宜を図り、融通してもらうという姑息な手を取っていた。まあ、戦時に統制経済をとるのは政治体制の左右を問わず同じではあるが、この国はロジスティックをまともに運用できたためしがない。港に無煙炭がのざらしになっていても、どこの管轄であるのかわからず、知らぬうちに「蒸発」してしまうのである。となると、たのみは官僚制の事務能力ではなく、事務官との個人的な付き合いであり、規則違反の融通しあい。現在まで続く官と民のなれ合いは、これだけ昔にさかのぼる悪弊なのである。
 それはさておき、8月6日の朝。灼熱の閃光と耳をつぶすほどの大音響。衝撃波と熱線。打撲や骨折に火傷。市中のインフラが壊滅。食料、薬剤の焼失。火災を非難する先の川で溺死。勤め先と家を失い、家族と生き別れになり、高線量被曝による初期症状(下痢、発熱、衰弱など)で動きがとれなくなる。それでも、建物の陰にいるなどして助かった人たちはいるのであって、爆発の直後から、人々の移動と救援が開始される。戦時下の統制とリソース不足は、事態に対して満足な救援をなさしめない。そして「新型爆弾」の情報不足は、台風や地震の救援程度の装備で広島市に入った周辺の人々に二次被害を起こしていく。それらは詳述するのはよそう。それこそこの小説を読むべきなのだ。この10日間弱の出来事は、2011年3月11日の直後の東北太平洋側の諸地域で起きたことに極似しているのを発見すればよい。ただ、小説からはそれぞれの現場におけるおびただしい遺体と腐臭を理解するのは程遠いのであるのを残念に思うしかない。
 われわれの手元に届けられる被災の記録は、だれかヒーローやヒロインの出来事として語られる。機知や超人的なパワーで問題を切り抜けたり、偶然がその人を助けたり、特別な立場(医師、軍人、政治家、公務員など)として救援を任務にしていたり…。加藤周一「羊の歌」は放射線医師として広島に入った記録だし、「いしぶみ―広島二中一年生全滅の記録」は広島二中の全滅した中学一年生全員の被爆時の記録であり、堀田善衛「審判」はエノラゲイ号に登場した元アメリカ兵の戦後広島訪問であったり…という具合。この小説は、ただのおっさん、どこにでもいるちょぼちょぼの人、言語で飯を食っていない人の記録であるところが重要。このサマリでもそこを重視したいので、被爆前の日常業務のいやらしさを摘出したのだ。小説のどこにも声高な主張や難解な哲学思想はなく、どこかの誰かに対するルサンチマンや非難はなく、恨み事や嘆き節もない。官公庁の事務書類の淡々とした文章で書かれる。そのようなただの、ちょぼちょぼの、しょぼくれたおっさんやおばさんの記録なのが重要であり、そのような特別な境遇にない人にでも差別や無理解や悪い風評が押し付けられ生活が困難にされていくことが読者にとって他人ごとではないのだ。これほどに「明日は我が身」「被災者・被曝者はわれらの隣人」であることを思い知らされる小説はない。
 重松は日記の清書を完了する。そのときには矢須子に原爆症が発症し、日々重篤になっていく。医師も打つ手がないと、うつむいている。自分の未来もおぼつかないとき、重松は空にかかる虹に希望を託す。そんなものしか希望がないともいえるし、虹のきらめきにこそ期待が満ちているともいえるし、読者は重松の複雑であるが、明瞭な心情に寄り添い、彼ら凡庸な夫婦の行く末を思いやる。そして、そのような期待に基づいて生きていたのは、広島周辺に数十万人にものぼるのであり、彼らの希望は作者の思い付きや仮託ではなく、リアルそのものであることに思いをはせる。
 小説作法としては、昭和25年の重松夫婦は三人称で語られ、昭和20年の被曝と被災の記録が重松・シズ子・矢須子・医師・別の被災者による一人称の日記や手記、会社や知り合いの手紙(候文やビジネス文書)、経文に御詠歌、尋ね人の張り紙の書き写し、市役所などの公文書など多彩な話者と文体で書かれていることが特徴。被曝や被災、そのあとの救援、死者の弔い、復興活動などがさまざま視点で描かれることによって、読者の想像力を膨らませる。
 この稀代の傑作は読まねばならない。この年齢まで読まなかったことを少し後悔した。
 昭和40年に雑誌連載され、翌年に単行本になった。あわせて短編「かきつばた」も読むべし。井伏鱒二「かきつばた・無心状」(新潮文庫)所収。