odd_hatchの読書ノート

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サルトル/ボーヴォワール「サルトルとの対話」(人文書院)

 サルトル/ボーヴォワール「知識人の擁護」(人文書院)にあるように、1966年にサルトルボーヴォワールは来日して、講演会や対話集会などに参加した。そのうち、ここでは雑誌「世界」に収録された日本の「知識人」との対話をおさめる。

知識人・核問題をめぐって 1966.10.12 ・・・ 参加者はジャン・ポール・サルトルシモーヌ・ド・ボーヴォワール大江健三郎坂本義和鶴見俊輔日高六郎加藤周一。最初は「知識人の役割」講演の質疑応答。日本の出席者は、知識人がブルジョアの代表をしているのは不可解とか、労働者階級に属していないのはおかしいとか、定義や属性を確認する質問ばかり。とてもまどろっこしい。んなもん、フランスと日本の学制や階級社会の差によるもんじゃん。そうじゃなくて、知識人は「ある」のではなく、「になる」ものだというところにフォーカスしろよお。人種差別問題に触れろよお。核兵器に関しては今度は逆転。サルトルはすべての核兵器の廃絶に賛成といいつつ、直前に行われた中国の核実験に触れて、アメリカの核兵器は侵略的だが中国のは防衛的、中国の核実験を非難することを拒否するという。日本人参加者はいらだっているが、当然で、ここはサルトルポジショントーク。極めて不誠実で苦しい立場(当時サルトルフランス共産党支持。ソ連反対で中国支持だった)だと思う。

私の文学と思想 1966.10.14 ・・・ 参加者はジャン・ポール・サルトルシモーヌ・ド・ボーヴォワール平井啓之、鈴木道彦、海老坂武、白井浩司。「作家は知識人か」講演を下敷きに、日本のサルトル研究家との対話。元の講演がよくわからない内容だし、日本人参加者の問題意識はサルトルとずれている。なので議論は追わないで、表層だけメモする。サルトルが影響を受けたのは、プルースト、シュールリアリズム、マラルメフローベール。話題になった本は順に「嘔吐」「想像力の問題」「文学とは何か」「シチュアシオン」「聖ジュネ」「自由への道」「蠅」「言葉」「弁証法的理性批判」「存在と無」「方法の問題」(「家の馬鹿息子」は当時未着手)。気になる言葉は、

「戦争が家の中に闖入すると、個人主義は持ちこたえられなくなる」「唯一の可能な倫理は闘争(の中にある)」

西欧と日本 1966.10.4(10.14にNHKで放送) ・・・ 参加者はジャン・ポール・サルトル加藤周一、白井浩司。来日2週間目のサルトルによる日本の印象。日本人の耳には心地よい調べをもった賛辞。美的体験を得られるとか、礼儀正しさに感嘆したとか、能や谷崎潤一郎のような文化の高さに驚いたとか。日本はユニークという話と、最初の異国情緒を感じないという話がかみあわないのが残念。
(むしろ、ほぼ同じ時期に来日して大学の英語教師をしていたイアン・ワトソンの日本体験のほうが日本人には興味深いかもしれない。)


 サルトルといえど無謬ではないし、この国の大学教授といえどきちんと理解しているわけではないというのを確認。というか、50年たって歴史的遠近法を使った読み方をすると、最高の知性の持ち主も時代に制約されていて、そのあとの時代に通じる<可能性の中心>を的確につかんでいるわけではないということだ。なので、読み手は現在に突き合わせて、<可能性の中心>を読み取ることになる。と、自分のことを棚に上げて、お説教をしてみた。
(サルトルと親交があって、冗談話もできるようになったという堀田善衛が加われば、何か違った成果になったかと思う。いまさら詮方ないことではあるが。)
 とりあえず好事家向け。入手難。