ボルヘスについてはたくさんの研究本がでている(たとえば、持っているのに雑誌ユリイカ1989年3月号「ボルヘス」がある)ので、素人読者の自分がなにかを訳知り顔でなにごとかいうこともあるまい。
集英社文庫の「砂の本」には、「汚辱の世界史」ほかの短編と「砂の本」全部が収録されている。まず若いころの「汚辱の世界史」から読む(岩波文庫で「汚辱の世界史」だけがでている)。
汚辱の世界史(1935年)
恐怖の救済者 ラザラス・モレル/真とは思えぬ山師 トム・カストロ/鄭夫人 女海賊/不正調達者 モンク・イーストマン/動機なしの殺人者 ビル・ハリガン/不作法な式部官 吉良上野介/仮面の染物師 メルヴのハキム
1935年というと牧逸馬が「世界怪奇実話」を書いていたころで、不況で政局不安定の時代には犯罪や暴力に興味を持つものだと、ちょっとずれた感想をもった。ボルヘスは古今東西の万巻の書を読んで、7人のタイプの異なる犯罪者・無法者・殺された者のリストをつくる。まあ、暴力や騒乱、紛争、私怨などの極限状態において、本性が現れるというのか。おもしろいのは、元記事を複数当たっていると思われ、そこからボルヘスの筆を経て、同じスタイルのストーリーにまとめられているところ。彼の筆を経由することで、この実在の人物たちに加えられたさまざまな伝承や神話が洗い流されているところ(ビリー・ザ・キッドや吉良上野介などこの国に周知の人物は特に)。でも、無味無臭の干からびた人物伝にはならず、むしろボルヘスによる新たな神話が構築されているとみたほうがよいのかも。それにしても36歳でこの膨大な知識の持ち主。
ばら色の街角の男 ・・・ アルゼンチンの田舎の居酒屋に入ってきたフランシスコ・レアル。「賭場の殺し屋」といさかいをおこし、女をかっさらい、姿を消す。マッチョな男たちの荒っぽい作法。酒場の酔客や給仕女たちの喧騒、けだるく暑い夜、ミロンガの響き。夢のような一夜はずっと語り継がれ、伝説になる。
エトセトラ
死後の神学者(スウェーデンボリ)/彫像の部屋(千夜一夜物語)/夢を見た二人の男の物語(千夜一夜物語)/お預けをくった魔術師(「パトロニオの書」1335年)/インクの鏡((リチャード.F・バートン著「赤道アフリカの湖水地帯」)/マホメットの代役(スウェーデンボリ)/寛大な敵((H・ゲリング「へイムスクリングラ補遺」)/学問の厳密さについて(スワレス・ミランダ「賢者の旅」1658年)
末尾には引用元と思われる書物が書かれている。それが存在するのか、存在したとしても照応する文章があるのか、そこまで調査することは読者には不可能なのであって(17世紀以前の書物をどうやって取り寄せればよいというのか)、とりあえずあったことにしておいて、ゆっくりと読む。そうすると、断片ばかりであって、現代的な小説作法でいうと構成がはっきりしないし、結論もあやふやであって、その先があるかもしれないが突然中断されたと思しき文章を読むことになる。断片であって、全体は判然としないとしても、そこにはすべてが書かれている、その断片でもってその小説世界のすべてはわかると思われる、そういう不思議な感覚を得る。ボルヘス老の慧眼な編集の業か、老子の洒脱な筆によるものか。いずれにしても、「ボルヘス」の摩訶不思議な世界を堪能する。
あと気付いたのは、中世文化のイメージは西洋の史実に引きずられて貧相で稚拙に思えるのだが、アラビアや中国の都市は華やかで優美、豪壮で精強、エロティックで清楚な文化であった。ボルヘスはそこに魅かれる。20世紀の西洋文化とは異なる、もうひとつのありえた都市が底にあり、永遠に失われた。それを追悼し郷愁をもつ。
自分の好むのは「学問の厳密さについて」。世界の精密なシミュレーションのために1/1の地図を作り、それが廃棄されてちぎれた断片が砂にまみれてときに吹き流されるという蠱惑的なイメージ。