odd_hatchの読書ノート

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小田実「日本の知識人」(講談社文庫)-2

承前 2015/09/07 小田実「日本の知識人」(講談社文庫)-1 

この本の主題は知識人であるが、同時に高等教育と学生にも言及する。著者は知識人をできるだけ広くとらえるようにしていて、学生もふくまれるという立場をとっているので。1960年代は、下記にあるように「スチューデントパワー」「五月革命」「学生叛乱」の時代でもあるのだが、この本ではそのような批判者・反抗者としての学生は現れない。ここは注釈が必要だろうが、1960年の安保闘争の後学生運動は急速に低調になった。そこに高度経済成長があって、大学の数が急増。学生の数も増えて、それまで大学に入学しなかったもの、できなかったものが大量に学生になる。そこで起きたのは就職斡旋を期待するような方向への学生の意識の変化。勉強意欲をそれほど持たない学生の増加による質の低下。学生急増と質の低下に追い付かない旧態依然の高等教育の内容とシステム。それが書かれた当時の現状。

日本の知識人の状況と問題 ・・・ イギリス(帝国主義)やインド(植民地)と比較してこの国の知識人を見る。この国の特長は、多くの人が物知り。知識人と非知識人の境はあいまい(それは近代化の進行でも説明できそう)。でも、多くの人は「知識人」のように判断したりはしない。「生活の場」で体験的な知識をベースにした感情的な判断をすることが多い。そのような知的状況があって、この国の知識人には、1)書かれた論理を優先、2)西洋の一級品を判断の基準にする、3)「思想の場」と「生活の場」の境界があいまいで好き勝手に行き来、4)強固な論理構造を持った考えをしない、などが特徴。何しろ「思想の場」と「生活の場」がつながっているので、自分の考えを論理と感情をごちゃまぜにしていて、しばしば「生活の場」の感情で判断しがち。知識人が「青白きインテリ」のイメージにあるように、自分の肉体が非力であることを自覚し、それが強烈な肉体信仰になっている。で知識人であることにいじけがある一方で、傲慢。「民衆」「大衆」を蔑視しながら崇拝している。その上に、戦後思想状況でマルクス主義に親和的であることが知識人であるとみなされているから、「左翼」(しばしば党と同一視される)であるほど、上の傾向が強調される。
(以上の議論は、実のところはありがちなもので、でも著者の議論の面白さはイギリスやインドという外国の体験をもっていることと、当時のインテリでは珍しく巨躯の持ち主で一年間の無銭旅行ができるほどタフであること。そのような経歴と肉体を持っていることがこの本をユニークにしている。後、この知識人論の背景には、「左翼革命」を標榜するグループの革命論がある。そこでは知識人はそのまま革命家、運動家でなければならないという意識があって、上のような西洋や民衆の蔑視と崇拝が混交した奇怪な状況があった。それに反映されて、知識人や評論家が「インテリと大衆」論をやっていた。吉本隆明とか江藤淳などかな。あるいは保守派の論客である福田恆存とか林房雄あたりも何か言っていたのではないかしら。そのような1960年代の知識人論(裏返っての「大衆」論)があっての議論であることに注意。)
戦後の知識人の状況と問題 ・・・ 戦後「新教育」の良いところは「喋る論理」「生活の場の思想」を表現することにたけてきたが、欠点は「書く論理」「論理的抽象的思考」が不足していて「思想の場」を論理的にひょうげんすることができないところ。心で感じても、なぜを説明するのができない(問題を自分の「生活の場」に限定して「考え始め」てばかりで論理的な思考を展開できず、やろうとすると借り物の思想のつぎはぎだけ)。それを表徴するのが、画一主義の横行。そこには「いかに日本人的であることを保持するか」という考えになる。学生は現代(1964年当時)には「労働者」としての自分を自覚していて、「知識人」とは距離を感じているのではないか。
(画一主義の保守指向は上記のように「保持」であろうとするのだが(さっこんのネトウヨが「日本(人)はすばらしい」と知識や情報なしに主張するのを先取りしている、苦笑)、アメリカでは「いかにアメリカ人的になるか」と地位獲得であろうとする。アメリカ人になるためには英語をしゃべれるとか、投票による直接民主主義とか、いろいろなことを学習したうえで獲得する。そういう点をうまく表現していると思う。われわれ「日本人」は日本に生まれていることが日本人的である条件とみなすのと好対照。)
60年代、70年代の「日本の知識人」 ・・・ 1970年と1979年に書かれた文章。1960年代後半の「スチューデントパワー」「五月革命」「「学生叛乱」は西洋や先進国の知識人への批判や懐疑や疑義の表現でもあって、知識人や体制は試練を受けたのだが、力で押し切ったのと批判する側が自壊したのを受けて、元に戻ってしまった。文化的・文明的に「鎖国」状態になっている。


 1960年代の「教養主義」批判は体系だった知識の習得を妨げるようになり、1970年代の「感性の時代」は論理的抽象的な思考を行わないようにした。国民はなるほど物知りであるけど、断片的。自分の考えは「生活の場」に限定されて世界的・普遍的なところにまで広がらない・深まらないし、文章を書かないので自分の主張を明確に表現することをしない。たんに知識人の質の低下であるばかりでなく、国民全体も質が低下していっている。別に質が下がろうとどうでもいいと思いたくなるのだが、国家に統合された運命共同体の一員であるとすると、コミューンのメンバーが感情的で「生活の場」からの発想で判断するのに振り回されるのは困ること。経済的にも、政治的にも。なにより人権が侵害され、個人の資産が失われることで。だから、国民の質は上がらなければならない。そのためには、教育の仕組みから、政治参加の仕組みから、さまざまな決定を下すまでのプロセスの公開とか、いろいろなところをチェックして直していかないといけない。(それはきちんとした立場や考えに基づいて行われなければならいのであって、それはのちの「世直しの倫理と論理」「民の論理、軍の論理」「歴史の転換のなかで」(岩波新書)などに詳しく書かれる。
 ここでは個人の努力でできることを考える。どのようなアクションをするべきか。
1.総合的・全人的な知識を習得し、生活・労働・活動の場で体験を積み、
2.論理的抽象的な思考ができるように練習し、
3.自分の考えを論理的に展開する文章を書き、
4.ほかの人の主張を聴いたり読んだりして、議論ができる
となる。
 うえをまとめれば「読み書きそろばん」ということになるが、そろばんをPCに置き換えれば、いまだに有効。ただ、この古い格言は努力の成果だけが示されているだけ。プロセスや方法の説明が不足しているので、そのままでは運用にたえない。なので、補うためには4つの箇条書きのところまで踏み込まないといけない。
 かつての教養主義は「総合的・全人的な知識を習得」することで全人的な人格を完成することを目的にしていたと、といえる。この考えには弱点がある。たとえば、教養を増やすことが人格の完成につながる根拠がないとか、どのような人格が求められるのかがあいまい(人格が完成したとして権力に追従して人権侵害に加担するようじゃだめじゃん、権威主義的なスノッブにしかならないじゃん……)。それを「スチューデントパワー」「五月革命」「「学生叛乱」がついた。でも、批判に忙しく(それくらいに当時の知識人がダメだったのかな)、その先までとらえられなかった。あるいは、1を否定するあまりに、2から4までを達成しなかった。なので、著者のこの4つの点を実践することは重要。
(同じころに、斉藤喜博「君の可能性」(ちくま文庫)がでている。こちらは小中学生を対象にしているが、中身は知識人批判ないし知識人になるためのトレーニング指南というものだった。でも、斎藤の本に自分が疑義をもったのは、具体的な方法や指針が示されず、文化的文明的な「鎖国」や「心で感じることを思ったままに記す」というこの本で批判されているやり方を踏襲しているところだったのだろう。)


 知識人であるかどうかだけでなく、そんなことに無関心な官僚や実業家志望の人にも有効。実務やビジネスでは、1から4までを使いまくって、プロジェクトを実現することになるのだからね。1から4までができない人がプロジェクトや組織にいると、彼らの劣悪な成果やパフォーマンスに引きずられて、大変な苦労をすることにあるからなあ。
 若い人たちには、1から4までを実践して身に付けるのは、就職とか起業に有利にはたらくというところを強調したいけど、それだけでなく、自分の資産を減らすような損をしなくなることを知ってほしい。怪しげな商品、サービス、ニセ医療、トンデモな主張などにであったとき。あるいは、意気阻喪して自分に価値がないと思い込んだりするときに、同じく怪しげな主張や勧誘に引きずられないようにするためにも。金の損のみならず、自分の命を差し出しかねない。他人を巻き込んで損や不幸をまき散らすことにもなりかねない。
 「俺の体験したことしか信じねえ」とか「まず試してから信じよう」とかいう人もいるだろうけど、教養の中には過去から現在の幾多の人々の体験、追試、検証を積み重ねた結果がまとまっている。それを利用するのは、思考や体験の節約になるのだし(教養も時がたつにつれて変わるという反論には、「いま」でも追試、検証、確認している幾多の人々がいるから、素人である我々が性急に変化を追うのはリスクがありすぎると答えようか)。