odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

筒井康隆「全集9」(新潮社)-1970年の短編-2「ビタミン」「日本列島七曲り」「テレビ譫妄症」

 1970年おおよそ下半期の短編。

20000トンの精液 1970.05 ・・・ バーチャルで代理セックスができる時代(こんなことばは使われていないが)。もっとも人気のあるヒルダは男のルナティック(狂気、熱中とでも思いなせえ)と女の嫉妬を呼び起こす。路上でひどい目にあい、最高の演技をみせた。アダルトビデオがでるのはこの10年後。当時は映画か8mm。

深夜の万国博 1970.05 ・・・ 大阪万国博会場は夜になると取材不可だという。そこである週刊誌の企画で乗り込むことになった。そこは「スパイの万国博」だった。著者がいうには「これは純然たるフィクションであり、現実の万国博はこれほど面白くありません」とのこと。いくつかの展示館の名が出るが、当時の読者はそれだけで建物の外形と展示内容を想起できた。いまは注釈が必要だよなあ。(当時の人口の6割が見に行ったとのこと。俺はその中に入れなかった。)

人類の大不調和 1970.05 ・・・ 万博会場に「ソンミ村館」「ビアフラ館」ができて、虐殺が場内で行われ、飢餓者が会場をうろつくようになった。対策に困った日本政府はルポライターの提言をうけて、「南京大虐殺館」をつくることにした。大阪万博のテーマは「人類の進歩と調和」。およそそれにふさわしくない行為が当時進行していて先進国は放置していたという皮肉。当然いまにも通じる。残虐や悲惨のテーマパークが2015年にイギリスで期間限定で開かれた。悪夢と憂うつの国「ディズマランド」。
【悪夢と絶望の国】史上最低のテーマパーク、バンクシーのディズマランドに行ってみた : 映画ニュース - 映画.com
バンクシー監修、〈ディズマランド〉とはなんだったのか!? 潜入リポート。 | カーサ ブルータス Casa BRUTUS
シンデレラの死体などディズニーランドを皮肉った夢の国ならぬ憂うつの国「ディズマランド」写真&ムービーまとめ - GIGAZINE
【ヤバい‼‼‼‼】ディズニーランドを馬鹿にした某夢の国の遊園地【ディズマランド】 - NAVER まとめ
ディズマランドに行ってきた - Togetter

ビタミン 1970.06 ・・・ 19世紀末から20世紀なかばまでのビタミン発見史。事実と虚構が入り混じる。

岩見重太郎 1970.03/児雷也 1970.06 ・・・ 新釈講談。敗戦直後に都筑道夫が講談風小説を書いていたが、この時代まではまだ読者に受け入れられていたのだね(講談より昭和30年代の時代劇や伝奇映画で知識を仕入れたと思う)。

正義/癌/見学/傷ついたのは誰の心/訓練/夫婦 ・・・ ショートショート。最初の、正義の士が死んで天国に行き、争い事がないので、地獄の苦しみに会うというのが皮肉。

日本列島七曲り 1970.06 ・・・ 4時までに大阪に帰らないといけないとイライラしている社長に、タクシー運転手が万博を見に行こうと提案する。羽田発の飛行機は日赤(赤軍派)のハイジャックに会い、機内は宴会のようになり、目的地の着陸を断られ、吸血鬼が一人いて、コレラが発生し・・・。日常のありふれた出来事をエスカレートさせていく手法。「農協月へ行く」を参照。

2001年公害の旅 1970.09 ・・・ 公害が深刻化した東京から逃げ出した。東京はドームでおおわれて、公害をシャットアウトし、外の人間を受け入れない。そのまま30年経過。都市をドームで覆うアイデアバックミンスト・フラーのものだが、真面目に検討されたものだった。

(1980年代の雑誌「美術手帖」から)

誘拐横丁 1970.10 ・・・ 日曜のけだるい朝、息子が遊びにいった後、横町の家の主から18万円用意しろ、そうしないと息子を返さないと電話があった。そんな金のない「おれ」は別の家の子供を家に連れてきて、18万円用意しろ、そうしないと息子を返さないと電話した。人が動き、電話が鳴り・・・。「毟りあい」を参照。こちらでは狂気にはエスカレートしない。

ふたりの秘書 1970.10 ・・・ ふたりの秘書とコンピュータしかいない会社。それは労使関係に似止まないで済むようにとの社長の考えから。でも秘書はそれぞれに悩みを抱えていて。

モーツァルト伝 1970.10 ・・・ 2割の真実と6割の悪乗りと2割のでたらめ(当社調べ)による伝記。「ナポレオン対チャイコフスキー世紀の決戦」「注釈の多い年譜」「レオナルド・ダ・ヴィンチの半狂乱の生涯」を参考に。

公害浦島覗機関 1975.11 ・・・ ホテルの監視員。図面のおかしいところをみつけて、中に入るとホテルの客室を覗き見できる。そこでは政府による都市再開発のための公害促進政策の協議と、公害企業の経営者夫婦の会話をみることができる。公害はどんどん進んでいって、人の住めない環境になっているのに、住民は政府補償をあてにして都市から立ち退かない。毎日、公害の様子と公害病患者の補償運動がテレビに流れ、市町村が光化学スモッグ警報を流していたころ。

テレビ譫妄症 1970.11 ・・・ 毎日5-6時間テレビを見る評論家が下半身まひになる。診断を受けるとテレビの見すぎによるまひ。次第に評論家は目で見える「現実」がテレビ番組と思い込むようになる。ここから「おれに関する噂」や「脱走と追跡のサンバ」までの距離は遠くない。

 この小説で1970年を思い出せば、
・大阪万国博覧会
・都市の学生、新左翼運動(退潮期ではあってもまだまだデモと機動隊の衝突があったし、一部ではテロリズムに傾斜したグループが誕生)。
・公害(地方の問題であったのが、都市や国全体の問題に拡大)
ベトナム戦争での米軍の起こした虐殺事件、ビアフラ内戦による大量の餓死発生(開高健のルポが参考になる)
であった。テレビの普及やコンピューターによる業務処理なども目につくところ。