odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

ホルヘ・ルイス・ボルヘス「伝奇集」(岩波文庫)「八岐の園」 伽藍のすばらしさに感嘆させておいて、足元をすくって、どこにも足場とか根拠がないのを示し、読者を不安にさせて、そのまま終結。

 ボルヘスの(たぶん)真骨頂である短編集を読む。

八岐(やまた)の園(1941年)
プロローグ ・・・ 「長大な作品を物するのは、数分間で語りつくせる着想を五百ページにわたって展開するのは、労のみ多くて功少ない狂気の沙汰である。よりましな方法は、それらの書物がすでに存在すると見せかけて、要約や注釈を差しだすことだ(P12)」という文章がすべて。よく引用される。

トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス ・・・ ビオイ=カサーレスとの会話(冒頭は「モレルの発明」に至る最初の話題)にでてきた「鏡と交合は人間の数を増殖するがゆえにいまわしい」の由来を知らべて、ウクバールという土地の辞典をみつける。のちにトレーンという世界(土地だか惑星だか宇宙だか不明)の百科事典「オルビス・テルティウス」を発見する。その要約(主に観念論に関する)。
(擬史を書くのは中世前からあったし、18世紀初頭のジョルジュ・サルマナザールは「台湾誌」なる架空の歴史・文化・言語・文字を捏造した書物を作り上げた。
ジョルジュ・サルマナザール - Wikipedia

アル・ムターシムを求めて ・・・ ボンベイの作家の書いた本の要約とテキスト・クリティーク。無数の実在する作家や作品の中に実在しない本が投げ込まれ、架空の書物の向うにもうひとつのありえたかもしれない現実が生まれる。

ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール ・・・ 20世紀前半の無名の文学者による途方もない試み。セルバンテスになり切ることによって、読まずに「ドン・キホーテ」と同じ書物をつくりだそうとする。メナールの草稿は破棄する指示があったが、作者はそれを読んで批評する。存在しない書物が言葉の網の中に姿を現す。

円鐶の廃墟 ・・・ 廃墟にたどり着いた男が夢の中で理想的な学生を見る。長年かけて男は学生の輪郭を整え、命を吹き込み、動くようにして別の廃墟へ送り出した。男は自分が死を迎えようとしているのを知り、炎に向かう。円環なのか、向かい合わせた鏡の反響なのか、実在することの根拠のないことについて。

バビロンのくじ ・・・ 人々が熱狂するくじが生活を支配し、くじを管理する講社が社会を支配する。くじの仕組みが複雑に高度になった時、講社は存在するのかどうかわからなくなり、偶然とくじの結果の境がわからなくなる。物事の根拠があいまいになった社会。ふと、ピンチョン「競売ナンバー49の叫び」を思い出した。あとPKDの「偶然世界」も。

ハーバート・クエインの作品の検討 ・・・ 最近亡くなった作家の評伝。実在する作家や作品の中に実在しない作者と作品名が投げ込まれる。クリスティやクイーンの名がでてくるのがふしぎな感じになる。そのうえ、「八岐の園」のいくつかの作品がクエインの忘れられた作品にインスパイアされていると書かれていて、実在と非在の書物の合わせ鏡の迷宮に入り込む。

バベルの図書館 ・・・ 六角形の本が納められた本棚が5つ並ぶ一辺を持つ六角形の部屋が隣の部屋につながり、無限にあるという図書館。司書、調査官、解読者が行き来し、本を読む。多数のイマジナリーな本。自分は「他のすべての本の鍵であり完全な要約である、一冊の((P112)」に特に目を魅かれた。図書館はたぶん外部をもたず、無限で周期的であり、一つの部屋はひとりの司書か読者が独占していて、たぶん人生が書かれた一冊の本を見つけられる。
<参考> ウンベルト・エーコが「薔薇の名前」で幻視した「バベルの図書館」の平面図

八岐の園 ・・・ 1916年、ある英国砲兵隊が命令遂行を遅らせた理由。崖奔のもくろんだ本を書くことと迷路をつくることの同時達成。その書物は、さまざまな未来にたいし「八岐(やまた)の園」をゆだねるという。ついに草稿で終わったその書物は老人の手で編集され復元され翻訳された。そこでは人はある場面では友であり、敵でもあるという。一発の銃声がとどろく。


 なんというか言葉にしにくいけど(@平沢唯byけいおん)、図書館に住み込むほど大量の本を読んで(しかも母語以外の言語で書かれたものまで)、獲得した言葉と知識だけで作品を作った、という趣き。小説のそとに現実はあるはずだけど、ほぼ反映を拒否して言葉だけで作品を作り上げている。ここまで高度に技法的なのにまずは驚嘆。そのうえ、尊師は言葉を彫刻して天空に伽藍を作り上げる。伽藍のすばらしさに感嘆させておいて、足元をすくって、どこにも足場とか根拠がないのを示し、読者を不安にさせて、そのまま終結。尊師の姿はすでに消えていて、読者は途方に暮れる。ま、それが心地よい。