odd_hatchの読書ノート

エントリーは3200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2024/11/5

イソップ「寓話集」(岩波文庫) ローマ時代に子弟の教科書になったので無理くりな奴隷道徳が追加されたので教訓は無視して、お伽話を楽しもう

 イソップ、ギリシャ名アイソポスは紀元前6世紀ころに実在した人物らしい。奴隷で、しかし機知に富み話術に巧み。理由不明であるがデルポイ(という都市)で殺害されたという。醜男でがに股で太鼓腹で…というのは後世のつくり話らしい。そのアイソポスが語ったとされる寓話があつめられた。もちろんアイソポスひとりの手になるとは考えないほうがよくて、この種の寓話がさまざまあったのをまとめるときに、アイソポスの名前が使われた、ということでよいだろう。
 この文庫はギリシャ本文からの「原文に忠実な訳」とされている。われわれは幼児向けの絵本その他で、イソップ寓話には親しいのであるが、その時々の道徳にあうように、あるいは読者の生活習慣にあわせてアレンジされている。この訳と16世紀の「伊曾保物語」を比べればそれはわかるはず(などと後者を読まずにいってみたりする)。

 特によく知られいる話をこの原文訳から引用してみよう。

「亀と兎が速さのことで争いました。そこでかれらは日時と場所を定めて別れました。ところが兎はもって生まれた速さを恃(たの)んで駆けることをおろそかにし、道をそれて眠っていました。亀の方は自分の遅いのをよく知っていましたから、休まず走りつづけました。こうして亀は眠っている兎のそばを走り過ぎて目的に達し、勝利の褒美を獲ました。/この話の明らかにするところは、生まれつきがゆるがせにされると、それはしばしば努力に打ち負かされるものだ、ということなのです。」(P242)

「(前略)狼どもは羊たちを引き裂き、羊飼は助けを求めて村の人を呼びましたが、村の人たちはまたいつものように彼が悪戯をしているのだと考えて、あまり気にかけませんでした。こうして彼(羊飼)は羊の群れを失うことになりました。/この話は、嘘吐きの得るところは、本当のことを言うときでも信じられないということである、ということを明らかにしています。」(P242)

「冬の季節に蟻たちが濡れた食料を乾かしていました。蝉が飢えて彼らに食物を求めました。蟻たちは彼に『なぜ夏にあなたも食料を集めなかったのですか』といいました。と、彼は『暇がなかったのだよ、調子よく歌っていたんだよ』と言いました。すると彼らはあざ笑って、『いや夏の季節に笛を吹いていたのなら、冬にはおどりなさい』といいました。/この物語は、苦痛や危険に遇わぬためには、人はあらゆることにおいて不用意であってはならないということを明らかにしています」(P253)

 こういう具合。
 物語のあとに教訓が追加されている。ローマ時代にイソップ寓話集は子弟の教科書として使われた。その際に、後世の無名氏たちが教訓を追加したのだという。どこで読んだ情報か忘れた。現在のわれわれからすると、寓話からは読み取れないような教訓を追加することがあって、ときに煩わしい。たいていの場合、追加された教訓は「身の程を知れ」。デルファイの神託にある「汝自身を知れ」をずらしてしまったこの教訓は現状維持、強者への追従、弱者の蔑視、冒険の回避、因果応報、自己変革の不可能、などなどを示している。訳者解説では「奴隷の道徳」と手厳しい。でも寓話は面白いものがときにあるので、教訓を無視して読めばよい(と言ってすでに印刷されたものを回避することもできず、腹立たしく、いらだたしい気分になってしまった)。
 動物がたくさん登場する。彼らには固定されたキャラクターがついている。キツネは狡猾、ロバはウスノロ、蟻は勤勉、獅子は王者、ネズミは小悪党、犬は愚鈍…という具合。見た目や性向でレッテルが張られるわけだ。それは物語の理解には効率的。当時の固定されたキャラクターはダ・ヴィンチのメモやゲスナーの博物誌などにも伝えられている。


 伊曾保物語も出ている。