odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

大江健三郎「同時代としての戦後」(講談社文庫) 「敗戦の現実に立ち、終末観的ヴィジョン・黙示録的認識を、その存在の核心におくようにして、仕事を始めた人びと」である戦後文学を読む。

 1973年初出。「敗戦の現実に立ち、終末観的ヴィジョン・黙示録的認識を、その存在の核心におくようにして、仕事を始めた人びとこそを戦後文学者と呼びたい(P71)」。そのような戦後文学者の素描。 敗戦の日、ないしその前後に何をしていたか、その経験がその後の作品にどのように影響したかを問うように、記述は進む。作品がよく引用されるが、どの作品かはあいまいなので、既読でないと読み進めるのはつらいかも。

われわれの時代そのものが戦後文学者という言葉をつくった ・・・ 1970年において新しい「戦前」が懐胎されているという人が多い中で、「戦後」を確実に認識することを目指す。戦後文学者は終末観的ビジョン、黙示録的認識を存在の核心においているように感じられる。

野間宏・救済にいたる全体性 ・・・ 兵士。「バターン白昼の戦」「南十字星下の戦」「砲車追挫室」「コレヒドールヘ」「青年の輪」。統合された人間の実在をさぐる。余裕とユーモアから救済の手がかりへ。

大岡昇平・死者の多面的な証言 ・・・ 兵士。「俘虜記」「野火」「レイテ戦記」「武蔵野夫人」

埴谷雄高・夢と思索的想像力 ・・・ 拘留されたり特高に監視されていたり。「死霊」。このころは第4章までしか発表されていない。あわせて、彼を師匠とする高橋和巳(1971年没)追悼。

武田泰淳・滅亡にはじまる ・・・ 上海に滞在。「わが子キリスト」「富士」「司馬遷」。「快楽」は進行中。
(なにものも信じないという相対主義は「絶対」を強制する軍国主義ファシズムに抵抗するための精神であるという指摘は重要。ポストモダン期1980年代の相対主義も「西洋」中心主義への批判・対抗であった。抵抗するなにものかをもたない相対主義は無効、むしろ害悪。)

堀田善衛・Yes, I do. ・・・ 「国際文化振興会の上海事務所」勤務。「上海にて」「方丈記私記」「歯車」

木下順二・ドラマティックな人間 ・・・ 大学院生。「神と人とのあいだ」(この評論を読んでようやくわかったのは、この戯曲にあらわれる「神」は「現人神」。現人神の命令で犯した犯罪で罪となり、罰を受けた人々、その間にある「こと」)

椎名麟三・懲役人の自由 ・・・ 「自由の彼方で」「懲役人の告発」。戦後文学者のドストエフスキー体験、「ほんとうの自由」。

長谷川四郎モラリストの遍歴 ・・・ シベリアの俘虜収容経験者。読んだことがないので、引用作品名はわかりません。

島尾敏雄「崩れ」について ・・・ 特攻隊員。「出孤島記」「死の棘」

森有正・根本的独立者の鏡 ・・・ 東大助手。「遥かなノートル・ダム」「木々は光を浴びて」

死者たち・最終のヴィジョンとわれら生き延びつづける者 ・・・ 1951年45歳で自殺した原民喜。「夏の花」「心願の国」。1965年50歳で肝硬変で亡くなった梅崎春生。「幻化」。1970年45歳で自殺した三島由紀夫。「豊饒の海」。三島由紀夫の小説と思想の激しい批判。


 戦後文学を作品と作家の両方で鳥瞰しようという試み。主題は、人間の実在の全体性や救済の手掛かりを探る「文学」のあり方を検討しようとする。なので、このリストには中村真一郎福永武彦などが入らない。取り上げられた作家でも、個人的な関係や感情に注視するような作品は取り上げられない。そこは一貫性を持った基準で作家と作品を選んでいる。
 それにしても、と思うのは、彼ら戦後文学者は「大作」を書いたと感嘆する。大きな主題、非常に多い文章、多様な文体を持ち、全部を書くのに膨大な時間を費やす「大作」をものした。作家の資質において必ずしも成功したものばかりではないが(武田泰淳「快楽」「富士」、椎名麟三「懲役人の告白」、木下順二子午線の祀り」など)。それを書かずには作家であることの意義を全うしえないという情熱で「全体」を書こうとする。成功したときには、まさにそれしかないという重さと敬意を感じずにはいない作品になる。作家の「大作」を書き上げるという意志と労苦を選んだ作家がたくさんいるということでは、「戦後文学」はとてもユニークで重要。
 とはいえ、この本はあまり成功していない。著者のこだわる「黙示録的認識」が、社会や世界の危機、人々の抑圧や差別に向かっているまでは了解できるのだけど、そこから地球の破滅や人類の滅亡まで及ぶとついていけない。指摘の重要さは理解できても、著者の強迫的なオブセッションに共感するのは難しい。ひとつには、ほとんどの作家は存命で、進行中の作品があること。埴谷雄高堀田善衛木下順二らはこのあとに主著といえるとような大作を書いた。その主題や方法は、当然この評論では取り上げることができない。もうひとつは、書いたときの作家は30代後半であったので、読みの深さが不十分であること。最初の野間宏は丹念で深い読みであるが、埴谷雄高のころからめざましい指摘は不足し、引用が増えてくる。十数人の戦後文学者を網羅鳥瞰するにはまだ経験が不足していた感じ。欠点を自覚していたのか、のちの仕事ではこのようなまとめは書いていない。個人的にはここにあげられた作品リストが今後の読書の参考になった。
(あと、たしか椎名麟三の項で、自分は現代の「悪霊@ドストエフスキー」を書いているといっていて、それが「洪水は我が魂に及び」になるのだと確認。「世界」1972年6月号に掲載された埴谷雄高との対談「革命と死と文学」でも同じことを発言していた。)