odd_hatchの読書ノート

エントリーは3200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2024/11/5

イワン・ツルゲーネフ「父と子」(新潮文庫) 1860年代、父の世代は自由主義で保守主義、子の世代は民主主義で革新志向。

 1859年5月にペテルブルグの大学に通う学生が夏休み(?)で実家に帰ってきた。都会の雰囲気をぷんぷんと匂わせる医学生の友人といっしょ。やることがないし、とくに気を引くことがないので、学生二人はぶらぶらすごす。その田舎には貴族の未亡人がいて話をしたり(恋に発展しそうになるが、手も握らず)、軍人として西ヨーロッパを遍歴した英国風紳士と角突き合わせ決闘をすることになったりする。事件らしい事件はこのくらい。実家に戻った医学生は父の仕事の手伝いで、チブス患者の解剖を行ったが、指に傷を負って感染し、数日で亡くなってしまった。ストーリーはこんな風。20世紀小説の速い展開や冒険・アクション、奇想、ほら話などを期待すると完全に肩透かしを食らう。

 解説でもストーリーより、若者の発する「ニヒル」にだけ注目して、一種の思想小説として読もうとする。そこには自分の感想もあるが、それに行く前に小説の背景を簡単に見ておかなければならない。
 すなわち、19世紀ロシア(小説の発表は1862年)では上からの近代化が進もうとしていた。西ヨーロッパでは産業革命と市民革命を経験して、国民国家が誕生していたが、ロシアにはその波は届いてこない。昔ながらの領主制に帝政があり、貨幣経済の遅れは資本主義の発達を進めず、全人口の大半を占める農民は文字の読み書きができず、無教養であった。これではいかんということで王様が上からの近代化を進める。有望な若者をフランスなどに留学させ、外国人の技師や教師を雇用して首都周辺に科学技術都市をつくり、外国資本による工業化を進めようとする。足かせになるのは大規模地主と農奴制。生産性が上がらず、差別の制度化は世間体が悪い。そこで1860年代に農奴制の廃止を宣言する。
ネクラーソフ「デカプリストの妻」(岩波文庫)
荒畑寒村「ロシア革命運動の曙」(岩波新書)
 その影響が訪れているのが、この「父と子」の舞台になる村。父の世代はデカブリストの乱などを見聞きした世代で、フランスの自由主義(ルソー、ヴォルテールディドロなど)の薫陶を受けた保守主義者。自由経済になるのは結構だが、農奴制の存続には反対しない。彼らが保守的になるのは、外国資本や外国資本の流入でインフレが進行しているからであり、農奴制の廃止が経営コストを増加させるからである(そのような苦悩を父の世代は口にする)。そこに民主主義(デモクラシー)の薫陶を受けた子の世代が帰ってくる。彼らは大衆や民衆の力で権力を打倒し、全員参加の政治システムを作ろうとする。個人の自由よりも社会の利益の方を優先するから、ときに自由は抑圧されることも構わないとする。なので、「父と子」の対立は、単純な世代間の差違にあるのではなく、ロシアの特殊事情における自由主義と民主主義の対立ということになる(封建主義に反対するという点では、同意が成立する。その先の改革路線と思想の対立だ)。
 では「ニヒル」を気取る主人公バザーロフの「ニヒリズム」とは何かであるが、ある政治的な主張を象徴するものではない。バザーロフはデモクラシストを名乗り、反権威・反芸術を気取るが、同時に強い大衆嫌悪や生活嫌悪をもっている。バザーロフは田舎の無教養な使用人や農民を馬鹿にし、彼らの生活を嘲る。そうするのは、彼が大学に通い、医学という最先端の知識に触れているから。それが大衆や生活を嫌悪する由来。同時に、実際に権力をもっている「父」の世代にも反発する。ここは理論的というより、感情的。なにしろ、バザーロフ20歳は学生であり、権威や権力を持っていないうえ、田舎ではどこのコミュニティにも属していない(言葉の端々からすると、大学においてもそう。学生組合や団体には所属していないようだ)。政治活動をしているわけでもなく、単に個としているだけで、食い扶持は親や他人にしのいでもらう。そういう根無し草で自立できていない若者。なので、「ニヒル」はたんに何もしないことのいいわけであり、他人に冷笑的で、議論においては「どっちもどっち」の過激な相対主義をとり、大衆や生活を嫌悪しながらも、特別な存在である存在を認めてほしい(でも積極的なアピールはしない)。まあ、自己観念が肥大して、社会から疎外された者の心理的な分類であるとみたほうがいい。
 この「ニヒル」の自己観念の肥大は、たとえばウィルソン「賢者の石」サルトル「エロストラート」「一指導者の幼年時代」山田正紀「神狩り」三島由紀夫「仮面の告白」などにみられる。その先駆者としてバザーロフをとらえればよい(あとドスト氏「地下生活者の手記」の語り手も)。こういう連中は昔からいたのだなあ。(読書前にはこの青年をドスト氏「悪霊」のスタヴローギンやキリーロフなどと比較しようかともくろんでいたが、無理でした。)
 あと、19世紀末のロシアは50年後の日本に多くのところで重なるように思えた。産業革命や市民革命が外から取り込まれ、上から強制される。それが社会の分断や混乱を起こすのだが、インテリは国や社会の近代化に好意的であるが、その実現は極めて困難。さらに自由主義や民主主義は身に付きずらいのであって、土着の思想や精神と折り合いをつけがたい。そのようなインテリや知識エリートの苦悩の在り方が、小説に書かれる。主題や書き方に違いはあっても、この意識は日露のインテリやエリートは共有していると見えた。
 なお、今回読んだのは米川正夫新潮文庫。v行の表記や繰り返しの表示記号が昔のものなので、読みずらい。岩波文庫新潮文庫の新訳が出ているので、そちらをお薦め。かつて読んだ「猟人日記」を再読しようかと思っているが、こういう内容と文体では手を伸ばしずらいなあ。

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