1957年9月の第1回アジア作家会議が開かれることになり、作家が事務局員として選ばれた。渡航費は自腹であり、いくつかの団体の支援をえてようやく出国することができた。開催地はインド。ここにエジプトから北朝鮮、日本までの40国近い作家が集まる。背景には、インドやインドネシアなどが後押しする第三世界の各国の連合をつくろうという動き。インドにはガンジー(しばらくまえに暗殺)とネルーがいて、周辺諸国に大きな影響を与えていた。あと1957年ころというと、朝鮮戦争は終結し、南北に分かれたがベトナムは独立し、パレスチナはまだ安定し、パキスタンとインドはまだ関係悪化していない。相対的ではあるが、平和があった時期であった。
事務局になったのはインドや日本のほかウズベキスタン、トルメキニスタンなど中央アジアの国の人々。まず共通語がない(とりあえず英語を使うしかない)、互いが互いのことを知らない(文学者の集まりではあるが文学の話ができない)、同意の形成過程がばらばらで取集つかない、などほぼ一カ月におよぶ合宿生活は作家にいろいろなことを考えさせる。作家会議の内容はここではほとんど触れられず(なにしろ決議や宣言を出そうとすると、隣国同士の作家で喧嘩になってしまったりするし、ソ連と中国の評価で同意ができないとか、いろいろ)、作家が個人的に見聞きしたことを語る。
とはいえ、「インド」あるいはヒンドゥーやイスラム文化などを一か月の滞在と数十人との語らいの中で全体的に把握することなど困難である。インドの芸術(壁画、遺跡、踊り、音楽など)をみてもつかみようがなく、宗教にいたっては解説を聞かされるほどに腹が立つという仕儀。とてもえはないが「インド」やイスラム世界の知識を得ることは不可能。なので、作家はどうにか体裁をつくろうことはあきらめ、わからないことをその通りに書く。頻出する感情は「つかめない」「いらだつ」「沈黙する」「知らない」「もどかしい」「始末に負えない」「ぼんやりと考える」「勝手にしろ」「ふへえ」など。このあけすけさというか、素直さがなんとも魅力的で、自分もよく経験するわけのわからなさの感じをうまく表現していると思う。
作家は1945年の27歳の時、上海に出かける。そこでは毎日歩き回って市内を見物したのであるが(「上海にて」)、ここでも当時40歳の作家は町を歩き、バスに乗り、鉄道に乗って、各地を歩き回る。彼の見聞きした対象を順不同にとりあげると、街頭、貧困者、食事、カースト、音楽、建築、遺跡、ホテル、農業、輸送、知識人、言語、文字、気候、政治、宗教、歴史、河、イギリス、植民地主義、永遠、教育システム、搾取、格差、貧困。乗り合わせた老人からネルーまで、北朝鮮の作家からベンガルの詩人まで、幾多の人と会話する。この興味関心の幅広さといったら(この本の冒頭の河に関する述懐はのちに大江健三郎とインド上空中につぶやいて、大江に感銘を残した。自分にも印象的)。インドや文化を全体的に理解することがン困難であっても、起きていることや歴史の断片を集めることは可能であるし、断片の集積からみえてくることもある。それは連想を飛躍させる触媒にもなる。
そうすると、インドはわからなくともアジアのことを考えざるを得ない。「アジアは西洋に対する否定と対決の形でしか自己の存在証明ができない」「アジアでは宗主国(インドではイギリス)に抵抗して出ていけから始まる(いっぽう日本は西洋を意識することからはじまる)」「インドで独立とはindependenceではなくintegration(統合統一)である(註:unityでもないことに注意)」「アジア人は英語によって英語そのものではなく、各国語を使っている(ここは、アジアの知識人は宗主国の言葉を流暢に使える、独立後はどんどん宗主国の言葉が下手になるという小田実の指摘に一致する。たとえばビルマや台湾の人には日本語の上手な人がいたという事情はそういうこと)」。この国で考える「アジア」がとても狭く、インドからみるアジアの幅の広いこと。インドを中心にすると、アジアはボスフェラス海峡から日本まで、インドネシアからタクラマカン砂漠周辺までの広大な地域になるのだ。
そして、アジアを見ると日本の特殊性をみてしまう。「西洋の否定である民族運動と、アジアへの侵略である帝国主義がいっしょにある」「日本で『自由』は『消費の自由』」「この国では、大学の『修身斉家治国平天下』のこの順の通りに考える人が多い(いきなり平天下にいったっていいんじゃねえってこと)」
ここでの作家の言葉は、まだ若々しいものではあるが(失礼。1960年代後半以降の著作と比較しての話です)、のちの思索の片りんないし出発を示している。小さいけれど作家には重要な本。ただし、21世紀の読者は当時の状況を多少知らないとわかりにくいかも。
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