odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

ハンナ・アーレント「革命について」(ちくま学芸文庫)-第6章革命的伝統とその失われた宝-2

2021/11/16 ハンナ・アーレント「革命について」(ちくま学芸文庫)-第1章革命の意味 1963年
2021/11/15 ハンナ・アーレント「革命について」(ちくま学芸文庫)-第2章社会問題 1963年
2021/11/12 ハンナ・アーレント「革命について」(ちくま学芸文庫)-第3章幸福の追求、第4章創設(1)自由の構成 1963年
2021/11/11 ハンナ・アーレント「革命について」(ちくま学芸文庫)-第4章創設(1)自由の構成(続き)、第5章創設(2)時代の新秩序 1963年
2021/11/09 ハンナ・アーレント「革命について」(ちくま学芸文庫)-第6章革命的伝統とその失われた宝-1 1963年


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第六章 革命的伝統とその失われた宝
4.革命の過程で、新しい統治組織が規則的に出現する。アメリカの区政(タウンシップ)、フランスの評議会、パリ・コミューン、WW1後のドイツのレーテ、ロシア2月革命のソヴェト、ハンガリー革命、チェコ東欧革命時のフォーラムなど。これは革命理論にはない組織で、革命家も掌握できない。とりあえず評議会と呼ぶが、反中央集権的反政党的な組織で自然発生的。連続性・伝統・組織的影響力が欠如している(という条件では21世紀の韓国、台湾、香港の市民運動も入るし、日本のSEALDsも加えられそうだ)。そこでは公的自由、公的幸福が実現していて、活動(@アーレント)と秩序の機関になる。
 ただ、評議会は工場の経営や経済統制には失敗している。評議会は政治的であって社会的・経済的ではないから。評議会の構成メンバーは政治的な資質はあっても、経営的な能力を持たないことが多い。(WW1やスペイン内戦その他で自主工場や地域通貨の実験が行われたが、ことごとく失敗したのはこれが理由なのだろう)
 上の評議会の性格のために、党や議会からは敵視され、攻撃される。革命の過程で、党には評議会への対応の準備ができていないため。翻ると、党は革命を先導することはないし、革命での役割はほとんどないし、革命に寄与しない。職業革命家は有閑階級であり、仕事をしないで特別な特権を享受している。国家と社会の解体を見守り分析することしかできない。革命のあとに、権力を奪取する。指導者の知名度のために、成果はないのに影響は極めて大きい。
(以上はとくにロシア革命の指導者、とくにレーニントロツキースターリンに見事に当てはまる。)
 革命に登場する評議会は党や議会によってつぶされ、人民は政治参加の自由を失う。平時でも市民は公的自由を行使できず統治の参加者になれない。大きな問題は代表制。代表制を支える政党は人民の機関ではなく、人民の権力を縮小し、コントロールする道具。政党の目的は人民の福祉であり、人民の管理。社会の平等化に合致し、経営には向いている(から評議会よりは経済政策に成功している)。政党と代表制の民主主義は多数者の利益のために招集者が支配する統治形態で、公的自由と公的幸福が政党の関係者である少数者の特権になっているという点で寡頭制に似ている。
 評議会に代表される市民の運動・活動は政党制と議会で行われる代表制に疑問と敵意を持つところから始まる。

 

 元は希望に欠けるしめくくりだったのを順番を変えて、希望を示すようにしてみた。革命では蜂起やバリケードの一瞬の輝きに目を奪われるけれども、それは革命の重要性を示したものでは全くなく、むしろテロルや国民統制を出来させる出来事で、ないに越したことはない。そうではなくて統治に参加して実を楽しむ公的自由な空間である「評議会」に加わることのほうが革命の重大なできごと。でも評議会を新しい統治形態に加え、永続させる試みは常に挫折・失敗してきた。それに意気消沈することなく、「評議会」にまとまるような公的自由の「活動」を止めてはならなくて、常に始めよう。
(「革命」は蜂起やバリケードのあとに政治体制の確立と行政という目立たないが面倒でやっかいな労働がある。これは業務に慣れて法律や技術などに精通している公務員や技術者の協力が不可欠。彼らは保守的なので「革命的労働者(@レーニン)」にはならない。なので多くの革命では公務員や技術者が亡命・サボタージュしたので、日常の回復にとても時間がかかった。それを埋めるには公的自由を行使して自治の訓練を積んでいる市民がいなければならない。秘密結社の革命家だけでは国家の転覆はできても、国家の運営はできないのだよね。)
 たぶんアーレントの「評議会」は21世紀の運動のクラウドで別の形態で出来しているのかもしれない。あるいは評議会の舞台は路上や集会所からSNSのネットにも広がっているのかもしれない。そういう予感、希望を感じながら、この浩瀚な偉大な書物を読みました。
 アーレントの説明は見事で分析もすごいのだけど、あまりに密度が濃くて、素人にはむずかしい。新書くらいのサイズに編集・再構成した解説が切実にほしい。活動する人にはインスピレーションをもたされる指摘がたくさんある。