odd_hatchの読書ノート

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笠井潔「テロルの現象学」(ちくま学芸文庫)-2 共同体成員が共有する「共同観念」と共同体の外の組織が構成する「集合観念」。

笠井潔「テロルの現象学」(ちくま学芸文庫)-1

2 共同観念
 第四章 観念の矛盾 ・・・ 個は自分で観念を創出するのだが、一方で所属する共同体が共有する観念を個に押し付けてくる。共同観念は「死」とか「宗教-法-国家」とか「道徳」とか。まあ、その成立の根拠や歴史を多道路するとどこかあいまいなところに行ってしまうのだが(無根拠性)、生活をすみずみまで規律化していき、政治的・保守的である(でないと共同体が瓦解する)。たいていは共同観念と自己観念は協調するのだがけど、ときに共同観念による疎外を嫌う一群の人々が生まれる。預言者とか単独者とか言われる人たちで、彼らは共同体の社会規範に対抗して内的倫理を優先する。そおれはたいてい社会規範のウルトラ化(とうてい実行できないような厳しい規範を自他に課す)による。(田川建三『イエスという男』)
(いきなり共同観念があるとされる。それに対抗する単独者や預言者の内的倫理は啓示や霊的体験として表れる。でもまあ、修行とか啓示とかがなくても、自己観念が共同観念に優先されると考え行動する機会があるよね。台風が近づいているから学園祭は中止という教師の命令に反発する高校生とか、暴走は止めなさいと制止されても走り出す珍走団とか、バリケードを解除して解散しなさいといわれても蜂起する市民とか。そういう共同体と個の観念が現実の力でぶつかり合う瞬間はめったにないので、霊的体験のために修行に向かうことがある。矢吹駆みたいに。)

 第五章 観念の逆説 ・・・ 自己観念は世界・現実によって挫折し、共同観念との対抗で挫折する。しかし自己観念は保持されなければならないとなると(負けず嫌いや引きこもりはそういうものだ)、観念は純化し、自己観念に敵対する諸要素を憎悪するようになる。対象になるのは、まず他者。そして肉体・生活・民衆へと深化。(ポーリーヌ・レアージュ『O嬢の物語』、三島由紀夫憂国』)
(宗教的苦行は観念の肉体嫌悪にあり、預言者の霊的体験も苦行から発しているかも、という指摘はなるほど。この章では後半が三島由紀夫批判。原始キリスト教ヘーゲルを持ち出しての批判は冗長。「復讐の白き荒野」のほうがわかりやすかった。)

 第六章 観念の倒錯 ・・・ 三島由紀夫の肉体憎悪のあと、連合赤軍事件の生活憎悪、東アジア反日武装戦線の民衆憎悪を分析する。共通するのは死を観念として把握して、行動的ラディカリズムの極限として死を迎えようとしたこと。もちろんその把握は不完全であり、彼らの観念は無意味な死として瓦解する。(連合赤軍事件関係者の陳述、東アジア反日武装戦線パンフレット『腹腹時計』)
(この章では「党派観念」が先取りされていて、上記の事件を共同観念の崩壊ないし敵対のように説明する論の反駁に使っている。これを読んでも、上記の事件がなぜさまざまな憎悪感情を生み出し、行動的ラディカリズムに至ったのかはよくわからない。ただ、21世紀の前半においてネトウヨと呼ばれる集団がそろって肉体・生活・民衆嫌悪、憎悪の感情を持ち、左翼運動にならった組織をもち街頭で行動的ラディカリズムを実行していることには注目。彼らは上記の事件の関係者のような観念の徹底性をもたず、主張は空っぽであるのだが、自己観念が肥大化し共同観念との対立で挫折して、観念の倒錯に至っているというのは同じ。参加している個々人はバカであっても、その集団の分析をすることは必要だし、組織的な対応も必要だろう。なにしろ、我々ももまた観念の倒錯に入りかねないから。)

3 集合観念
 第七章 観念の対抗 ・・・ 人々の集まりに形成される観念は共同観念だけではない。自己保存、自己防衛、自己累積、死の隠蔽を図る共同体の利害による共同観念とは別に、集合観念も生まれる。こちらは自己無化と死の開示をめざす。集合観念は結社のもの。(エドガール・モラン『人間と死』、ミルチャ・エリアーデ『聖と俗』)
(集合観念を説明するために、バタイユ、モラン、モース、ジラールエリアーデなどの人類学、哲学議論を持ち出す。ほとんど彼らの引用で書かれたこの章は、本書の中では異色。細胞、未開社会、通過儀礼、秘密結社を持ち出すのは近代社会や民族国家とは対立するこの観念を説明するために持ち出されたのだろうが、生物学の勉強をした自分には説得的ではない。)

 第八章 観念の転変 ・・・ 古代社会では共同観念と集合観念は相補的・循環的な関係にあったが、観念革命によって分裂した。古代の「宗教-法-国家」の成立が契機。国家による共同体支配がはじまってからは、集合観念の担い手は神秘思想、秘儀、革命の結社に継承される。あと、集合観念は祝祭的であるとのこと。(ジョルジュ・バタイユ『呪われた部分』)
(前の章と同じく、カイヨワ、バタイユエリアーデなどの論を引いて記述。前の章と同じく、説得的ではない。)

 第九章 観念の遍歴 ・・・ 引き続き集合観念の発生史を古代から近代にかけて。秘儀宗教団体、千年王国運動、初期社会主義運動、さまざまな幻視者……。現在に引き継がれる集合観念は革命のユートピアにあるとのこと。「いま-ここ」「われ-われ」「祝祭」「死の克服と超越」などがキーワード。(ジェフロワ『幽閉者―ブランキ伝』)
(2つの章にでてくるディテールを1980年代の長編小説に生かしているわけだね。ヴェイユカタリ派が「アポカリプス殺人事件」に、バタイユと蕩尽が「薔薇の女」に、革命秘儀結社が「バイバイ、エンジェル」「ヴァンパイア戦争」に、古代生け贄祭儀が「黄昏の館」にという具合。1975-85年の現代思想の流行がでてきて壮観。形而上学批判とか近代批判とかマルクス主義批判などの文脈で、人類学や宗教学などの知見が持ち出され、20世紀前半の忘れられた思想家の見直しがあった。)


 集合観念がすごくわかりにくい。これはたぶん発想の順番と記述の順番が違うから。まず20世紀の左翼革命の祝祭性から集合観念のアイデアに至り、そこからつぶされた革命史をたどり、中世の叛乱や蜂起の歴史を発見し、神秘思想や秘儀宗教の死の超越に至るという具合。その「発見」の順番とは逆に発生史をたどるのでわかりにくくなった。今の自分だと、家族や生活、労働の共同体の外にそれらのアンチである「集団(秘儀結社)」が生まれる。集団(結社)は、共同観念の自己保存、自己防衛、自己累積、死の隠蔽がすべて転倒される。このような集団(結社)の観念は近代国家や市民社会の閉塞や欺瞞を打ち破る有効か力を備えて(いるはず)で、過去の運動や革命に垣間見ることができた。一方、近代よりまえになる中世や古代、あるいは未開部族、原始部族では集団観念と共同観念が相補的・循環的になるような社会のしくみを持っていた。さまざまな祭儀や通過儀礼に見ることが可能。現代の革命ユートピアはこのような集団観念の高揚と破壊、死の開示をもたらすもの、くらいにまとめて、1章に集約したほうがよかったのでは。
 まあ、このような「革命」を相対化しておちゃらけにすると、「おれたちは終わらない学園祭を楽しんでいるんだ。日常に埋没・疎外されているおれたちが『実存しちゃう(@赤頭巾ちゃん気をつけて)』のをやめさせるな、おれたちは生活も労働もしないで、おれたちだけの活動を独身で(家族を所有しないで)ずっと続けるんだ!!」ということになる。そういう生き方は、ごく少数の単独者や幻視者、酔狂者、情熱的宗教家などがやってきたわけで、農業革命以降の人類社会はそういう余計者を食わせていけるだけの余剰をもつようになっている。
 とはいえ、それを全面展開し、24時間×365日に拡大するのはいかがなものか? 未開社会や原始社会の通過儀礼やポトラッチのような祭儀、西洋中世のカーニバルなんかで「死の開示」があって、社会のヒエラルキーが逆転・破壊されても、数日で終了。それ以外は日常の秩序と平穏があり、法の支配がに戻る。社会とか共同体はそういう保存や秩序の機能が有効と認められているから、強固にあるのじゃないのかな。
 集合観念でハイになって祝祭を演じ「実存しちゃ」ったあとに大量のごみと場合によっては死者が生じるのだが、それは誰が処理するのかな。疲れ切って熟睡している「革命」当事者がひきこもっているとき、がれきと死体を片づけるたくさんの人がいるのだ。その人たちには祝祭や死の開示は訪れなくてよいのかな。多くの観光客は祭りやゲームで大騒ぎするけど、その後始末で住民が困っているという話もあるものね。そこらの利害の調整はどうするのかしら?
 そのうえ集合観念を所有している結社が共同体そのものを解体、変質するときに、共同体の成員を殺戮しないことは担保されているのかな。集合観念の革命イメージがもっとも展開されているのは「ヴァンパイア戦争」。主人公・九鬼は怠惰な生活に埋没しているところから、使命を外から与えられ「敵」を打倒し自己回復を目指す革命を行う。そこでは存在革命(真の木の一員であることを思い出すとかヴァンパイアの秘術を受け継ぐとか性的霊的至高体験を繰り返すとか)と政治革命(日本の黒幕を打倒し政府の秘密要員になるとか)と文化革命(家族をもたず結社の一員として生活し生産活動を一切行わない)を実践する。その過程において、さて九鬼もその同志たちも壮絶な殺戮と殺し合いをする。エンターテイメントだから仕方ない、と言えるのだけど、殺戮のエクスタシーと祭りの陽気さはこの小説全体を通して肯定されているのだ。
 次の部分の「党派観念」でマルクス主義なかんずくレーニン共産主義が弾劾・非難されているわけだが、「革命」は否定されていない。集合観念にとらわれた一群の人々の行う革命、とりわけ1879年パリ・コミューンのような数日間の奇蹟(リード「世界を揺るがした十日間」を読むとロシア革命にもそのような瞬間があったはず。ロシア革命ではソヴェトと軍隊の衝突は回避されたけど)は肯定されて、20世紀の惨憺たる革命に対するアンチモデルとして燦然と輝く。その内実は、この本や矢吹駆シリーズを読んでもよくわからないが、「ヴァンパイア戦争」「群衆の悪魔」あたりから析出されるできごとになるわけかな。この革命イメージはおいらにはよくわからないし、そういう事態が起きるのは御免だなあ。

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笠井潔「テロルの現象学」(ちくま学芸文庫)-3