odd_hatchの読書ノート

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三島由紀夫/東大全共闘「討論 美と共同体と東大闘争」(角川文庫)-1 三島由紀夫は敗北の瞬間に純粋天皇との観念的合一が達成されるのだろう。

 一時期、全共闘関係の本は目の着く限り集めてきたが、これはもっていなかった。角川文庫で出版されていたのに驚いた(2000年刊)。1980年代半ばに全共闘ブームというのがあって、そのときにこの討論会の録音がカセットで販売されたという記憶がある。相当に高価だったので購入はしなかった。
 この討論会は、1969年5月19日に東京大学の教室で行われた。全学ストライキのすえ、ほぼすべての教室が全共闘に占拠される。入試は近づいていたので、同年1月18-19日に機動隊が彼らを排除した。その後に行われた討論会。振り返ると、闘争の象徴が陥落し、運動は退潮期に入ったと予感される時期だ。一方の三島由紀夫も翌年11月に自殺したので、彼も人生の決算に向かっている。

 2時間半の討論で話された内容。全共闘の言葉になれていないので、どうにも難解だったが、とりあえずは、国家廃絶という点で共通する両者の間の、1)肉体と主体、それを包み込み自然について、2)時間について(とくに未来への投企について)、3)天皇、4)国家、をテーマにした討論、というところか。
 この討論会に出席した三島は当時44歳。全共闘に共感する左翼知識人と全共闘の会話や討論会はしばしばあったが、体制派ないし右翼知識人と目される人でこの種の集会に出席した人は知らない。そうとうに消耗し、かつ憎悪されることになるこの種の討論会に出席する自信と体力には感服せざるをえない。自分には、数百人を前にしてディスカッションする気合と根性は、ない。
 自分は、三島由紀夫の小説に関心を持っていない。若い時には「潮騒」や「仮面の告白」のエロティシズムに酔ったこともあるが、小説の主題にもストーリーにも感心しなかった。「豊饒の海」四部作に取り組もうとしたが、最初の「春の雪」のウルトラロマンティックな内容となかなか進まない話にいらいらしたので、そこで投げ出した。そのあとは、「仮面の告白」を再読して、やはり興味を持てなかった。なので、三島の主張はこの討論会の発言でしか知らない。
 全共闘の一人が「三島にとっての天皇は自分の作品のことだ」と叫んでいるが、そのとおりなのだろう。彼は天皇を人間天皇と統治的天皇に分ける。そしてこの国の資本=ネーション=ステートを統治的天皇に統治に変えることを目指す。そのような国家や体制派この国にかつてあったことはないので、彼の目論見は「革命」と呼べるだろう。彼の純粋天皇は歴史上のどこにも存在せず、法制度にもなっていない。もちろん戦前の武家道徳・儒教的な制度としての天皇制とは何の関係もないものだ。
 そのようなかつて存在しなかった国家を定立するために、彼もまた政治革命、文化革命、存在革命を設定する。政治革命はここでは軍事クーデターとして表現される。十数名の同志だけが戦力であるならば(しかもほとんどは闘争や戦争未経験)、戦術はそれくらいか。文化革命は彼の理論の中心なのだろうがよくわからない。どうやら統治的天皇はこの国の文化と風俗(それも高雅な方々の文化や風俗だ)のうちにしか現れないので、それの追体験が重要。存在革命は、もっぱら純粋天皇の幻視にあるのかな。その幻視のうちに純粋天皇を自らに取り込み、異物であるその概念を肉体に憑依させる。そのような至高体験において肉体はほとんど意味をもたない。
 きわめて観念的な革命。物理的現実の暴力や政治的寝技を捨象しているとなると、これは現実において敗北するのは必然か。むしろ敗北の瞬間にこそ純粋天皇との観念的合一が達成されるのだろう。
 俺には理解しがたい。


三島由紀夫/東大全共闘「討論 美と共同体と東大闘争」(角川文庫)-2