odd_hatchの読書ノート

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筒井康隆「虚航船団」(新潮文庫)-2

2017/10/04 筒井康隆「虚航船団」(新潮文庫)-1 1984

 第2部は「鼬族十種」。鼬はイタチのこと。
 惑星クオールは流刑惑星であり、約1000年前に最初の流刑者が送られた。次第に人口を増やした鼬族は、独自に集団化し、国家を形成する。そのような惑星のクオール暦1000年までの歴史を描く。
 まず、鼬族十種とは、グリソン、ミンク、テン、ラテル、クズリ、タイラ、オコジョ、ゾリラ、スカンク、イイズナである(だいたい登場順)。惑星クオールは、ひとつの巨大な大陸とふたつの小さな大陸がある。北の寒冷地から赤道の熱帯地まで気候と風土は様々(と思われる。巨大な大陸は、北からドストニア、メスカール、サラシマルの3つにわかれ(のちにドストニアの政府からクリタイジョ合鼬国が分離独立)、ふたつの小さな大陸はエコノスとクスクス。これらの地域に鼬族十種は分離するのであるが、巨大な大陸では完全に住み分けているわけではなく、多種多族が共生している。文明はまずドストニアで始まる。グリソン王朝、タイラ王朝、オコジョ王朝と権力を持つ種族が入れ替わりながら、領主制から王制になり、生産力の向上で生産資本や商業資本を持つ階層が政治に参加し、立憲君主制となる。800年ころから、資産をあまり持たない小中産階級である市民がブルジョアと組んで、王侯貴族を打倒する革命が二度にわたって起こり、全土が民主制に移行。ドストニアでは2度目の革命で共産主義が成立する。クスクスは農業生産が優位で、石油が算出することから大陸の巨大な国家が植民地化していた。その覇権をどこがとるかで、戦争勃発の原因となっている。エコノスは最後まで封建制を残した奇妙な鎖国国家であるが900年ころから工業生産が発達し、経済摩擦をドストニアやクリタイジョなどとおこす。
 という具合に、どこかで見たり読んだりしたことのあるような歴史が展開する。異惑星の歴史を仮構するのは別に作者の創意ではないが(1970年代のファンタジーで盛んに書かれた)、この作家の仮構した歴史は一味異なる。通常、異惑星の歴史を描こうとすると、作者の筆に歴史的遠近法が入り込んで、物語の「現在」の政治体制が必然的に成立するような運動というか記述になってしまう。現在対立している2国家や複数グループのできた原因がどこかに収斂し、そこからの反目・対立・提携・裏切り・栄枯盛衰という具合になる。「虚航船団」ではそうではない。なるほど出来事の多くは読者の物理現実にある世界史(とくにヨーロッパ史)に近しいものだし、政治や経済の説明は読者の物理現実にある学問のそれをなぞっている。重要なのは、歴史を描く際に、できごとを起きた順にかくという単調なやりかたをとらず、現在の体制が必然であるというヘーゲル的な方法も取らず、英雄と反乱者の対立戦争から政治に経済、果ては文化まで(ロシア文学の作家名と作品名の地口、パロディは大いに笑える)できごと全部を描き全体をとらえようとすること。このような歴史記述の方法は戦後のもの。そしてこのやり方は大成功。
 鼬族は毛皮を持ち、肉食であり、肛門に分泌戦を持つという特徴はそのまま生かされる。喧嘩や戦闘はおもに牙と爪を使い、危急や断末魔のさいには臭い屁を放ち、共食いも辞さない。それらを記述者はそのまま描くのであって、彼らの歴史は異臭が漂い、血と食い散らかされた死体が大量に横たわる。なので、歴史は残虐の展覧会となる。鼬族であるからグロテスクさが誇張されていて、そこには滑稽で愚かしさも充溢しているのである。その歴史が地球のそれに近しいとなると、われわれ読者の歴史も鼬族のそれを笑えるほど高貴でも利口でもなく、愚かしさと悲しさをもっているのを痛切に感じることになる。まことに(鼬族なみに)「人間は度し難い@堀田善衛と司馬遼太郎」というわけだ。
 というような感想を書いたのだが、作者には「プライベート世界史」というエッセイがあり(全集24巻257-259)、ここに書いたようなことが全部書いてある。小説の意図や方法はこのエッセイで説明しつくされているので、感想を書かずとも済んだのに。このエッセイは小説と一緒に収録すれば、読者の便宜に立つのだがなあ。いまでは品切れの全集か初出の「海」1983年1月号を入手するしかない。もったいない。


 おおそうかそういうことだったか。第3部「神話」を先取りすると、惑星クオールは文具船の攻撃によって国土は破壊され、住民のほとんどが戦死か戦病死。幾多の文化財、生産設備も破壊され、荒土に戻るのである。文具船は核攻撃も行っており、都市は高濃度で汚染されている。となると、文明の衰退した場所での新たな「歴史」は、このような連続した叙述では不可能であり、断片として、ないし口承として伝えられるのではないか。そのような記述のひとつが「驚愕の曠野」であったとしても不思議ではない。(惑星クオールは著者の別の長編の舞台にもなっているので、探してみてはいかが。)


2017/10/02 筒井康隆「虚航船団」(新潮文庫)-3 1984
2017/09/29 筒井康隆「虚航船団」(新潮文庫)-4 1984