odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

ルイス・キャロル「鏡の国のアリス」(旺文社文庫)

 「不思議の国のアリス(1865年)」から6年たって、「鏡の国のアリス1871年)」が書かれた。アリスは7歳半(作中で自身がいっている)になった。前作で子猫だったダイナが子持ちになっているから3年くらいたっているのかしら(というのは訳者山形浩生氏の推理)。すでにレディの教育も始まったのか、母や姉のまねをしているのか、アリスはレディのたしなみとふるまいを身につけるようになった。おしとやかになり、意見を口にするのを控え、感情をおもてにするのをためらうようになり、相手の感情や論理を理解しようと努める。
 7歳半の冬の午後、暖炉の前で遊んでいるうち、暖炉の上にある巨大な鏡を通り抜けてしまった。鏡の向う側の世界では、こちらの世界とは真逆で、しかもチェスのルールで動いている。アリスはいち早くそのことに気付き、自分も(赤の)女王になりたいと願って、鏡の国のマス目を進んでいく。行く先々で、童謡や童話の登場人物やチェスの駒とであう。
 などというストーリーをまとめることもないので、ここまで。
 今回も山形浩生訳をベースに、ときどき多田幸蔵訳(旺文社文庫)を参照した。

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 ネットで公開されている山形訳。

www.genpaku.org

 山形訳のおもしろいのは、鏡の国のキャラクターたちの口調をぐっと若返らせたこと。トゥィードルダムとトゥィードルディーやハンプティ・ダンプティは小学校高学年の少年たちみたいだし、落馬してばかりの騎士はテニエル挿絵では白髪禿頭の老人だがここではオタクっぽい中学2年生あたり。王様や女王様も30代くらいかな。いっぽう、アリスも7歳半のわりには頭の良い中学生くらい。多田訳だと、アリスと他のキャラクターの年齢差が感じられたのだが、山形訳ではアリスとキャラクターには大きな違いがない。登場するキャラクターはわけのわからない説教をして、意味不明の詩を朗読するが、多田訳だと学校の先生やPTAの風刺にみえるところが、山形訳だとオタクやマニアの一方的なおしゃべりに聞こえる。アリスが一生懸命、真面目で論理的であろうとする意志が山形訳の方でよく見えてくる。
(あと山形訳の特長的なのは、キャロルの言葉遊びを日本語に移し替えようとするところ。ときに原文から逸脱するときも。たとえばフィドル・デ・ディ(ばかばかしい)と、多田訳はそのまま音に移し替えるが、山形訳は「あっちょんぶりけ」にしちゃう。これ、手塚治虫ピノコブラック・ジャックが出典だとすぐわかる読者はまだいるのかなあ。)

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 この物語は、チェスの手順通りに進むとか、鏡の国の論理はこちら側と正反対で夢の論理に酷似というキャロルの設定したルールは読めばすぐにわかる。もう一つ加えれば、言葉の連想で「流れる」というモチーフが繰り返されるところ。赤の女王のその場にとどまるための全力疾走とか、指をさした女王が「よくなったわ(much better)」となんどもいううちに羊の鳴き声になったりとか。この流れは別離であるし、それが起こることの悲哀の暗示になるし(とくに名前を忘れる森での小鹿と落馬ばかりしている白の騎士)。冬で、森の中で話が進むのも、テニエルの挿絵でアリスの表情が曇りがちなのも。枠物語の前後にはアリスしかいない(あとで姉に話したようだが小説には登場しない)などもあって、この物語のトーンはとても暗い。アリスは聞き役に徹して、物語にはいっていかないし。そこに「レディ」のつつしみをみてもいいけど、自由闊達であることを抑制されているようで、アリスの周りにある悲哀の雰囲気がつらいんだ。他の児童文学以上に(といってあまりたくさんは知らないけど)、大人の事情がみえてくる。なので、何歳になっても読み返せるのだろうなあ。

 

 

 パブリックドメインになっているので、多数の翻訳があります。

        

 

 「鏡の国のアリス」は「不思議の国のアリス」ほど映像化されていないようだ。

1966年

www.youtube.com

1998年

www.youtube.com